辛垣城は青梅丘陵の中央部、辛垣山の頂上付近に主郭があり、東や南の尾根のかなり広い範囲に曲輪を連ねている。
鎌倉時代からこの一帯に勢力のあった三田氏により永正年間に築城されたが、間もなく北条氏照の攻勢により落城したという。
Wikipediaに記事がある。
まずは手前の名越峠を通過。
ここへは二俣尾駅に降りる道があるようで、辛垣城ひとつだけを目標にするなら二俣尾駅からのピストン山行も良いかも知れない。
もっとも、ここは青梅駅から雷電山まで続く青梅丘陵ハイキングコースのポイント…
(電子国土web中に筆者作図)
さて、峠から登って水平になった尾根の向こうに…
見えてきたようだ🙌
ハイキングコースは尾根の南側をトラバースしつつ登っているが、すぐに「辛垣城跡登り口(急坂)」なる案内が立っているので、そちらへ入ってゆく。
で、すぐ上に堀切やね😮
コレが、最初に出会う遺構。
ごくちっこいヤツだが、V字はしっかり残っている。
道は堀切には入らずに左へ折れ、尾根を急傾斜で登ってゆく。
多少折れつつも斜面をほとんど直登で、上の曲輪へまっしぐら💨
曲輪の直下はS字に曲がっているが、これが往時からのものか、後世付けられたものかは、もう分からん…💦
上の曲輪は城の東端にあたるが、バドミントンよりも狭いかという、ごくちっこい曲輪だった。
それでも、きちんと真っ平らにされているのは紛れもない城の曲輪だった証だろう。
ここから、短い尾根の先に次の曲輪が見える。
この曲輪への登り口は、正面に突っ込むのではなく左側に捻っている。
虎口らしい造作はこれだけで土塁などもないが、間違いなく城の虎口だった✨
上の曲輪は、先ほどのより倍ぐらいの広さはありそうだが、小さな戸建住宅ぐらいの広さ。
そんなに大きな兵力を駐屯させるような場所では無さそう…
先へ進むと、一旦少し下った向こうが大きく盛り上がっている。
植林に阻まれて上の方の様子は窺えない…
地形図を見ると、てっぺんまで50メートルぐらい登るらしい。
道はあるが、かなり急な斜面をほぼ直登💦
…
これって、もしかして…
うわ〜っ🤯
期待もしなかった岩盤虎口っ🔥
しかし、恐らく後世の所作の跡なことが、あとで分かってしまう…
これには心底ビックリした。
最初は堀切かと思ったが、奥に向かって階段で登った先は平面なようだ。
登りきる手前なんか、井戸から這い登ろうとしているような感じがするもん🤯
登りきった上にある主郭は、周囲をかなり高い尾根に囲まれていた。
虎口側が狭くなっていて、堀切の続きのようにも見えた😮
奥は右側に広くなっている。
倒木や枝打ちされた枝などが散乱して、少々荒れている感じ…
主郭には古びた説明板が立っている。
この城では過去に石灰石の採掘が行われていて、この主郭部は相当に掘り下げられているらしい。
先ほどの大きな虎口も、もしかしたら採掘関連の遺構なのかも知れない。
それなら納得だが、立派なものだ🤗
そんなわけで、残念ながら主郭まわりに城郭遺構が残っているかどうか、はっきりしないらしい…
主郭からは、さらに西の方に道が続いている。
一旦南の尾根に登って、西に続く尾根に進む。
ここなんかも、ほとんどが採掘遺構か…?
さらに先の、こんなのも…
しかし、その先のこの平坦地は、恐らく城の曲輪だろう。
ちゃんと削平されていて、雰囲気が下の曲輪とか、あるいは枡形山から来る途中で通った物見山にも似ているような…
ここは辛垣山の山頂とのこと。
ここからは急な下りになる。
高低差20メートルばかりだが、岩盤の上の砂利っぽい滑りやすい道を慎重に降りてゆく。
そして…
コレはホンモノやろ❗
降りきったところには、そんなに大きくはないけどかなり抉られた堀切と、左端で渡る土橋が見えてきた。
右側に降りてゆく竪堀は、かなり深く抉られていた😮
左側のは痕跡程度…
ここから見上げる主郭は、ほとんど絶望と思えるような威圧感があった。
城はこの堀切までらしい。
ここから続く尾根を進むと、先ほど通ってきたハイキングコースに出られるので、戻らずにそのまま先へ進む。
ただし、コースに戻れるのは尾根をだいぶ奥の方まで進んでからになる…
その少し手前の尾根上…
巨大な横堀に見えそうなコレなんかも、採掘遺構なのかな…?
地形図ではこのあたりだけど…
城からはだいぶ離れているし、今まで見てきた城の遺構と比べて巨大すぎるし…🤔
少し先のコレなんか、完全に竪穴だな…
この竪穴のすぐ先で、ハイキングコースに合流する。
城域はとっくに出ているし、もう日も暮れかけているので、急がなければ💦
ハイキングコースは城の主郭よりもかなり低いところを通っているが、この沿道にも曲輪があるらしい。
一番目立つのは、道の右下に見えてくるコレだろう。
その先に二俣尾駅方面に降りられる分岐があり、傍らに説明板も立っている。
…というわけで、思わぬところで城の遺構にぶち当たっちまった😮💦
チャチャッと探索じゃ💨
分岐点から少し行くと、草の生えた平場の中を経路が通過している。
説明板では、曲輪6となっている。
コース沿いにかなりの広さを持っている。
これ以上進むと城の東側入口まで戻ってしまうと思われるので、今回はここまで。
もうじき日も沈みそうだ…
説明板前から二俣尾駅の方に下山するか💨
下山路は、曲輪4の東端を降りてゆく。
その南端のココなんか、登ってくる寄せ手を一段高いところから迎撃も出来るようになってるな…😮
下から見ると、道が右に折られて正面の台上に曲輪…
高さは3メートルほどなので銃火器で武装した相手には通用しなかったろうが…
その先には、背の低い送電鉄塔が立っている。
説明板には記されていないが、曲輪5の付け根にあたる。
またコレやるか…😮💨
その奥は植林の平場が広がる。
曲輪5だが、もう暗くて写真が撮れなかった…💦
その末端まで行くと…
大きくはないけど、ちゃんと掘られてるじゃん👏
城の南尾根側の末端を仕切っている堀切は、夕闇迫る中でもハッキリそれと分かった。
外側から見ると、曲輪5の切岸もそれなりの威圧感を見せる。
ここから下には、遺構らしいものは無く、二俣尾駅北側の集落まで単調な尾根下りだった。
ただ、集落に降りるところが少しヤブっぽくなっていた…
主郭まわりが石灰岩採掘でボコボコになっているのを別とすれば、遺構は素朴で規模も小さいという印象だったが、曲輪などを置いている範囲が想像以上に広かったのに驚かされた。
ときの城主三田綱秀は北条麾下にいたが長尾景虎が関東に出陣してきたときに寝返り、景虎の撤兵後も抵抗を続けて敗れ去った。最期は険しい山道に攻めあぐねた北条勢により城下の急斜面から火攻めにされたという。
中世を通じて地方の中小領主は戴く主君を鞍替えしつつ生き延びてきたようだが、そのような事が出来なくなる時代の到来を告げた戦いだった…のか?🤔💦
★辛垣城
東京都青梅市成木
麓の駐車場は有料で1台分ずつ程度。JR青梅線二俣尾駅から徒歩が無難。
山城
(2024年2月28日 記)