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「道の駅風和里しばやま」から東北東3kmほどの丘陵地帯に構える山中城は、一般にはほとんど知られておらず史跡などにも指定されてもいないが、芝山町内ではもっとも見事な遺構を見られる城だろう。

中央をほぼ南北に走る谷戸によって北城と南城に分かれ、相互に連係していた一城別郭の関係にあった。

このあたりに勢力のあった千葉氏の臣、井田氏の麾下にあった和田胤信によって戦国時代に築城されたらしい。

 

一日中強い雨が降り続いた前日から天気が回復して暑いぐらいになったこの日、草の葉にまだ残る滴でびしょ濡れになる覚悟を決めつつ、まずは北城に登ってみることにした。

 

現在位置 

城への入口は、谷戸の北側に構える徳蔵寺の西側に見える鳥居が目印になる。

主郭に稲荷神社があるとのことで、まずはそこに登ってみるか。

鳥居から参道が登っている。

 

右側には、徳蔵寺が見える。

ここは曲輪か、居館だったか?

それとも後世の造成だろうか…?

 

鳥居をくぐって参道を登り始めると、外とは打って変わって昼なお暗い、植林と竹ヤブの道…

冬は終わって寒さは薄らいでいるが、雨上がりでモヤもかかり、ちょっと不気味な雰囲気だった…

 

それでも、参道は周囲から深く抉られている。

左側に帯曲輪のようなものが見えて、城郭っぽい雰囲気は早くも漂っている。

 

カーブする石段を登ってゆくと、少しばかりで最初の曲輪の南端に登りつく。

ここから見ると、奥に方に見える神社まで、参道が一直線に続いている…

 
登ったところの右側に、最初の曲輪が広がる。
けっこうな広さがあるが、倒竹が折り重なって荒れている…🥺
手が入っているのは神社への参道だけか…?
 
今登ってきた参道を曲輪から見下ろすと、ここが侵入してくる寄せ手を上から攻撃して食い止める、防御の要だった様子が窺える。
シンプルだが立派な坂虎口だ😮
 
こういうのを見ると、この道は神社を造営したときに穿たれたというよりは、往時から城道だったように思える。

城の主郭は、この曲輪の向こう側の高みに構えているらしいが、先に参道の先に見える神社まで登ってみることにする。
参道は曲輪の南端、土塁の裾を通り抜けて、奥に見える切通しを越えている。
 
その前に、脇の土塁へ💨
ここも竹ヤブは荒れ気味だが、相当にガッチリ積まれた土塁だ😮
 
参道を見下ろしているタケノコくん…
兵の魂が乗り移って、今でも城の守りを引き継いでいるか…🥰
 
参道の奥に見える神社は、深く抉られた切通しの向こう側、一段高いところに構えていた。
 
切通しを抜けると、左右両側に空堀が伸びている。
 
んだが…
 
🌿🌿が旺盛すぎて、何がなんだか分からん有様の右側…
 
左側は倒竹まで加わって、さらに分からん🙄
心眼で見ると、土の曲線の上に🌿🌿が旺盛に成長している様子が見える…??
 
通り抜けてきた切通しと、手前を横断する空堀を、神社のある曲輪に登って俯瞰してみる。
🌿🌿が無ければ立派な城の遺構なことが、…やっぱり読み取れんな💦
ヘタクソなだけやろ〜😮‍💨
 
神社は、野球の内野ぐらいの広さはある曲輪に構えていた。
城の主郭のようにも見えるが、ここは城内最高所ではない。
 
それでも、周囲を取り巻く土塁はかなりゴツいものだった。
 
カーブしながら高くなっていって、社殿の裏側では2メートルを超えるような立派な土塁になっていた😮
 
城内最高所ではないけれども、ここの曲輪には重要な施設があったか、防御に重要な役割を持っていたに違いない。
 
そして、この城の一番の見どころが、この土塁の裏側に控えていた…
土塁の裏側は、切岸加工されているのか分からないような傾斜の斜面で外に向かって降りているが…
 
その先…
 
これ、めっちゃデカくない?😮
 
倒竹だらけの荒れた竹ヤブの中をかなり下った向こうに、高い土塁に外側を縁取られた巨大な横堀が横たわっていた。
小田原の総構堀、というとさすがに言いすぎか…
 
底に降りてみるが、上から見たときよりもさらに荒れた様子だった😮
それでも、5メートル近い深さと、底がV字の鋭さは見て取れる。
 
外側の土塁もしっかりしている。
 
そして、その外側…
 
横堀がコピペされてる?🤯
 
下の方にもう一本、同じような大きさ、同じように土塁で仕切られた立派な横堀が、横たわっているではないか😮
外側の斜面がそれほど鋭くない分、大きな横堀を二重に回して防御力を確保したか。
それにしても、戦国時代に使われていた城ともなると、やはり土木工事の規模は大きいな…
 
この空堀にも、外を見張る兵の魂を引き継いだかのように佇むタケノコくん…🥰
 
さすがに底まで降りるのはキツイので、上の横堀に引き返した。
そして、北側の末端に行ってみる。
 
ちょうど神社の真北あたりから、かなりの広さの帯曲輪に変わっていた。
帯曲輪の一方の端がそのまま空堀に繋がってるのも土の城ではよく見かける…
 
東西にかなり長い。
 
東の端まで来て振り返る。
左手が、神社のある曲輪の切岸になる。
 

ここの東の端から、神社のある曲輪と切通しの間に横たわる空堀に行くことが…できる。

ただし、かなり登るし、堀の中は🌿🌿

気を抜くと現在位置を見失いそう…

 

さて、主郭にはどこから登るのか…

 

空堀の🌿🌿の中をびしょ濡れになりながら南に向かって漕いでゆくと、左側に凹になったところがあった。

ただ、動線にするには急角度すぎると思ったが、ちょうど主郭の南西の端にあたるらしい場所だったので、ガリガリ登ってみた。

 

…が

 

ダメだ。
前が見えない…😮

 
春になったばかりで草木の芽吹きはこれからが本番というのに、主郭は1メートル先も見通せないような、猛烈なヤブになっていた😮
 
こりゃ、遺構があっても見えんわ…
 
仕方なく、ちょこっと入っただけで撤退することにした。
それでも、西の端っこにはちゃんと土塁が設えられているようだった。
 
城内で見て回れるところは、これぐらいだろうな…
神社もその周りも他の人の土地だろうし、思い切りタケノコドロと間違えられそうにも思ったので、主郭から降りて速攻で撤収した💨
 

谷戸を挟んだ反対側の南城と連係して一つの城のように機能していた一城別郭の城とのことだが、特に土塁と二重の空堀で厳重に防御している南西側への意識が強く、また間の谷戸から侵入してくる寄せ手を城の虎口近くまで引き込んで殲滅する戦法も想定していたように見える。

今の参道が往時から城道だったら、だけど…💦


ヤブは深く荒れ気味だが遺構の残りは良く、整備されれば素晴らしい土の城の姿になるだろう。

 

★山中北城

千葉県山武郡芝山町山中

近くに車を停める場所無し。道端に余地のあるところも無いので要注意。

平山城

 

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(2023年5月25日 記)