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於曽屋敷はJR中央本線塩山駅の南側ほど近い町中にある。

築城年代は不明、甲斐源氏の一派加賀美氏の屋敷で、於曾氏と姓を変えて土着していたという。一族では板垣信方が活躍した。武田氏滅亡後は徳川氏支配のもとで廣瀬氏と改め現在に至るとのこと。

現在は東半分が於曽公園として一般公開され、西半分は子孫の方が住まわれている。

 

この日は彼岸を過ぎてようやく暑さも一段落というところで、予定していた恵林寺山城に向けた足慣らしのような感じで訪れた。

 

駐車場の西側にちょっとした空間、その向こうに於曽屋敷公園がひろがる。

一見したところ、ふつうの公園。

 

しかし…

 

手前に土塁と空堀が、見えているではないか😮

 

少し公園の方に寄って、土塁を北から見通すと…

 

そうとうに、重厚ではないか😮

 
北端、公園の入口に伸びるところの土塁は、残骸と化していた…💦
 

中は、完全にふつうの公園だな…

遊具こそ無いけど…

 

屋敷跡の雰囲気を出すような整備は、しないらしい…

まぁ、駅前の住宅地にある貴重な公園だし

なお、南側入口の南西側に隣接する第二公園は、正真正銘の児童公園だった😮

 

植えられた木が大きく育って林のようになった東側には、公園に入る時に見えた土塁の続きが南北一直線に伸びている。

南側から望むと、カッコいいね✨

 
南側出口の傍らに立つ説明板の絵図では、このあたりには畑のようなものが描かれていて、北には庭園が隣接していたらしい。
 

公園の南側出入口は、土塁を登って出入りするようになっている。

天端を覆う緑の帯がキレイね✨

 
土塁を越えて外に出るところには階段…
外には小さな駐車場がある。
振り返ると、土塁が高い😮
 
傍らには説明板。
かつては、二重の土塁に堀もめぐらせていたらしい。
 
現在この館跡は、東半分が公園、西半分はご子孫の方がお住まいとのこと。
公園入口の西隣には立派な門があったが、一般に開放されているわけではないので撮影は遠慮させて頂いた。
外土塁は殆ど失われてしまったが、内土塁はよく残って、往時の雰囲気を今に伝えるに十分と言えるだろう。

そして、今もご子孫の方が住まわれているというところに、桐生の彦部屋敷裾野の柏木屋敷などと同じ凄さを感じた。

 

★於曽屋敷

山梨県甲州市塩山下於曽

JR中央本線塩山駅から徒歩10分。見学者用駐車場3台分、うち1台は身障者用あり。

平城

 

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(2024年2月26日 記)