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城山城は千葉東金道路の大宮インターから千葉方面に1kmほど戻ったあたりの掘割から南西に広がる丘陵の一部を占めている。
ネットで調べてみても、遺構は残っているものの全体にヤブが深くて見栄えがしない、という評判。
江戸時代初期に板倉筑後守が築城したと伝えられるが、裏付ける史料は無いらしく、来歴は全く分かっていないに等しいらしい。
Wikipediaに記事があるが、遺構に関する説明は少ない。
実際には東側にある日枝神社から入るのが良いが、今回は千城台方面からの徒歩行軍なので、千葉東金道路沿いの北側から入ることにした。
かなり東の方の千城台からてくてく歩いても1時間ぐらいだろう。
この日はさらに東の御茶屋御殿を訪れた後の攻城で、しかも途中でラーメン食べていたりしたので、城近くに辿り着いたときには夕方近くになっていた😅
千葉東金道路は城のあたりでは掘割になっていて、北側から跨道橋を渡ってゆく。
南側に細い道一本挟んで広がる城域は、たしかに凄いヤブで、とても突っ込めそうにない。
だが…
→現在位置
道がコーナーになっている、この場所…

コーナーの外側から、城域の西端をなぞるように踏跡らしいものが入って行ってる😮

これは、入れるって事…?
なら、入るしかないじゃん…
ええい💢突っ込め〜😭💨
半袖だし、虫除けスプレーも持ってくるのを忘れたから、蚊やダニに集られたら食われ放題…😱
入ってみると、踏跡らしいものはいつの間にかどこかに消えてしまい、竹と雑木のヤブを進むようになる。
それでも、北側の曲輪の切岸の下を進んでいる様子は、見て取れる…

左手の主郭方面との間には、帯曲輪が一段挟まっている。
登って見てみるが、壮絶な有様だった😨

こんな中は到底進め…なくもないが面倒くさいので、下に戻って踏跡をさらに進む。
次第に堀底状になってくる様子を振り返る。

外側の土塁、高さが背丈ほどあって、なかなかしっかり盛られている😮

城内がほぼ全面にかなりのヤブなので、南側から入るとこちら側まで踏み込んで見に行く気にはならないだろう。
こういうところまで見ることが出来たいう意味では、北側からの攻略は正解だった…
んだが…
主郭もコレかよ〜😭

踏跡が堀底状になったあたりから行く手のヤブがますます濃くなり、突っ込むのはムリと思われたので、段を登って主郭に出た。
が、そこも壮絶なまでに荒れ放題の竹ヤブじゃないか〜っ😱
これだけ酷いの、2月に行った小櫃の
山本湯名城以来だな…
ヤブの中へ突っ込んで反対側の遺構を見に行く気力はナイので😅比較的地面の見える曲輪のヘリに沿って進んでいった。
南西の端っこまで行くと、わりと視界が開けていた。
外側はかなりしっかり掘られた空堀のようだけど、こちら側が大人しくなって、よく分からんな…

主郭の南側に横たわる空堀は、かなり大きいな…😮
🌿🌿でよく見えんけど…

ともかくも、主郭の南東端にたどり着いた。
隅っこは、櫓台というにはちっこい土塁がシッカリ守っている。

その土塁の隣に、空堀に降りる虎口状が開口していた。
ごく浅く、堀底から曲輪まで急傾斜で登っている。

降りた先の主郭南側の空堀。
🌿🌿は多いが、しっかり掘られている様子は見て取れる。
虎口が繋がっているとなると、この空堀は動線を兼ねていたかな?

空堀は主郭の南東端でカーブして東辺に回り込んでいるが、やはり🌿🌿で先の様子はよく分からない…

コーナーのすぐ外には、神社らしい建物が見えていて、空堀から登れる道も付けられている。
登ると、そこは日枝神社の境内だった。
社殿は素朴なもの…

境内から主郭の方へ降りてゆく道。
見るからにヤブで、普通の人なら突っ込みたいとは思わないだろう😅

境内には、神社に関するらしい石碑も立っている。

神社からはしっかりした参道が麓まで続いていて、入口には立派な鳥居も立っている。
一般には、こちらから登ってゆくのが良さそう。
ただ、車を停める場所は無いっぽい…

見た目には完全に中世の土の城といった感じで、江戸時代に入ってから築城されたようには見えない感じだった。
昭和六十三年(1988年)に発掘調査が行われたとのことだが、それによっても経歴などが明らかになったような感じではなく、せっかく日の目を見た遺構がなすすべなくヤブに埋もれているのも、残念なところだ。
千葉の中心地からほど近く、都市化が進んだ中にあって城郭遺構がこれだけ残っているのは貴重だろうから、何とか中世史と触れ合える場所にならないか…
と、蚊にあちこち刺されて出来物だらけになった腕をカキカキしながら、切に思った😅
★城山城
千葉県千葉市若葉区大宮
周囲に車を停める場所無し。最寄りの川戸バス停は千葉駅からの便が1時間に2本程度あり。
丘城
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(2023年6月27日 記)