主郭部の東半分を占める曲輪には、北、東、そして南西の3ヶ所に虎口らしいものがあった。
最後に見に行った南西の虎口状の外に横たわっていた空堀はすごい急傾斜で降りられなそうなので、先に主郭部の南の曲輪を見に行った💨
ツバキ咲いてる🌼
南の曲輪は、北の曲輪より若干広いみたい。
それでもソフトボール場ぐらいか。
植えられたツバキが何本か、花を咲かせている。
北の方は、植林が伐採されずに残っている。
丸太や枝打ちされた枝が積まれて、今なお整備中の雰囲気…
こちらの曲輪も、四方を土塁で囲まれて、ガッチリ守られている。
灌木のヤブで見づらいところが多いが、南西の方が見やすくなっているので、そちらで観察すると良いだろう。
西側のものは、高さ2メートルちょい。
これでも立派な方なんだが、南の方は…
高ぇ〜っ🤯
高さ3メートルなんてもんじゃない😮
こんな天端を見上げるような土塁は、中世の土の城ではなかなか見られないだろう。
同じように四方を土塁で囲む伊賀・甲賀の城にも匹敵しそうと思った。
この土塁上への踏跡にはトラロープが張られていて、登ることが出来るらしい。
高低差があって、わりと息が切れる💦
天端の幅は3〜4メートルある。
東西に細長い櫓台のような雰囲気。
東の末端近くは特に広くなっていて、トラロープで外に出ないよう規制されている。
これだけ高くて急峻な土塁だと、落ちると事故になるから危ないんだろう…
城の遺構は少なからず人身事故になるような危険箇所を含んでいるので、整備する方も気を遣うんだろうな…
気を引き締めんと…
何しろ、下は…
空堀の底まで、高さ10メートル、斜度60°…💦
落ちたら死ぬわ…💦
で、土塁の見学を終えて降りようとしたところで、左右に1メートルばかりの間をおいて並ぶ石があるのに気づいた。
南側のやつ、表面を線状にはつった跡が何本かある。
往時のものかどうか分からんけど、何か立ってたんだろうか…?🤔
さて、土塁から降りてきた曲輪の南西端からは、裾を通って外に出られる踏跡が付いている。
単なる踏跡ではなく、ちゃんと人が通れるバンドになっている。
ここを降りてゆくと、周りより一段低くなった空間が横たわる。
すでに巨大空堀の雰囲気だが、ここは水の手などの曲輪だったかも。
ここから左に曲がって、奥に入ると…
‧˚₊*̥(∗︎*⁰͈꒨⁰͈)‧˚₊*̥
左の主郭部のほうが高さ10メートル近く、外側は3〜4メートルぐらい、底の幅も5メートルぐらいある。
これが長さ100メートルぐらい、城内を南北の二つにスッパリ割っている。
もっと北の小幡城に匹敵するか、というようなデカさ😮
ここから水の手みたいな空間を振り返ったところ、絶景かも✨
北側にそそり立つ土塁、高いわ…😮
横堀を北の方へ進むと、底がだんだん低くなってくる。
真ん中あたりから北を望むと俯瞰するような感じになって、雄大さがよりハッキリ✨
主郭部の北側の曲輪南西にあった虎口状も、左手に見えてくる。
上から見たときはここで終わりと思ったが、よく見ると堀底から斜めに登ってゆくバンドがある。
ここも実際に虎口だったか😮
じっさい、登り口の向こう側にこんな手作り感たっぷりの案内が…
主郭部の東側を占める曲輪が2の丸だったのね😊
となると、西半分が本丸…主郭かな?
横堀はそこから少しで東側の斜面に抜け、登り口まで道となって繫がっているようだ。
ここから振り返っても絶景✨
さて、ここからは南側の曲輪に登る道も付けられている。
トラクター道か何かと思ったら、途中がちゃんと掘り下げられて、虎口みたくなっている。
登りきった先の曲輪は、恐ろしく広い空間だった。
ここも整備なうの光景…
何もないわけではなく、部分的に土塁が残っている。
巨大横堀の西端に横たわる空間に面した側に、土塁がはっきり残っている。
西端も土塁で守られていて、そこから曲輪内に張り出すような土塁も伸びていた。
曲輪の西寄りを南北に走る、こんな低い土塁も…
ここには屋敷とか兵舎とかが並んでいて、それらを区画してたやつだったか…?
さて、曲輪の東の方には行かずに道のようなところを南下してゆくと、行く手に高い土塁が現れる。
で、真ん中あたりが左と右で食い違ってる…🤔
これは、この間に何かあるだろ…
(鹿嶋 林外城 その3に続く)
(2024年3月29日 記)