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陣が峯城は会津坂下の町中から真北に4kmほど、県道336号脇の段丘の端を占めている。

郭内に川西公民館がある。

段丘に面した東側以外の三方を二重の空堀に守られていて戦国時代の城のような見た目だが、発掘調査で出土したものなどからは平安時代末期の城と考えられ、縄張りの特徴からは奥州藤原氏本拠だった平泉館とされる柳之御所跡との共通性が見られ、同時代の城であることは確実、さらにはこの一帯の中心的な城であったとのこと。

国指定史跡、Wikipediaに記事あり。


前日に飛山城で時間を食った夏休み遠征、早くもヘタったかこの日は大寝坊して最初の目的地田部原館を出発したのが昼、その後狙った阿賀川沿いの館などはことごとくヤブで敗退、諦めて会津盆地まで一気に降りて次に狙っていたここを訪問した、という体たらく…😅


入口には立派な標柱と説明板が立っていて、手作りパンフレットの入ったポストも置かれている。

 

ここから、郭内に立っている川西公民館に向かって車の通れる道が入っている。

車は公民館前に停めておけるが、どうもあまり使われている様子がないぞ…

 

入口のすぐ奥に土塁の切れ目があるが、これが城を二重に取り巻く空堀の真ん中の土塁で、道は土橋状で堀を渡り、虎口状の土塁切れ目を通っている。

土橋は車が通れるように盛り土されたろうが、往時からあったものらしい。

 

二重空堀の外周が、さっそく見えている。

南側のはカーブしながら向こうまで続いているらしいな😮

 

北側のは、🌿🌿に埋もれて様子が分かりにくいな…

それでも、奥にわずかに見えている道路に沿うように、向こう側へ伸びているらしい。

 

土塁の切れ目の向こうには、二重空堀の内周が這っている。

南側のは草が刈られているらしく、維持の手が入っているようだ。

土橋のあたりで折れが入っている😮

 

北側はこれまた🌿🌿が多めだが、北に伸びつつ東にカーブしているのが見える。

 

二重空堀の間には土塁が築かれている。

虎口の北側は🌿🌿が深そうだったが、南側にはあまり生えておらず地面が見えるので、入ってみた。

虎口から10メートルぐらいが一段高く、その南側は15メートルぐらいが曲輪のように平坦な空間になっている。

幅は最大で7メートルぐらいか。

 

ここから虎口の方を振り返ってみると、天端が一段高くなっているようすが見える。

 

曲輪状の先は両側の空堀がくっついてきて、ハッキリ二重空堀の風貌に変わる。

なかなか刺激的な光景😮

 

もっとも、すぐ先はササのヤブで覆われていた…

 
堀底も、刈り払いされた端っこがクッキリ…
 

装備無しでこの中に突っ込むのは危なそうな感じだったので、ここまでにして土橋へ戻った…😅

 

下の堀は東に向かって断面が大きくなっているとのことだが、見た目でもそんな感じだった。

ただ、堀底に降りると切岸が崩れそうだし、堀底もここから先はヤブのようだったので、上から眺めるだけにしておいた。

 

北側へも、行けるだけ入ってみるか。

 

南側と同じように、北側も数十メートルほどは天端が削平されて曲輪のようになっていた。

 

そして、こちら側も北へ進むほど内周、外周とも堀の断面が大きくなっているようだった。

これは内周のようす。

 

もっとも、こちらの方は🌿🌿が多い上に両側の堀が大きすぎて、広角レンズのワイド端でも二重が写野に入りきらなかった…

 

これ以上はムリそうなので、戻って郭内から観察してみるか…

実際には郭内から近づいてもヤブコギは必要だった…

 

公民館のすぐ横まで入ってくると、二重空堀のようすがよく見える。

一番の絶景ポイントかな✨

 

最初は気づかなかったが、公民館の建っている主郭の南側には土塁がないのに対し、北側は土塁で守られているようだ。

 

入口の説明板(→大きな写真)をよく見ると、公民館の北側に掘立柱建物跡(主殿)とあって、これが主殿と見なされているらしい。

こちら側のほうが重要だったようだ…

 

まずは公民館のある南側を見て回る。

公民館前の駐車スペースの東端まで盛り土で高くされていたようだ。

その東側は台所跡とされていて、1メートルぐらい低くなっていた。

 

南側の二重空堀を見ようと思って覗き込んでみると、一段下がったところに1メートルほどの幅で往時の曲輪らしいところが見えていて、その外縁に土塁が残っているようだ。

他の部分を見ていないので何ともだが、高さ1メートルもないが、往時は堀の内側は全周土塁で守られていたようだな…

 

続いて北側っ💨

 

掘立柱建物があったところは、今は畑になっていた。

もともと畑だったところを発掘調査して、埋め戻したあと再び畑にしているようだな…

 

北の端の方には、低い土塁に囲まれた擂り鉢状の場所。

西の端に稲荷大明神を祀った祠と鳥居が立っていた。

 

ここから北端の空堀まではまだ20メートル近くありそうだが、この通りの🌿🌿だったので入るのはやめた。

 

見られるのはこんなところか。

退散っ💨

 

これだけの土木工事を平安時代末にやっていたのかと驚くような城だが、古代の権力者は中世の武士団などよりはるかに大規模な城などを築いていたらしく、東北地方だけでも前出の柳之御所や横手の大鳥井柵など、大きな空堀をめぐらせて防御力を高めた古代の城はいくつもある。

となると、古代に築かれその後改変や崩壊などすることなしに1000年ちかくもその姿をとどめているということで、驚くべきだろう。

訪れる人も稀でせっかく建てられた公民館もあまり使われていないようすだったが、何とも勿体無いところだ😢

 

★陣が峯城

福島県河沼郡会津坂下町字内

郭内の川西公民館の前に駐車可。

丘城

 

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(2024年8月27日 記)