坂田山城は鹿沼の市役所の西隣に構える御殿山公園=鹿沼城の北側にそびえる小さな山林の中に隠れている。
鎌倉時代に佐野氏から分かれた鹿沼氏が築城して本拠地とし、戦国時代の大永三年(1521年)に宇都宮氏に攻められ落城したという。その後宇都宮氏麾下の壬生綱重が南隣の御殿山に築いたのが、鹿沼城であった。
好天ながら日陰に雪の残るこの日、鹿沼城を首尾よく攻略した勢いに乗り、ヤブが多いというこの城に思い切ってアタックすることにした。
御殿山公園の駐車場に車を置いたまま、その足で登城口を探す。
南側は鹿沼城と尾根続きだったが、今は道路で断たれている。
こちら側は高い法面で固められ、西の方は杉の植林地になっているが道は無さそうだったので、ネット上の情報どおりに北の方から入ることにした。
駐車場とコンクリブロックの間の細い通路を抜けると、左に登ってゆく階段が現れる。
階段はえらい急傾斜を直登している。
しかも、高いっ💦
梢は被ってきてるし、🌿や落ち葉にも覆われている…
見るからに、ヤバそう😨
少し動く段もあるが、大体がしっかりしているのでコケないように注意しながら登ってゆく。
草刈りの手は入っているように見える…
登りきると、右に折れて水平に進んでゆく道があった。
尾根の西側をトラバースしている。
えらいヤブという情報だったが、階段も付けられている❗
地元の方が整備に動き出してくれているのか🙏
階段道の始まるあたりの、左側の尾根に刻まれてるコレ…
鬱蒼たるササヤブの中だが、最初の堀切か😮
この右側が主郭の切岸なので、それを囲む空堀の突端だった…?
これは最後に分かった😅
階段になった歩道は、正面の高まりに向かって登ってゆく。
ほぼ直登…
主郭はけっこう広く、野球の内野ぐらいはあるか。
きれいに刈り払われていて、曲輪の形がよく分かる。
中央に祠が立っている。
北端には土塁の跡らしい、僅かな盛り上がり。
周りには、祠のちっこいのとかがいくつも置かれている。
主郭についていた、南に向かうらしい踏跡の先には、小さな虎口みたいな…
ここから下に降りられるらしい。
降りてみると、立派な空堀にT字路のようにぶつかっていた😮
少々ササで見づらいが、ここで驚くべきは、これ。
恐らくは空堀を覆っていたであろうササや灌木の枝を、刈り払い切り落したであろう束が、堀の端にうず高く積まれていた🤯
ここはネット上にも情報の少ない、超マイナーな城と思われるが、こんなところに手を入れてくれていたとはっ🙏
そして、この空堀は西の方に伸びている。
端のほうまで行って振り返ると、けっこう奥行きがある😮
その先、さすがにヤブが濃いぃが…
この下、でっけぇ空堀やな🤯
ここ、すぐ下が空堀のT字路になっていた。
中は灌木に覆われて様子が窺えないほどだが、向こう側の土塁の天端がシッカリ見えている😎
これは、堀底に降りねば…
堀底までは落ち葉の積もる急斜面なので、慎重に降りてゆく。
幸い、掴まる灌木などはたくさんある。
そして…
けっこう見えるやん🙌
T字路から左の方に落ちていたらしい竪堀はヤブまみれ、すぐに土取りされたらしい斜面に飛び出して終わっていたが、右側の方はけっこう奥まで見通せた✨
奥に向かって登りつつ、右にカーブしている様子が見える。
外側の土塁にも登ってみたが、幅はあるものの高さはそれほどでもなかった。
この土塁は、細尾根となって南の鹿沼城の方に向かって伸びている。
左側が土取りされていて、往時がどのような感じだったかは分からない…
土塁の外には、曲輪にも見える小さな平場があったが、そうだとしても削平されている部分の広さは六畳一間ぐらいか。
これは城の遺構ではないのかな…?
さて空堀にもどって北へ進んでゆくと、すぐにササヤブにぶつかった😨
ここで終了か、とも思ったけど…
向こう側、見通せなくもない…
というわけで、突入💨
ササしかないように見えるけど、目の当たりにすると、ちゃんと堀の中にいるのが分かる😎
この先、ヤブはさらに濃いぃくなっていったが、50メートルぐらいのわずかな距離でもあり、難なく突破🙌
ちゃんと、最初に出会った堀切の下に到達した。
東側は土取りされて旧状が分からなくなっているが、他の方向はアップダウンのある空堀でしっかり守られていた。
単郭とは言え、しっかりと守りを固めた城だった。
ここは鹿沼氏が長い間本拠としていた城らしいが、それに相応しい堅城だったのだろう。
そして、ヤブが酷いマイナーな城というイメージだったこの城に、手作りでしっかりとした歩道が設えられていたことに驚かされた。
空堀の一部にうず高く積まれるほどの刈り払いや枝打ち、多くて数人での作業だったのだろう🙇
★坂田山城
栃木県鹿沼市坂田山
御殿山公園の駐車場から徒歩5分。北側から入る。
山城
(2024年2月13日 記)