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教来石民部館は山梨県の北西端、サントリーの大きな蒸留所から沢を挟んで北側の台地上にある。

教来石氏は甲斐国の北西一帯に勢力を張っていた武川衆の一派で、教来石景政のちの馬場信春を輩出している。

 

軍事拠点ではないから目を見張るような遺構は無いが切岸のような跡はあるらしい、ということで朝の丸山狼煙台に続くお手軽訪城のつもりで行ってみた。

 

現在位置 

 

だが…

なんか、柵されてるし…

 

それに…

 

遊歩道って…🤣

 
柵の中に立つ看板の指す方向には、踏跡すら見えない…
見えるのは千古のヤブと、奥に送電鉄塔…
大袈裟か…😅
 
しかし、説明板と標柱らしいもの、それにあずまやが立っているのは見える。
 
私有地で発掘調査はしたものの埋め戻して所有者に戻したのか、という感じもするが、それなら説明板や遊歩道なんて置かないだろう。
一度整備したが放置されたパターンなら、わざわざ柵で封鎖しないだろう…
柵と遊歩道とヤブの組み合わせは、どうにも不可解だ…🤔
 
柵されている所から堂々と入り込むのはさすがに憚られるので、どこか入り込めそうな場所を探す…
そして、西の方から南に向かって道が伸びているのを見つけ、奥まで入ってみる事にした。
途中から見える送電鉄塔…
 
これは昭和5年に建てられた古参の鉄塔で、今は系統がズタズタに切られているようだが、往時は天竜川水系の水力発電から首都圏まで送電する、長大な幹線送電線だった。
 
さて、館跡の西側の道に入り込んで奥まで行くと、小さな沢の前で終わっている。
ここから館跡の方に柵は無かったので、入ってみる。
沢沿いは柵されている。
 
ここから館跡の中心部までは🌿🌿との戦いだった…
何とか標柱のところまで辿り着く。
 
隣に説明板が立っている。
武田二十四将の一人として勇名をはせた馬場信春の館であったことが記されている。
 
めぼしい土の遺構は無いが、説明板の東の方が段差になっている。
🌿🌿に埋もれて何だかサッパリだが、切岸か空堀の名残だったか…?😮
 
柵を乗り越えればここから出られるが、やはり憚られるので西の方に戻る。
そして、目の前の沢に降りてみる…
 
目の前の斜面、いっぱしの切岸みたいじゃんか😮
 
沢は東に向かってどんどん深く掘られていて、最後には南に折れて横矢掛りのようになっていた😮
でも、こんなトコから敵が侵入するとは、ねぇ…?
 
まぁ、沢を堀代わりに利用したのは、有り得るだろう。
 
見どころはこんなところらしいので、撤収するか…
遺構らしいものはほとんど無かったけど、教来石氏と馬場信春公の足跡がかすかに残る、というところか…

 

ラストは、やっぱりこれかなぁ…

 
だから何故にソーデンセン…😳

 

★教来石民部館

山梨県北杜市白州町鳥原

駐車場無し。車はほとんど通らないので短時間なら路駐でも…

 

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(2023年1月11日 記)