鹿沼城は鹿沼の町のすぐ北、御殿山公園が城域だった。現在は野球場になっている一帯に主郭があり、周囲に土塁や空堀が残っている。
戦国時代の天文元年(1532年)に北隣の坂田山城に代わる居城として壬生綱房が築いた。壬生氏はもともと宇都宮氏の麾下にあったが、後北条氏が進出してくると城主であった壬生綱雄はそちらに鞍替えを画策し、叔父の壬生周長と対立した挙げ句に城内で殺害されるという事件が起きている。子の壬生義雄が仇を討ち、後北条氏のもとで天正十八年(1590年)の小田原合戦に参陣したが戦後に急死、壬生氏は断絶するとともに城も廃された。
Wikipediaに記事がある。
この日は三連休が取れたので、下道遠征では少し遠い栃木方面に遠征することにし、最初の目標にした。
御殿山公園の駐車場はかなり広い。
ここに車を置いて出発💨
城山の斜面の上は野球場だが、斜面がもう切岸のような急傾斜…
公園野球場の入口から登って、そのまま進むと野球場に入ってしまう💦
右と左に、園内の他の部分に通じるらしい歩道が付けられている。
まずは左へ…
右手に野球場の外縁、左下に駐車場が見える。
その間の狭い犬走り状になるが、これが往時のものか後世に改変されたものかは、ちょっと分からん…
物置小屋のようなものが2軒立っているところの奥、野球場のレフト側ファウルグラウンドの外あたりから、削平された曲輪が始まっている。
これが二の丸のようだ。
少し先、レフトスタンド側にも下から車道が登って来ていて、このあたりは崩されたようだ。
二の丸はその向こう側にも続いていて、今は駐車場になっている。
トイレなどが建ってすっかり公園の雰囲気だが、土塁に囲まれているあたりに城郭の面影が残ってるな…✨
車道を少しだけ降りてゆくと、途中に城址碑が立っていた。
その横から二の丸へ登ってゆく階段道、何となく竪堀状に見えるが、往時の登城道に階段を付けただけで残ってる??😮
城址碑の西側に広がる駐車場が、三の丸。
奥に大きな建物が見えるが、武道館とのこと。
その入口近くに説明板が立っている。
本丸、二の丸を地均ししただけなら良いのだけど…🥺
二の丸の駐車場に戻ってさらにライト側へ行くと、下に降りる小路が分かれ、野球場を囲む土塁がコンクリ壁になってしまった…
外側には土塁のような盛り上がりが…
その上に登って、外を見下ろしてみると…
めっちゃデカい横堀が、見えるんすけど…😮
さっき分かれた小路のところまで慌てて戻り、降りてゆく💨💦
降りたところは三の丸の西端あたりで、道が二叉になっている。
右へ入ってゆく。
30メートルも進むと…
来ましたヨ…
広々〜🙌
深いっ😮
この空堀、長さは50メートルあるかないかだが、右側の本丸までの高さは10メートルは下らないだろう。
入口でカーブ、さらに中央で大きく折れてさらに末端でもカーブ。
手が込んでいる…
西側の終端付近では土嚢が置かれて斜面の崩落を防いでいる。
それぐらい急傾斜の斜面になっているという事だろう。
この空堀からはどこにも出られないので、本丸外に戻る。
本丸野球場のライト側を内野の方へ進んでゆくと、だんだん高くなってくる。
幅広の土塁のような上を進み、奥で一段登る。
よく見ると、その外側の斜面下はヤブに覆われているが、これも空堀らしい😮
高まりの先には「太夫殿」という曲輪がある。
野球場のある本丸からさらに10メートル近くも高い。
本丸に向かって切岸加工された斜面がハッキリ😮
中には、大きな慰霊塔立っている。
前には鳥居も立っていて、この曲輪の御本尊様みたくなっている。
そして、西側は立派な土塁で守られている。
土塁には登り口が2ヶ所付けられ、天端は道のようになっている。
で、その外側…
空堀らしいんですが、降りられませぬ…💦
何しろ斜度は60°ぐらい、高低差は10メートルを優に超えていて、灌木は生えているが落ち葉も積もって、とても登降出来そうにない…
仕方なく、ここは下から攻略することにした。
一旦公園を出て、城の北で丘を横切る道から入り直し…
この空堀、城の西側を走る道路にそのまま繋がっていると思ったら、ヤブっぽい急斜面を一段登ったところから始まっている。
道端の作業小屋ちかくを通るので入って大丈夫か感満載だし、急斜面のくせに土が軟らかくてズルズル崩れそうになるし、危ないったら…💦
そして…
ヤブやんけ〜🔥
堀底は、何メートル先も見えないほどというわけではないが、堀の曲線をまったく捉えられないような、濃いぃ🌿🌿にシッカリ覆われていた。
少し先には右へのハッキリした折れとかも見えるのに〜
こりゃぁ奥まで行くなんぞムリや〜
さっさと退散💨
そのまま隣の坂田山城を攻めることにした。
★鹿沼城
栃木県鹿沼市西鹿沼町
御殿山公園の駐車場が利用可。
山城
(2024年3月26日 記)