前山城は蓼科山から北東に伸びる尾根の末端、佐久平を南西から俯瞰する位置にある。
中部横断道が近くを通っているが城域は崩されずに残っていて、城内では喧騒が聞こえる程度。
近くの佐久南IC隣りにある宝生寺砦は、この城の前衛を守っていた支城らしい。
室町時代の文明年間に伴野光利が築城し、平地にあった伴野城から移って居城としたという。戦国時代には甲斐から侵攻してきた武田氏の傘下に入って拠点の一つとなった。武田氏滅亡後は後北条氏についたが、天正壬午の乱で徳川方にいた依田信蕃に攻め落とされたという。
Wikipediaに記事がある。
いよいよ山城に登るにはキツイ暑さになってきたこの日だったが、さすがに標高が高くて朝晩は涼しい。
ぐっすり眠って、いざ登城と相成った。
城への登り口は、国道などからは少し山寄りをウネウネと辿る県道145号からになる。
集落の中を通る狭い道なので注意。
登城口には、だいぶくたびれた看板が出ているので、ここから入ってゆく。
この奥に車を停める場所は無い。
って…
こんなとこ通るのかい?
どう見ても、道というよりコンクリブロックの天端…😨
それでも、城山の盛り上がりにぶつかると、ちゃんとした山道になり、杖代わりの木の枝も並べられている。
ここからは、しっかり踏まれた山道になる。
少し登ると、何となく段郭が連続している場所に出る。
空も見えないような竹ヤブの中だが、道はしっかりしている。
ここから主郭の下に出るまで、数十メートルの間はササヤブのトンネルを通過することになり、まったく視界が利かない😨
黙々、黙々とトンネルを潜りながら登ってゆく…
このヤブはほんの数十メートルで抜けられる。
すると、上の方に主郭が見えてくる。
あずまやが目立つねぇ〜
登りつくと、南に向かって細長い平場が伸びている。
これが主郭。
主郭はこの豊受大神宮までで、左側から降りてゆく道を進むと、奥は一段低い曲輪になっている。
ここには米倉が置かれていたとされ、焼けた米も出土したらしい。
(佐久 前山城 その2に続く)
(2024年1月30日 記)