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時崎城は、総武本線佐倉駅の南を流れる高崎川を挟んで南の方に広がる丘陵の北端、舌状台地の先端を占めている。

来歴などはわからないらしい。 

1999年に佐倉市の市民緑地に指定され、一般公開されている。

 

午前中から強烈な日差しが照りつけ真夏日となったこの日は、佐倉駅からの徒歩行軍で首尾よく金部田城を押さえたものの、続くすぐ北の城城は入口が分からず敗退、日も傾き始めたところでこの城へのアタックを開始した。


現在位置(Googleマップで)

城の入口は、谷戸の縁を通る道端の森にあった。
隣に、ごく簡素な説明板。
 
説明に出てくる旧堀田邸はここから1kmほども北、総武本線や国道296号よりもさらに北にあるが、この時崎城址の森が庭園の借景になっているとの事。

道は説明板の横から階段で登っている。

さすがに梅雨末期の🌿🌿の生命力は旺盛で、細い道が覆い尽くされようとしていた…💦

 
道はすぐに右に折れ、城のある左手から張り出す小尾根に向かって、階段で登っている。
森の中に入ると、下草は少なくなって地面が見えている。
 
この階段が見えてきたあたりに、すわ城の説明板か?
と思ったら、保存樹のものだった…
 

階段から上がると、目の前に城塁…😮

 

園路はここで、曲輪の北西側の切岸下を直進してゆく道と、右折して段郭へ入ってゆく道とに分岐している。

直進すると、鋭い切岸らしい斜面の裾に沿って谷戸の中を登ってゆくが、間もなくヤブの中に突入してしまうような感じだった。
ヤブの中も城の曲輪らしいが、真夏日にそんな中へ突入したくはない…

 

ここは段郭の方へ入ってゆく。

 
登った先で左に折れて、斜面を登ってゆく。
途中、一段上に帯曲輪らしい平場が横たわる。

 
登り詰めたところは、どうやら主郭の北西側に張り付く曲輪らしい。
斜面をまっすぐ登ってゆくだけで、動線を掘り込んだり土塁の切れ目に通したり、といった技巧性は全く無い😮
 
曲輪の北側だけは、立派な土塁で守られていた。
この下には、曲輪に登るところで分岐していった、谷戸の底を登ってゆく道がある。
谷戸を占拠した寄せ手に対して防戦するための土木工事は施されていたようす。
 

 さらに奥に進むと、人の背丈くらいの段に向かって斜めに登るようになる。

この上が主郭らしい。

その主郭は…

コレかい💦

市民の森に指定されていても夏草の生命力に抗うのは難しいようで、主郭は下草にびっしり覆われていた。
奥まで入り込んで形を確かめるとか、ちょっとムリ…

主郭からさらに進むと、少し降りて帯曲輪のような南北に長い平場に出る。
ここには井戸があったらしい。

この井戸、城からの脱出口という言い伝えが、ここにも残ってた…😮
穴が空いていた跡をかすかに留めているだけのこの井戸も、往時は底が見えないような深さがあったのか…?

その奥にも曲輪が続いているらしいが、幅広の尾根上は柵されて立入禁止になっていた。

そして、帯曲輪の反対側は城の北側の曲輪に繋がっているらしいが…

ごらんの有り様だった…

冬場ならともかく、強烈な西陽が照りつける真夏日の今は、ちょっとムリ…💦

城内で見て回れるのはこのぐらいで、他はヤブでムリだろう…


残っている遺構は素朴なもので、丘陵の段差を上手く取り込んで最小限の土木工事で防御する、戦国時代前期にふさわしい城だった。

土の曲線をしっかり見たいっていう城ヤの願望は、健全な森を維持することを考えると、難しいだろうなぁ…


★時崎城

千葉県佐倉市

車を停める場所無し。JR佐倉駅から徒歩が無難。だいたい20分。

平山城

 

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(2024年1月23日 記)