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二城から関山不動尊の横を通り、斜面を掻き登って主郭の二段下の曲輪に出てみると、

…そこは猛烈なササヤブだった😂

右方向、北の方は植林まで混じって進めなそうだったので、左側、南の方へ入ってみた。

すると、数十メートルで草のキレイに刈り取られた空間に出た。


ここは、主郭の南東側の一段下にあたる。
北の方に向かって一段高いところに帯曲輪が繋がっているはずだが…
と思って右後方を見てみると…

あった🙌

西の方はまたもヤブで進めなそうな雰囲気だったので、この曲輪に登ってみた。
なんか、空堀のような見た目だな…😮

外側の土塁がガッチリしているので、断面が空堀のようなU形になっている。
もちろん長年の風霜に晒されてこうなったんだろうが…
土塁は人の背丈ぐらいの高さがある。
外側はヤブだが、鋭く切れ落ちている。

北端まで行くと、主郭の北辺に広がる曲輪が見えてきた。
やはり、こちら側が一段高い。

北側に降りて振り返る。
やっぱり空堀にしか見えんな…😮

ここまで、麓から登ってくる道が入って来ていた。
最初の分岐で右の主郭方面に入ると、ここに登りつく。
ここからさらに主郭への登り道が出ているが…
なかなかに…😂

主郭は、二城には及ばないものの、野球の内野ぐらいの広さはあった。

そして、ここにもヨウシュヤマゴボウが…


土塁は南側と西側のものがキレイに残っている。
南側のやつ、石積みが嵌め込まれていた?😮

そこそこシッカリ見て回ったこの城の中で、石積みらしい跡を見たのは、ココだけだった…😮

そして、隣の西側の土塁が、ひときわガッチリしていた😮
鋭く立ち上がっていて、高さも人の背丈ぐらいある。

天端に登ると、やっぱり石がパラパラ転がっている。
ここも石積みされてた?

この主郭、もともとは全周にこんな土塁があったか、それとも当時から現状のような感じだったか…
東側と北側の西半分に、土塁が無い…

その北側から、西の方を見下ろす。

ザックリ急斜面で落ち込んでいた。


西側は尾根続きだったのを帯曲輪1本と堀切2本で仕切っているとの事だが…

帯曲輪という1本目は、ヤブに覆われていた😮
やっぱり、前見えない…💦

中に突っ込むのは諦めて、続く2本目…
ここも草まみれ…😅

向こう側へ登ると、ちょっとだけ曲輪…

そして末端には大きな堀切…


まるで分からんよ〜😅


まぁ城域が広大だしすぐ隣の西方城にガッツリ手が入っているし、こんな末端の方まで整備の手を入れるのは大変だろう…

実際に目の当たりにしてみると、これらの写真より遥かに迫力のある光景なので、起伏のあるヤブをものともしない変態篤志家には是非とも突入することをお勧めしておくか…

自信のない方は踏み込んじゃダメですよ…💦

 

全体に、大きな堀切で城外から遮断している西端のほかは土木工事が斜面の切り盛り中心、切岸の増強と帯曲輪の造成に終始しているように見えた。

縄張より峻険さで防衛する城だったらしい。

藤田能登守が藩庁にするとき、そのように改修したのか…?


さて帰りは、本来の登城道を通って帰った。

主郭が遠ざかる…


途中少し下ったところには、小さな帯曲輪もある。

やっぱり、多くの曲輪を並べる城のようだった。

【完】


★二条城

栃木県栃木市西方町本城

麓の西方城見学者用駐車場を利用。

山城

 

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(2023年2月21日 記)