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西隣の森山城鳳凰郭からそのまま農道を東に行くと須賀山城の城域に入るが、主郭部からはだいぶ離れた方に出る。

主郭の場所は旧小見川町と東庄町のちょうど境界。

千葉常胤の六男東胤頼が文治六年(1190年)に築き、西に森山城を築いて移った後も一族が守っていたとのこと。

2013年から城址公園として整備され、隣接する「北総育成園」により手入れされている。


Wikipediaに記事がある。


しばらく畑の中を歩いているとテレビ中継局の横に突き当たる。ここから南に折れて次の分岐を左に登ってゆくと、天之宮神社の社叢林が見えてくる。


現在位置(Googleマップ) 

この場所は、須賀山城の主要部からはだいぶ北…


神社の説明板

須賀山城を築いたという東六郎胤頼が造営したとあり、この城の守護神のような存在だったか…?


さて、ここから城の主郭方面に繋がる道は無いらしいので、まずは南の方から丘を降りる。

その降り口付近に、大手口と西曲輪があるというので見に行く。


現在位置(Googleマップ) 

大手口は、豚舎のある反対側にあるが、ただトラクター道が入っているだけのように見える…
左手が高くなっているのが、土塁か?


南側の一段下がったところにも、一段の平場がある。
これも、番所か何かがあった曲輪かな…?
それとも後補…?

トラクター道を入ってゆくと、右側の少し低いところに広がっているのが、西曲輪らしい。


東へ進むにつれて上のトラクター道との段差が大きくなり、ついにはハッキリと切岸状になる。
城内側の方が低いのね😮

さて、この道は主郭のすぐ北西に入り込んでいるようだが、残念ながらここから城内の主要部には入れない。
城内に入ろうとすると畑を突っ切るしかないので、ここは丘から南へ降りるのが良い。

途中で、斜面の下に帯曲輪のようにも見える平場が…

さらに奥に入ってみるが、100メートルほどで行き止まりになった。
行く手と、左側が土壁になる。
上は相当な🌿🌿で、とても踏み込む気になれない…

この先は、どうやら栗畑らしい。
奥へ進むと第六天郭の下にぶつかるらしいが、既に周囲が猛烈なササヤブだし、ちょっとここから入るのはムリだろう…
諦めて丘から降り、東の方へ回ることにした…

天之宮神社からは、ちょうど城の反対側まで行く。
県道266号のすぐ近くになる。
「北総の里」の案内の横に隠れるように「須賀山城跡」とある。
ここから入ってゆく。

しばらくは、「北総の里」園地の建物や森などを眺めながらコンクリ道を登ってゆく。
斜面の急峻さに城の雰囲気を感じるが、まだまだ城外。

やがて、道はビックリするような土の切通しの中に入ってゆく。
ここが、城の搦手口らしい。

うっかり入り込もうものなら、上から矢弾や投石を雨あられと浴びることになるのは必至…
見るからに恐るべきキルゾーンだ😨
自動車を通すために少し切り広げられているように見えるのが玉に瑕か…

切り通しに入る直前の左側、大六天があるという曲輪の切岸。
下には帯曲輪がある。

さて搦手虎口を登ると、右後方に主郭方面の道を分け、直進少しで左側に大六天の方へ登る道が分かれてゆく。

入ってみると、掘り込まれた中を曲輪に向かって緩やかに登っている。

登りきってすぐ左側に大六天。
って、ちっこい祠やな…😮

曲輪は「北総の里」園地になっているようで、伐採された木などが積まれている。

大六天の傍から見下ろす搦手虎口。
深さと斜面の鋭さで目が眩みそう…😨
攻め込んでくる寄せ手に対して弓矢や投石で必死に防戦する、修羅場…
ここを突破されると主郭前の馬出まで入り込まれるので、守る方も必死だろう…

大六天のある曲輪への登り口。
車も出入りできそうな広さがある。
後から手を加えられた?

大六天の入口を過ぎると、先ほど反対側から見てきた西曲輪の方につながる広い曲輪に入る。
大六天の周りと比べるとだいぶラフな雰囲気だが、草刈りの手は入れられているだろう…

奥の方は、大六天のある曲輪下の帯曲輪のようになっている。

北の方は緑の園…
右は主郭の前に構える馬出の切岸。左の奥に西曲輪があるが、ヤブが濃く通り抜けるのはムリだろう。

奥には土塁らしい盛り上がりが…
しかし、ヤブが酷くて奥がどうなっているか見通せなかった…

こんなところにミョウガが群落つくってる…😮

西曲輪、大六天のある曲輪、そして主郭南の馬出に囲まれたこの空間、往時は相互を連絡する場所だったか…
屋敷が立ち並んでいた様子も思い浮かんでくる…
ともかくも城内で重要な役割を負っていた場所なのだろう。

ここから主郭方面へは、搦手虎口すぐ上まで戻ってから左上に登ってゆく道へ入ってゆく。

下総 笹川 須賀山城 その2に続く)

 

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(2023年12月20日 記)