光神社の立つ主郭から南に降りてゆく道をゆくと、目の前…
堀切だな😮
今は通り抜けている道が土を盛られて拡げられたのので堀切は付属品みたいな尾根を切るだけのように見えるが、それでもよく残った堀切✨
下から見ると、下の曲輪側の土塁の横から土橋になって堀切を渡り、主郭側の斜面に左へ回り込んで取り付いていた様子が、よく分かる。
これは堀切を渡る土橋に向けて上から斉射するキルゾーンだろう😨
さて、下の曲輪のトバ口も、面白い繋ぎ方になっている。
堀切の縁にかなりの高さの土塁を設け、その内側に曲輪面より2メートルぐらい高い曲輪を置いている。
ん?
これは堀切に対して防御してるのか?🙄
と思って堀切の向こう側を確かめに行くと、わりとゆるい傾斜の竪堀が、かなり大きな断面で降りていた。
これがどこまで落ちているかは確かめられなかった。
山中の道などから到達できる程度の斜度でこの竪堀まで繋がっていたら、ここから寄せ手が侵入してくる可能性もあるだろう。
もしかして、ここに対して防衛戦をしなければならない事態を想定していたのか…?
さて、下の曲輪には休憩所が建っている。
土足禁止で板の間一つ、なかなか小ぎれいな休憩所✨
ここはハイカーが多い山みたいで😊
南の方に行くと、曲輪は西に傾いているようだった。
周囲の斜面は、これまた相当に急傾斜😮
犀川まではまだ遠いが、山頂周辺の急峻な地形を活かして築城されたことが読み取れるな…
東の端には土塁が走っていた。
そして、その外側には高度差無しで帯曲輪が…😮
南に進むと、一段低い空間が広がっていた。
ここからは南に落ちてゆく道が下りていて、それが登りつくところ。
馬出や枡形の役割のある曲輪だろうか。
ここから階段道が下っている。
途中に踊り場みたいなところがあるが…
これは、堀切と言えるか…😮
今はこの堀切を階段道で突っ切って登っているが、この堀切で東へ折れて曲輪の下の馬出状に登ってゆく道がある。
この道がまた、馬出の急斜面にへばり付くように斜めに登っている💦
そして、馬出に登りついたところでヘアピンカーブで左にターンさせられ、さらに馬出の目の前で最後の登りになる。
ここが往時の大手道、虎口ここだったのだろうか…?
今はベンチやテーブルなんかが置かれていて、緊張感とは無縁みたいだけど…
見られたのはこれぐらいで、特に東側の傾斜が比較的ゆるい東側斜面には、今すこし遺構がありそうな雰囲気。
この山稜には、この光城を中心として田沢城などいくつかの城があって、城を築いた光氏の本家にあたる海野氏にとって地理的に重要だったらしい雰囲気が漂っている。
このあとは、車で麓に戻って田沢城へ。
歩いて一気に行かないところがヘタレ…😅
★光城
長野県安曇野市豊科田沢
北側の登り口すぐ北に駐車場あり。城内は整備されて公園チック。
山城
(2024年9月25日 記)