南の方から竪土塁を登って到達した主郭は、野球の内野ぐらいの広さがある。
そして、高さ1メートルほどの土塁に全周をガッチリ守られている。
これは西側の土塁。
で、いま登ってきた竪土塁のところ、大手じゃなかったのかぇ?
登ると南西端の土塁上に出る。
ここは足利百名山の第25座、南陽山というのだそうだ。
山名板の背後にQRコードのある札がついていて、売り出そうという意気が感じられる。
が、如何せん道が…😢
この主郭、北〜北東の方が一段低くなっている。
この低くなった先の方に、虎口らしい土塁の切れ目が見える。
出てみると、そこには馬出しのような小さな帯曲輪。
この帯曲輪、南の方へ回り込んでいるが、途中で崩れた切岸に埋まっているようだ…
この帯曲輪の下を覗き込んでみると…
もう一段あるな😮
降りてみると、三日月形をした割としっかり残っている曲輪だった。
で、ここからさらに下を覗き込むと…
堀切・土橋コンボっ🤩
教科書に出てきそうな、空堀を渡って曲輪に入ってくる土橋の組み合わせ見える。
下までは、掴まるものがほとんど無い、しかも落ち葉の積もった急斜面…
幸い、コースを拓いたときに入れたと思われる斜めに降りる踏跡が付いていたので、それを辿って降りた。
堀はかなりハッキリ見える。
南側は少しカーブしつつ落ちてゆく。
北側は一直線。
堀を渡る土橋。
これでも高さは膝上ぐらいあるので、実際に目にするとこの写真よりずっとハッキリ見えるだろう😅
ここから下には、段郭が3段ほど続いているようだ。
一段目
二段目
ここから下ると、登り始めの清源寺の裏の尾根に降り着くようだが、麓が防獣柵で仕切られていて、扉があるか確認していなかったので、ここからの下降は控えた。
さて、この城は北側にも遺構がある。
主郭の土塁が低くなっているところから、コースが開かれたときに付けられたらしい道が降りているので、下ってみる。
早速、二段ほどの段郭らしいものが見える。
ただ、植林地なのでそれに伴うものの可能性もあるだろうか…
下段。
幅4メートルぐらいある。
そして、その西側の端を縁取るように、ハッキリした竪堀状が登っていた😮
この竪堀状は20メートルほど上で土塁に遮られて終わっていた。
しかし、その土塁の向こう側には、西に向かって降りてゆく竪堀状があった。
しかし、この竪堀状は斜面に出たところで終わっていて、下に動線らしいものは繋がっていなかった😮
で、その南側、上の帯曲輪の下にあたるところには、もう一段の帯曲輪らしいものがあった。
この上の切岸、土が脆いようでだいぶ崩れていて、低い土壁になっている。
だいたいこれで全周見て回れた。
西側はこの山稜の多くで見られる西側を削ったような跡が城内まで登ってきて、これに一部削り取られているような感じだった。ネット上で漁ったところではヒットしなかったが、過去に開発計画などあったか…?
それに対して、東側はおそらく往時の姿をよく残しているようだった。麓との往来に便利なことと考え合わせると、こちらが大手なのかも知れない。
それにしても、足利百名山にはこんな道なき山も含まれているのだな…😮
★名草城
栃木県足利市田島町
駐車場はおろか登城道さえ無い。獣避け柵の扉を確認してから駐車場所確保し登降するしか無かろう。
山城
(2024年12月16日 記)