田部原館は会津田島から会津線で一駅、田島高校前駅の北西500メートルほどの阿賀川に面した段丘上に築かれた方形館。
城主や歴史に関しては全く分かっておらず、立地や形状などから鎌倉〜室町時代にかけてのものと推定されているぐらいらしい。発掘調査も未実施かな?
夏休みの会津〜宮城遠征の二日目、前日に飛山城をじっくり攻めてから北へ走って7月の城攻めで残したここを訪問することにした。
岩手方面に上陸せんとしていた台風5号の動向を気にしながら…
県道347号が会津鉄道の鉄橋をくぐって少し東に行くと、道端に小さな入口の案内が見えてくる。
見逃しそうな小さいやつだが、入ってゆくと300メートルぐらいで直角コーナーになる。
そして、その奥に1台だけ車を停められる。
→現在位置(Googleマップで)
駐車スペース正面に説明板が立っている。
そして、その向こう側が早くも…
土がうねってる🤯
そうとうなデカさの空堀と土塁が、ほぼ完全に残っている🤯
館に近づく前からその様子が見えてきてテンション上がりまくり💓
説明板の前から左に踏跡が伸びているので入ってゆく。
すぐに空堀が目の前に現れる。
踏跡は直角に右に曲がると、土橋を渡っている。
低い位置で渡しているが、なかなかキレイ✨
ここは斜め上から眺めるのが良いかな…
堀は天端間の幅が7メートルぐらいか。
薬研のV字が魅惑的✨
では、虎口から郭内に入ってみるか。
土塁に人ひとり通れるだけの切れ目を入れただけで、いたってシンプル。
主郭はそうとうに広い😮
野球場より少し狭いぐらいか。
南と東が土塁で守られているだけでなく、水無川沿いの平地に面した西側にも土塁のような高まりが見える。
南側、空堀の内側にめぐらされた土塁。
高さ2メートルぐらいのシッカリしたやつ✨
東側は、北に進むほど低くなっているように見える。
低いところで高さ1メートルぐらいか。
低くて崩れる心配のなさそうなところから、足跡をつけぬよう慎重に土塁を登ると、外側の空堀が見えた。
土塁は南に向かって一直線に伸び、先で右に直角に折れている。
ホンモノの方形館なんだな🤗
外側の空堀は、土塁の外側の裾をピッタリ並走している。
南側と同じぐらいのサイズで、反対側の縁がよく見えなくなっている…
北端は大川の段丘に飛び出して終わっている。
同じ断面のままだ。
このあたりで曲輪に戻って、館の北側の斜面を覗き込んでみる…
草木が生い茂っているが、その向こう側で光る大川の河原まで、ほぼ一直線の急斜面😨
この傾斜をしっかり維持していれば、ここから登ってくるのは不可能だろう🙂
ここから曲輪を見返す。
方形をした曲輪周囲が土塁に囲まれている様子が見渡せるところ。
こっちの方も🍄豊作やな…
さて、この館の西側には南端から北に向かってやや東寄りに掘られた、浅い空堀状が走っている。
南〜真ん中あたりまでを横から眺める。
深さ1メートルほどの、ごく浅いやつ。
北へ進むと少しずつ深くなってゆくが、それでも2メートルに届いていなそう。
しかし、底の幅は5〜6メートルぐらいありそう。
なかなかシッカリ掘られたやつ。
これも北端は大川沿いの段丘に飛び出して終わっている。
ここから大川と行き来できるように動線などを入れたような跡は、全く無かった。
振り返ると、これもなかなかカッコいい遺構。
何のために入れられた堀かは、けっきょく分からず…
そして、この浅い空堀状に切り取られたの空間の向こう側には、長三角形の空間が広がる。
東の方から遠望すると、ここが土塁のように見える。
北のほうが一番広く、南に進むにつれて狭くなってくる。
それにしても東側の浅い溝、ここから見ると縁がハッキリ見える…😮
館を守るこちら側の斜面は水無川沿いの平地に面している。
館の近くが緩く、下の方で急になっている。
あまりちゃんとした切岸加工は施されてないな…
この空間の南端は、館の南端のすぐ近く。
先端から北の方を振り返る。
こちら側が頂点、奥に底辺…
この館の見どころはこんなものだろう。
方形館の土木の跡がこれだけ完全に残っているのを見たのは、同じような見た目のものが多い伊賀・甲賀の城を別にすると、上州の江田館や鴻巣の伝源経基館ぐらいだろうか。
河岸段丘を利用した、それも2つの川が合流する突端を選んでいるなど、地形を利用することの巧みさがうかがえる館だった。
会津の隠れた名城だろう😊
ラストに、虎口の前から外の世界を眺めるか…
空堀まわりのヒダヒダが美しい造形だ✨
★田部原館
福島県南会津郡南会津町田島田部原
館の入口前に駐車スペース1台分あり。
丘城
(2024年8月26日 記)