夏場は、涼しく車中泊できる信州を集中的に攻めてたけど、その前はグンマーを集中攻略してたんだっけ…
…というわけで、グンマー攻略を再開するかっと💨
しかし、近江でのお城EXPOの往復でアクセル踏みっぱなしにしていたら右足のカカト上に炎症が出て、イテーの何のって😢
仕方なく、歩きの少ない平らなところという事で、R17上武道路ちかくの江田館に目がとまった😮
 
ココなら、遺構も楽しめる😆
 
館は、上武道路から少し北、県道392号沿いにあった。
駐車場は、県道の脇にチョコんとしたのが…
交通量少ないのでバックで入れられる。
 
入口には説明版が立っていた。
ココは国指定史跡『新田荘遺跡』の一部との事。
 
もともと新田氏の流れを汲む江田氏の館で、その歴史は鎌倉時代の江田行義まで遡ると言われる。新田義貞が挙兵した時には従ったが、西国を転戦しているうちに足利の世になって戻ること叶わず、文禄年間にようやくこの地に戻ってきたのだという。
その後は新田金山城の支城となったが、北条氏に接収されたとの事。
地元には先祖の地として大切にされてきたことで、今の館跡があるという事だった✨
お陰様で、遺構の残りは素晴らしい😊感謝✨
 
早速、入口の左右を眺め回すところから。
見えている空堀の広さ、明らかに戦国時代サイズ🤩
 
まず西側
 
そして東側
 
サイズは戦国時代ものだけど、直線的な縄張りはいかにも中世の館といった趣。
 
せっかくなので、中に入って東の土塁に登ってみた。
こう見ると均されて大人しくなっているように見えるが…
 
東の方に行ってみると…
もう土の曲線美、タマランです🤩
 
その少し先は…
土塁が内側に折れているので左側に伸びていて、外の空堀が正面に見えている。
もう完全にノックアウト🤩
 
さらに進んで北側へ。
土塁と外側の空堀の組み合わせは、他の場所と同じようなものですな😊
 
真ん中らへんに、ちっこい祠が立っていた。
中世の城ではよく見かけるが、かつての城に眠る魂を思って後世の人たちが祀ったんだろう…✨
 
この館は、南と北の辺は直線、東と西に折れがある。
西側を眺めると、こんな感じ。
右側の土塁が、正面で内側に折れてきている。
 
土塁に登ってみる。
正面に伸びてゆく土塁が、奥で左に折れているのが見える。
 
折れのところまで来た。
左に折れた土塁が、再び右に折れて奥に向かっている。
土塁と外の堀が一緒にクランクになっていて、横矢をかけられるようになっている。
 
反対向きに見る。
手前左から入ってきた空堀が、クランク状に折れて右奥に向かっている。
木の枝が少々邪魔だが、絶景ポイントだろう✨
 
そして南側の土塁と堀
ココだけ土塁上にロープが張られている。
確かに、堀に降りると登り返すのは大変そうだ😮
 
これで館の内側から一通り見てきたので、次は外側に隣接する道がある東側に行ってみた。
空堀の南東の端から、館の入口の方を振り返ると、正面からでは分かりにくかった入口が土橋な事が、よく分かる。
なかなかにカッコイイ土橋🤩
 
そして東側を
土塁は、寄せ手に対して身を隠しながら攻撃を加えられるようにするだけでなく、曲輪の様子を外から隠す役割もあることが、よく分かる😮
 
そして驚かされたのが、北東の隅。
空堀の外側、写真右に土壇みたいな高まりが構えていて、空堀目線で見ると堀切みたいにも見える😮
 
ここから振り返る館の東側も絶景🤩
 
館の北東に隣接する土壇のある場所は、黒沢屋敷というのだそうで、江田館の周囲に集住した家臣団の屋敷の一つだったようだ。
土壇は、登ってみるとハッキリした土塁だった。
 
館本体の見どころは、こんなところだろう。
だが、この館の周囲には家臣団の屋敷があって、一部には遺構が残っているらしいというので、次は家臣団屋敷を探索してみることにした。
 
(上州新田荘 江田館 その2に続く)
 
 
(2021年10月29日 記)