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枡形山城と辛垣城はJR青梅線二俣尾駅の東側に構える青梅丘陵の尾根上にある。青梅丘陵はJR青梅駅の北あたりから西北西に伸びる尾根を中心として南北に多くの尾根を下ろす低山で、ハイキングコースが縦横に走っている。

この中央部、二俣尾駅の東方に伸びる尾根の途中に枡形山城が構え、メインの尾根に控える辛垣城の玄関口になっているような位置関係になっている。

枡形山城・辛垣城周辺 (電子国土web中に作図)


辛垣城は鎌倉時代から青梅一帯を治めていた三田氏が永禄年間(1558〜1570年)に築いているが、枡形山城については明らかでないらしい。両者の関係についてはいろいろな考えがあるようで、辛垣城の支城として三田氏が築いたとも、辛垣城攻略のために後北条氏が築いたともいわれる


城への登り口は一つ手前の石神駅と二俣尾駅の中間付近にあって、このあたりは国道にも周辺の路地にも車を停める場所が全く無い。

ネット上で探した駐車場を予約したが、個人の方が自宅脇のスペースを提供して下さっている場所らしく、広さは1台分、普通乗用車の車幅ギリギリだった。

ともかくも、車を停めて出発💨

 

現在位置(Googleマップで)

城への登り口は、泉蔵院の小さな墓地を少し過ぎたところから右へ。

 

草に埋もれかけているが、ちゃんと道標が立っている。

 

道はしっかり踏まれていて、急斜面はつづら折れなどで登ってゆく。

少し掘られているようだけど、往時からの道かな…?

 

これはさすがに、トラクターとかが通れるように切り広げ、掘り下げられてるかな…?

ところどころコンクリで舗装もされている。

 

途中には、山の神が祀られている。

Googleマップにも載っている、小ぢんまりとしたところ。

 

山の神の先で右上に道が分かれているが、ここは直進。

ちょっとしたつづら折れを登り切ろうかというところで、正面に木の鳥居が見えてくる😮

 

道は右に曲がって尾根に食い込んでいる。

ここが主郭まわりと東側とを分ける堀切になっている。

小さいが両側の斜面は鋭く、岩盤チック😮

 

奥に入ってから振り返ると、堀切の間から多摩川沿いの谷と山が見える。

 

堀切の外側には、城の南東端を占める曲輪がある。

それを見に登ってみる。

堀切の奥側の斜面が踏まれているが、隣の樹林帯から斜めに登ってゆく方が遺構を傷めないだろう。

 

堀切に面した突端。

樹林の中で見えにくいが、堀切へはストンと落ちる段になっていて、中を通る寄せ手に側面攻撃ができる。

平時は向こうの主郭側との間に橋を渡して往来していたようにも?

 

反対側はわりと細い尾根で、樹林の中に踏跡が伸びている。

 

ここを奥へ行くと曲輪だが、それほど広くはない。

灌木に覆われて全体の様子がわかりにくい…💦

 

が、南端には下から入ってくる竪堀状が😮

 
正面から見下ろす。
 

この下にはごく細い武者走りのようなものがあって、そこから曲輪に登ってくる虎口らしいが、灌木に覆われてよく分からない…

この後、下から回り込んでみた…

 

下の武者走り状へは、途中の尾根から曲輪に入ってくる途中から入ることができる。

が、灌木がかぶっている上にナデ肩にもなって、じつに分かりにくい…

 

それでも進んでゆくと、曲輪南東の先端あたりにある小さな曲輪に行き着く。

やっぱり灌木でよく分からない…

 

虎口状は、その奥にある。

ちゃんと、この小さな曲輪から出て、上の曲輪の切岸に食い込みつつ登っている。

 

南東側はここまでか。

最初の堀切に戻る。

 

主郭の方へは、せっかくなので鳥居をくぐって登ってみるか💨

早速、草に埋もれながらも石段が設えられている。

 

すぐに尾根に出て、コンクリ舗装にステップが付けられた所もある道を登ってゆく。

悪路だったところが、訪問客のためにずいぶん整備されたようだ🤗

 

そして、主郭。

わりと色んな物が置かれている…

 

すぐ左に真新しい竣工碑。

ここの整備は地元の建設会社の手で施されたようだ。

大きな改変がなく、歩きやすい道を設えることを主とした整備のようで好感が持てる。

 

奥には小さな祠。

きちんと祀られている。

 

主郭は野菊の園になっていた❁

ちょうど10月、秋真っ盛り。

 

さて、この先へは祠の横から降りてゆく道がある。

「←ハイキングコース」という小さな矢板があるが、なかなか急な下りで歩きづらい💦

 

もう少しで下りきるか、というところで右に分岐が…

主郭の北の裾に帯曲輪がある。

 

下りきると、わりと細い尾根上の道になる。

 

そして、50メートルも行かない突端に小さな曲輪😮

 

その下は落差5メートルほどながら急傾斜で下っていて、道はS字を描いて降りてゆく。

この曲輪、ここを登ってくる寄せ手に対する守りの役目も負っていたらしい。

 

その先は、細い尾根で下っているだけのように見えるが…

 

左側へ落ちる、ハッキリとした竪堀が見えてくる😮

 

降りてから振り返ると…

こりゃ堀切を渡る立派な土橋だわ🤯

 

ここから見上げる曲輪

 

高さはそんなにないが、登る道はうねりながら曲輪の正面下を通っている…

弓矢などでの援護射撃をしながらでないと、曲輪から長槍や投石などで側面を突かれるだろう…😨

間違いなく、キルゾーンを仕込んでいる。

ただ、戦国時代も末期になりつつある永禄年間に辛垣城とともに築かれたとすると、そぐわないほど簡素な気はする。


城全体が、そんな感じだった。

 

この後、辛垣城に向かって物見山から名郷峠へと続く尾根道を歩いて行ったのだが、これがまた面白かった…

 

青梅丘陵 枡形山城~辛垣城間の尾根に続く)

 

★枡形山城

東京都青梅市二俣尾

駐車スペースを探すのは絶望的。個人の方提供の有料駐車場を利用したが1台分。

山城

 

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(2024年2月27日 記)