石門口や永福寺口から登ってくると、城の中心部には西側から入ってくることになる。
南側から上信越道の雄大なカーブを眺めたあとは、東側へ降りてみることにする。
これは二郭の南東側から眺める本郭。
二郭は、本郭の東側にまで回り込んでいて、そちらも相当に広い😮
二郭の北東の端からは、細い道が降りて行っている。
ここから東の尾根を通って大室古墳群の方に降りられるようだ。
細い道だが…
ここの側壁も石垣??😮
こりゃ後世に踏み固められて道になったなんてもんじゃないな😮
ちゃんと登城ルートとして作られた構造物だわ…
斜面につけられたつづら折れの道を下りきってみると…
ちゃんと裾に沿って石垣が這っている🤯
って、近くには「大室古墳群 第253号墳」の表示が…😮
ココ、古墳なのか??
すぐ先には「254号墳」もあるやん🤯
帰ってから調べてみると、霞城から東に続く尾根上には大室古墳群のうち「霞城支群」と呼ばれる16基の古墳があるとのこと。
上信越道の真上あたりが支群の中心だが、一部は城内にあるらしい。
古墳といっても土や石を高く積んだものではなく、棺を収めるぐらいの石室を土で盛って覆ったような簡素なものだったとの事。
古墳群をつくったのがどのような人なのか、いまだに明確ではないのだそうで、霞城の城主だった大室氏との関係も想像するしかない…
この下にはもう城の遺構はあるまい、と思いつつ下ってゆくと…
まだ、あったんかい🤯
これまた高さ2メートル近い、相当立派な石垣が直線的に伸びていた。
ココが城の内外の境界らしい。
もう、ここまででイイか…😅
来た道を引き返して二郭に登り直し、こんどは本郭に登ることにした。
もちろん城内最高点✨
フットサル場より狭いぐらいか…
西の方に立つ説明板。
城主だった大室氏と、城にある石垣や縄張りの簡単な説明が書かれている。
北西側にも石垣が…
主郭部の見どころは、これぐらいらしい。
では、帰りは永福寺口へ下ってみるか…
登ってきた道を戻り、石門口への道を左に分けて尾根を直進してゆく。
間もなく、尾根の北側斜面をつづら折れに下る急坂になるので、慎重に降りる。
ここは築城に使った石を切り出していた場所か…?
伊豆などにある後世のものと比べると規模はずっと小さいけど、この地山では良い岩が採れたのかな…?
降りてゆくと、小さな石塔が立っている。
ここまでくれば、登城口はすぐだ。
とにかく石垣が立派な城だった✨
信州に多い、薄い石を積み上げたもので、穴太積みなどよりも古い時代のものらしいが、松本周辺の埴原城や上田の松尾古城など広い地域に見られるもので、技術的に統一されてたのかな…?
一方で、堀切や土塁などの地山を掘ったり積んだりした跡は地味で、同じような石垣の残る埴原城や山家城とは違う感じだった。
城主の設計思想の違いか、興味を引くところかも…
★霞城
長野県長野市松代町
駐車場は、石門口側は南の山麓の長野道沿い北側、側道の末端。永福寺口側は登城口横に数台分。
山城
(2022年9月19日 記)