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この城は登山道はおろか踏跡も皆無なので地形図とGPSアプリが必須です。地形図に描かれている山道は実体がほぼありません。

確認した限り東側の山麓は防獣柵で仕切られており、入山・下山は扉のある位置を確認しておく必要があります。尾根の分岐やヤブの深い場所など道迷いの危険もあるので、単独や初心者同士での登城はやめた方が良いでしょう。

 

名草城は足利の町から北の方につづく名草地区の西を南北に走る山稜上にある。足利百名山の第25座に数えられる南陽山の山頂(標高267メートル)にある。

なお城の名と同じ「名草山」なる山が東側の須花峠すぐ北にあって、少々紛らわしく感じるかも。

足利尊氏の家臣であった南宗継が築いたという伝承が残っているが歴史は分かっていないようす。東側の山麓には南氏の菩提寺であった清源寺があり、南の方には南氏の墓所もある。


この城へ登るにあたってまずすべきことは、防獣柵の扉を見つけることだろう。

この山麓は防獣柵で完全に仕切られていて、山へどうやって入ったら良いのかも一見分からない。

麓の清源寺裏の墓地への道に扉があったが、そこから登れるかどうかは確認できていない。

 

このような有様だったので、今回登降した経路は示さないでおく。

どうにかこうにか、城のある南陽山から南に伸びる尾根に入りこんだ。地形図では北側の267mのピークが城、南の227mピークから2/3ぐらい進んだあたり。

(電子国土Webの図に筆者作図)

 

地形図上でも尾根が東に大きくカーブを描くところで…
左側が一段下がって、武者走りのようになっている🧐

最初は見えにくかったが、進むにつれて段差がハッキリ見えるようになる。
これは帯曲輪にしか見えない😮

反対側は素直に斜面になって降りているし、自然にこんなものは出来ないだろう。
だが、城に関係するものかどうかは…🙄
翌週に南の石尊山城を見に行ったとき、途中の尾根にも同じような削平地がずうっと続いていたが、そちらはどうも林道らしい道を通そうとした跡に見えた…
じつは高度成長期の開発の波もかぶっていた山塊だった…?🤔

少し進むと…
ムムッ…これは堀切か?🙄

ごく小さな溝が尾根を横断している。
写真ではほとんど見えないが…😂
西側は相変わらず一段低い帯曲輪状が続いているが、溝がそちらに向かって降りているようにも…🧐

この堀切らしいところを越えると、城のある山の立ち上がりが目前💓

そして、いよいよ最後の登りが始まる、というところで…

 

これ、堀切だな…😮


ビ…ビミョ~😂


正面が一段高くなっていて、その裾を穿ったように見えるが深さはほとんど無く、ごく微妙にしか見えない…

 

ここからの登りはかなり急で、足元が落ち葉で滑りやすくなっていて厄介💦

しかし、少し登ると右側が高く、左側が一段低くなる。


すわ登り土塁っと、俄然テンション上がる😅

しかし後になって見ると、さっきまで尾根の西側に続いていた帯曲輪状の続きにも見える。それでも自動車を通すには急勾配すぎるし…🤔


そして、ここを少し登ると、上の方に上下段になった盛り上がりが見えてくる。

 

着いた〜🙌


ここは六畳一間ぐらいの帯曲輪状。


東側は竪堀になって落ちている。


先ほど左側を並走していた一段低いところは、西側を守る竪堀になっている。


ここから正面少し左に先人の踏跡がわずかに見えるので、ここを登る。

すると、正面が土塁状になっていて、上まで登っているのが見える。


右側は段郭が並んでいる。

いちばん下のやつ。

かなり外傾はしているが、縁がしっかり残っている。

次のやつには樹木がボコボコ。

ヤマザクラとか、クヌギとかかな?


さらに登ると竪土塁は見えなくなり、左側にも帯曲輪が現れる。

主郭切岸から崩れた土砂に埋まったか、だいぶ外傾はしているが、広さはかなりありそう。


さっきから左側を並走していた竪堀状は、ここに登りついて終わっている。

右側の一段高いところには、段郭の最上段。

六畳一間ほどに狭くなっている…


では、ひと登りして主郭へ。


足利 名草城 その2に続く)

 

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(2024年12月16日 記)