トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引 

 

小篠塚城は東関東自動車道の佐倉ICから国道51号を2kmほど千葉寄りに行くとぶつかる鹿島川のやや上流の丘陵端に構えている。

室町時代の千葉氏の城で、享徳の乱の最中であった文明三年(1471年)には古河城を上杉方の長尾景信に陥落された古河公方足利成氏が一時この城に居たとも言われる。

近年城址公園に整備され、定期的に整備の手が入れられている。

 

Googlemapやカーナビなどにも登録されていて、多古や佐原香取方面への城攻めで国道51号を通るたびにこの城の表示が現れて気になっていたので、多古の次浦城を訪問した帰りに寄ってみることにした。

 

国道51号のこの交差点から鹿島川沿いに登ってゆき、1kmぐらい進んだら山寄りに入ってゆく。

城址の標柱あたりから山に向かって車道が登っているが、城址の訪問者は西の方の駐車場を利用してくれとのことなので、谷戸の脇のここにある駐車場に車を停めた。

 

駐車場のすぐ近くに、城への登り口があった。

階段が整備されているようだ😊

 

すぐに帯曲輪のような平坦地に出る。

 

きれいに整備されているので、遊歩道を作るために造成されたものか…?

なんて思いながら歩いてゆくと、右側の急斜面に主郭への登り口が現れる。

主郭に入るところは土塁が切れて虎口状に見えるが、道自体は大人しくなった切岸にムリヤリ付けられた感がアリアリ…

 
この登り口は一旦スルーして、すぐ奥から右側に伸びている空堀に入ってみる。
🌿🌿が多いけど、けっこう鋭い😮
常陸の小高城で見たような規模。
 

立てられたコンクリ碑には「堀底道」と。

主郭北側の守りだけでなく、動線を兼ねていたらしい…

 
もうゼンマイこんなにでっかくなってる😂
 
こんな堀底道と繋がっている最初の帯曲輪状、やっぱり往時から空堀か帯曲輪だったのかなぁ…?😮
 
堀底道の奥の方は🌿🌿が深いので、ここで引き返した。
階段道から主郭に登る。
 
主郭は、舗装された道が取り巻いて、すっかり公園の趣きだった。
広さはソフトボール場ぐらいか…
 
登ってきた階段の脇に「袖摺坂」なる碑が立っていた。
もしや往時のものか?と思ったが、ネットとかいろいろ見てみると、違うような感じ…
 
登ってきた場所の北側と西側には、かすかに土塁の跡が…
北の方
 
西の方
これだけ残ってれば十分〜✨
 
この周回道を南に行くと、神社があった。
小さな鳥居に小さな祠だけの、ささやかな神社…
 
咲耶姫神社というらしい。
説明板が立っている。神社の由来は無い…
千葉氏の守護神が妙見菩薩であったことを考えると、城との関係は無さげ…?
 
登ってきたのと反対側の東の方だけ、土塁がひときわ高い。
2メートル超の高さ。
 
東側には虎口のようなところがあるので、ここから出てみた。
土塁の切れ目から幅広の土橋状が出てきているが、元々あったのを改変(土で埋めて保護されることもある)したか、後世造ったものかは分からなかった。
 
この土橋状の両側には、大人しくはなってるけど立派な空堀が主郭を守っている。
北の方は奥の森の中に入って、北辺の堀底道と繋がっているとのこと。
 
南側は、いっそう緑が濃いぃ😮
4月の終わりともなると、土は一面の緑で覆われる…
 
この東には正慧寺が構える。
2008年に開かれた新しい寺で、主郭の北東に隣接する曲輪が墓地になっている。

 

墓地の反対の南側には、土塁らしい土手を挟んで広めの曲輪が横たわる。

きれいに方形みたいやね…

 
向こう側の端には、高さこそ数十センチながらハッキリと見える土塁が😮
 
この曲輪の向こう側では、南北に園路が貫いている。
さきほどの曲輪は右側、こちらだけ土塁が並行している。
今でこそ高さ数十センチだが、往時はもっと高くて土色、通路も堀底道のような有様だったんだろう…
 
左側にも、同じぐらいの広さの曲輪が広がる。
 
こちらの周囲の土塁は、隣よりも高さがある。
1メートルぐらいあるか。
今の車道はこの東側を登っているが、往時もこれが大手道だったとすると、ここは重要な防御陣地だったことになる。
そのための、より厳しい守りに対応した遺構が今も残るか…
 

あとは大手道らしい車道を下るぐらいだが、城の南側に帯曲輪があるので、そこを通って西に戻ることにした。

 
帯曲輪は主郭と東隣りの曲輪の南側を守るように、200メートルほどの長さで横たわっていた。
往時は外側に土塁があって、空堀ではなかったかという見方もあるらしい。

 
この曲輪の中間あたりで、主郭の東側を南北に走っている空堀が上の方に飛び出してくる。
帯曲輪らしい平場との間には3メートルほどの高低差がある。
空堀同士、あるいは空堀と帯曲輪を接続する時など、同一平面でなく段差を持たせるのは多くの城で使われている技法だったらしい。
 

全体的に小さくまとまった中に大人しくなりながらも土塁や空堀が残って、しかもそれが丁寧に維持されていた。

ここも正慧寺が建立され整備の手が入るまでは手のつけようのないヤブだったとのことで、埋もれて忘れられそうなところを何とか助け出された、というところか。

こういう場所が上総下総あたりには多いので、一つでも多く日の目を見て欲しいところだ。

 

★小篠塚城

千葉県佐倉市小篠塚

城の西側の麓に駐車場あり。城内に車道が登っているが城址見学者は西側を利用してほしいとの事。

平山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 千葉県の索引 

 

(2023年5月30日 記)