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林外城は鹿島神宮あたりの市街地から北に5kmほど、北浦沿岸と荒野台駅の中間ぐらいにある。台地と谷戸が入り組んだところの台地端を上手く利用した丘城。

桓武平氏に始まる名族鹿島氏の一派が平安時代末ごろにここに本拠地を置いて林氏を称した。築城時期は分かっていないが室町時代中期には城があった記録があるとのこと。


午前中に近くの龍会城を収めて、午後になってからの登城となった。城域が広大なことは下調べでわかっていたので、時間を気にしながらの訪問になった😅


現在位置(Googleマップで) 

訪問日現在、城の入口がある「鹿嶋ハイツスポーツプラザ」北側の谷戸一帯では大規模な工事が行われていた。

休日だったので工事車両の往来は少なかったが、平日は周囲に車を停められないかも知れない…


城への入口は、このゴムマットが敷かれた道。


このまま工事現場に突っ込んでしまいそうで心配になるが、突き当たると右に折れて山の方へ導いてくれる。

ヨカッタ…


山に入ると、しばらく山裾を這うように進んでゆく。

なかなか登っていかないので心配していると、右手に白い鳥居が現れる。

扁額に「林権現」とある。


右隣には、「平地林・里山林の保全標識」なる札が立っている。

この城址の整備は地元ボランティアの手によるとのことだが、行政の手も入ってるのか…?


そう思いながら鳥居の反対側を見ると、城の説明板が立っていた。

市の史跡にはなってるんだな…


直進すると主郭部の北辺へ、鳥居から登ると主郭部の南北の曲輪間に出られるらしい。

ここは、一気に主郭へ突っ込んじゃえ💨


尚、ここを直進すると主郭部の南に横たわる巨大空堀に直接出られる。

途中には、いかにも堀底状に穿たれたところもあって、往時からあった道なのかと思わせるところ…


今回は直進せず、鳥居をくぐって主郭部の北から入ることにする。

道は次第に竪堀状になって登ってゆく。

急斜面を斜めに登っているが、それでもけっこうな急坂💦


右側の盛り上がりは、外が数メートル低くなっているので、人工的に積み上げた土塁だな🤔


100メートルほど先で左に折れると、こんどは奥に見える曲輪のようなところへ向かって一直線。


登りきる寸前で右を見ると、土塁の切れ目の奥に小さな祠が立っているのが見える。

これが鳥居にあった林権現か…


これまた短いが急な坂を登ると、そこは主郭を囲む土塁の北東端にあたり、櫓台のように広くなっていた。

灌木でよく見えないが、高さは3メートルはある。


ここは周りを土塁状に囲まれて一段低くなっている。

祠を立てるときに櫓台のてっぺんを削ったような感じ。


ここからは南と西に土塁が伸びている。

南の方


西の方


どちらも灌木のヤブの中だが、曲輪から3メートルも積み上げた土塁は威圧感十分だったに違いない✨


さて、鳥居からの道に戻ると、すぐ目の前に主郭部の北側を占める曲輪が広がる。

サッカー場をタテ・ヨコそれぞれ半分にしたぐらいの広さか。


先ほど登ってきた道の続きのように、西端の土塁の裾に沿って浅い横堀状が伸びている。

動線をここに通して、曲輪の奥から入らせてた?


東側に、小さな土塁の切れ目が見える。

ササなどの中で写真映りが悪いので、奥に行って撮る。


単に土塁を切っただけかと思ったら、右下から登ってくる動線があった😮

本物の虎口だったのか💦


中央部では、主郭部の南の曲輪との間の高い土塁が途切れ、一段低くなって繫がっている。


その南隣、ふたたび土塁が始まっているところの裾に、南北に長い大きな穴が空いている。


これは水を貯める井戸だったのだろうか?

それとも、じつは主郭部の南北間はこれだけの深さの横堀で仕切られていて、中央部が埋められて残ったのだろうか…?🤔


この穴の南端あたりで土塁が切れ、南の曲輪との間で往来が出来るようになっている。


南西の端っこには、虎口状が開いていた。


その奥で、ちっこい虎口状になって、この空間は終わっている。


んだが…


向こう側、ヤバくね…?


鹿嶋 林外城 その2に続く)

 

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(2024年3月29日 記)