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京都の二条にある城ではなく、栃木市の西方城すぐ隣、東北自動車道の都賀西方PA隣りにある山城。

関ヶ原合戦の少し前ごろに、藤田能登守が西方の地に入ってきたときに藩庁にした城だが、その前からあったとも言われるらしく、藤田能登守以前の来歴は分からない。


この日は西方城とひとまとめに攻略するつもりで、やってきた。

って、2つともかなり広大で見どころも多い城だというのに、寝坊して昼近くになっちまった〜😅


国道293号沿いの「道の駅にしかた」に近い工業団地入口交差点を西に折れて県道177号に入ると、東北道に近づいたこの交差点に『←西方城』の案内がある。

あとは案内に従って進み、東北道のガードをくぐって登ってゆくと、見学者用の駐車場が現れる。

谷いっぱいに土を盛って舗装もされた、立派な駐車場だ✨

道はさらに上の堰堤の前まで舗装されていたが、車はここに停める。


最上段の傍らに説明板が立っている。
ガッツリ西方城の説明だな。

二条城はというと…
左下に縄張図が1枚…

これを見ると、土塁に囲まれていたらしい方形の主郭を中心に多数の曲輪が並んでいるらしい。

登り口は、この説明板のすぐ左側から、沢を木橋で渡ってゆく。
西方城と比べて、ずいぶんと扱いが簡素だな…😮

登り始めに、すぐ分岐がある。
右が主郭へ、左は東側に広がる二城という曲輪に行くらしい。
まずは、二城へ。

登道に落ち葉は積もっているが、傾斜はそれほどでもない。
整備もされて歩きやすい道を登ってゆく。

しばらく登ると、行く手の左側に谷を塞ぐダムのような土壁が見えてくる🤯
砂防ダムにしたってデカい、あれが二城の切岸か?

あと一息で、二城。
虎口は至って簡素。

虎口を通り抜けて登りついた二城は、野球場にもなりそうな広大な曲輪で、枯れたヨウシュヤマゴボウに埋め尽くされそうになっていた😮

ここから右、北東の方に行くと、一段高いところに曲輪のような空間が広がる。
右の方から登る。

曲輪は植林と下草に覆われた山林そのものだった…

二城の反対側、南西の方に向かうと、これまた帯曲輪のような空間が伸びている。
ここから関山不動尊に向かう。

しばらく進むと、左下からトラクター道が登ってくる。
関山不動尊の参道として拓かれたのだろう。
城道だったかどうかは………微妙?

ここから色んなものが並んでいるが、まずは一番奥にある関山不動尊。
小さいながらしっかりした社殿で、訪れる人もあるらしい。

少し手前には、不動尊の方ではなく山上の城の方を向いた鳥居が…
階段の奥に小さな祠が見える。

そして、さらに手前のトラクター道が登ってきたあたりの山側には…

コレ虎口やろ〜😮

上の曲輪らしい方に向かって、深い竪堀状が登っていた。
麓の説明板に描かれていた縄張図では、関山不動尊の「尊」の字に隠れて見えにくくなっていたところだ😮
事前に縄張図をよく見ていなかったので、これはビックリした。
てか、縄張図とか事前にざっと見ただけでは覚えられんのだ😅
トシだな…

ひょっとして、ここから主郭の方へ上がれるか?
…と思って、虎口を登ってゆくと、北側にわりと幅のある帯曲輪が伸びていた。

反対の南側には、ヤブっぽい空堀…
何だか、よく分からん光景💦

麓の説明板の縄張図には、この空堀の付け根あたりから上の曲輪に向けて東向きに登ってゆく動線のようなものが描かれていたが、どう見てもそこは切岸で、動線らしいものは全く見えなかった。
仕方なく、落ち葉でズルズル滑る斜面を掻き登って行った…

その先は…

見事なまでのササのヤーブーだった😂
いや主郭の東側2段下のかなり広い曲輪なんだが、登りついたところは見える範囲が完全なササの園だった💦

ここまで、曲輪や切岸はハッキリしていたものの、虎口や土塁、空堀などは少なく、どちらかというと粗放な感じに見えた。
もともと二城から主郭の方へ登る城道がなくて、よく分からない斜面を掻き登ったりしたせいだろうが…
さてここから主郭方面に登ると様相が変わるのか、実はこの時点で半分期待が萎えていた…😅

 

栃木 二条城 その2に続く)

 

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(2023年2月20日 記)