横瀬荒神山城は大町の市街地から山稜一つ越えた東の旧八坂村中心地近く、横瀬集落すぐ上の山腹にあった。先週訪問した城峰山城から金熊川を挟んで反対側になる。
今は県道55号のヘアピンカーブ内側に3段ほどの段郭を残すだけになっていて、どのような城だったのかは分かりにくく、歴史も不明という。
またその麓、横瀬集落の中には横瀬館があり、阿弥陀堂の周囲に切岸などが残っている。
先週にこのあたりに来てたくさんの城郭があることを知ったので、引き続きの探索の最初に訪問したが、何しろザーザー降り☔で足元を濡らしながらの傘差し登城となった。
恵みの雨を引き寄せる雨男、本領発揮😂
遺構へは、県道のヘアピンカーブ内側やや下から、🌿🌿に覆われた道が登っている。
が、背丈が膝上くらいあって地面が全く見えない中へ突っ込むのは怖いし、ザーザー降りの中せっかくの傘が役に立たず足元がズブ濡れになるのもイヤだったので、別の入口を探してみることにした。
この日はけっきょく雨の中ちっこい城ばかり3城めぐって足元ビショビショなったけど…😂
ヘアピンの下の方は草ボーボーで、全くダメ…
ヘアピンの上、塩の貝バス停を越えて進むと、数メートル奥の植林地内は🌿が全く無く、城のあるヘアピンカーブの方へ向かって進めば、入城できそうな感じ。
ここから入ってみることにした。
入ってみると、土の急斜面がかなり下の方まで落ちている。
ここから少し降りて踊り場のような平場に出たら、城の方へ少しだけ登りつつトラバースしてゆく踏跡がある。
これをたどって、平場のようなところに登り着いた。
どうも南東に向かって道と並行するように下っていて、曲輪じゃないようにも見えるが…
上の段との間は、高さ3メートルほどながら立派な切岸✨
奥まで行くと、県道のヘアピンカーブ内側で何となく平場のようになって終わっていた…
よく分からんな…🤔
ここから上の方に斜めに登ってゆく踏跡があったので入ってみたら、ヘアピンカーブ付近から登ってくる道に出会った。
🌿🌿がとても深く、今突破するのは危ないと判断したところだ…
登ってゆくと、上の方に赤い屋根の祠が見えてくる。
そこから右に、何となく曲輪のようなものが伸びているのも見える。
ここは、城とわかっていれば立派な段郭だった。
広さはバドミントンコートほどで、上にもう1段あるのも見える。
赤い屋根の祠。
あたりはササが深いがちゃんと祀られているらしく、御神域を守る縄も張られている😮
奥の方まで行ってから、曲輪全体を眺めてみる。
やっぱり、全体が細長くて道のような見た目…
上段の曲輪へは急斜面を登れそうなところを探して登るのだが、真ん中あたりが緩傾斜になっているので、そこから登ると良い。
削平はしっかりしていて、南東―北西方向に細長い段郭になっている。
県道側を仕切る土塁にも登ってみるが、天端からの見た目は思ったより大人しいな…
向こう側は県道の法面だが、天端ちかくは思ったほどバッサリではない。
退城前に、上段の曲輪を北西の端から眺める。
ササに覆われてるけど平らな奥に見える土塁が、何となく城郭らしい雰囲気でしょ…😅
さて荒神山城から出たあとは、そのまま県道を反対の国道19号方面に少し下ったところの横瀬館に向かった。
横瀬の集落に入ったところで小さな沢を渡ったすぐ先が入口。
住宅の庭先みたいなところだが、横をすり抜けて奥の方へ入ってゆく、ハッキリした道が伸びている。
100メートルも入れば、阿弥陀堂のある盛り上がりが正面。
この道、じつは土橋状に盛り上がって登っている。
周囲は、鋭い…とまではいかないが、土の安息角ぐらいはありそうな急斜面になっていた。
金熊川に流れ込む沢に面したところはストンと落ちているようす。
館の最高所に立つ阿弥陀堂は、だいぶ痛みがひどいようだ…😢
周囲は墓地になっていて、手は入れられているようす。
遺構は城郭であることがやっと読み取れるかな、という程度だったが、それにしても大町の市街地から相当離れたこの山中に雷電城、城峰山城…とまとまった数の城が築かれているのが興味深いと思った。
今のこのあたりは鄙びた山里のイメージだが、当時は城をいくつも築いて統治したり防衛拠点にしたりできるほど、この地域が豊かだったことを物語っているのだろうか…
ラストに、ちょっと道草した八坂の大滝を…
水量多い森の中の低い滝、なんて勝手なイメージ抱いてたら、実物は真逆だった😂
★横瀬荒神山城、横瀬館
ともに長野県大町市八坂
駐車場は無いが荒神山城下の県道路肩にスペースがあるので短時間なら置いておけるだろう。
山城、丘城
(マップは荒神山城の位置)
(2024年7月26日 記)