光城は松本から北の犀川右岸に聳える山稜中の、光城山一帯を占めている。
海野一族の光氏が戦国時代に築き、居城としていたと伝わる。甲斐の武田晴信の安曇野侵攻のときに放棄されたらしい。
そろそろ長引く猛暑が身体にこたえはじめたこの日、南側から田沢城とセットで攻略することもできたが早々に放棄し、車で直前まで登った😅
林道をひたすら登って光城山より少し北に進んだところに、山頂への入口がある。
この奥にも駐車場はあるが道が狭いので少し下の路肩が大きく広がっているところに駐車し、歩き出した。
山頂入口から入って車道がヘアピンカーブで右へ曲がっていくところの直進方向、車両進入禁止のバリケードから入ってゆく。
道はしばらく舗装され、緩傾斜で登ってゆく。
5分も歩くと、小さな凹を渡る橋が現れ、舗装道路はここで終点になる。
で、右…
美形〜🥳
木橋は城の北端を仕切る堀切を渡るもので、右側の尾根に見事な薬研のVで入り込んでいた。
東の斜面にも、わずかな長さだが竪堀を降ろしていた😮
橋を渡ると車道は🌿🌿の道に変わって、城の東側の帯曲輪状に変わってゆく。
コースは右に曲がって尾根の上へ登ってゆくが、折られたり上から見下ろされたりして、いかにも城の虎口の雰囲気…
登ってみると…
やはり上の曲輪が正面…
そして切岸の前で守備兵に横腹を見せながら登ってゆく😨
そしてここを登ると、正面に主郭の盛り上がりが見える。
その手前がかなり広い帯曲輪になっている。
この帯曲輪の周り、よく見ると色んなものが見える。
まず、右側の主郭へ登ってゆく階段の下から竪堀が落ちてるな…
この竪堀は急傾斜で5メートルぐらい落ちて、下にごく小さな帯曲輪が続いているように見える。
竪堀の上端をトラバースしてゆく道を入ってゆくと、幅3メートルぐらいと思われる狭い帯曲輪がある。
ここは主郭の西側を南の方まで縁取っているらしい…
足元の帯曲輪は東の方にも伸びている。
こちらの幅は7メートルぐらいある。
先の方で、車道が終点で入って行った帯曲輪から登ってくる道が合流するが、そのあたりは車道にするために少し崩されただろう…
さて主郭に登るか💨
登り口は、切岸を斜めに登ってゆくように付けられている。
階段のために付けられたような感じではなく、しっかり積まれていたようだ。
主郭には光神社⛩️
鳥居はなく、拝殿の中に本殿が置かれているような感じ。
登ってくる虎口も、階段だけでシンプルなもの…
主郭は南北に細長く、北端に光神社がある。
北側の東の縁は、立派な土塁に守られている。
高さは2メートル、天端も幅3メートルぐらいあって、櫓台のようにも見えた。
ここが城内最高所だろう。
奥に入ってみたが、曲輪のように広がってはおらず同じ幅のままだった…
中央には説明板と標柱が立っている。

隅っこには三角点😮
「城山」という三等三角点だそうだ。
三角点から先はだらだらと低くなっている。
道は少しえぐれながら右カーブを描いて降りてゆくが、これは虎口か…?
下へ降りると、主郭の西を北側から縁取っていた帯曲輪に降り着く。
主郭の東西で南北方向への連絡が出来る縄張りだな🤔
さて、この先には主郭部を南北2つに分割している主要な堀切が走っているということだが…
あれか❗️
(安曇野 光城 その2に続く)
(2024年9月24日 記)