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芦田城は中山道芦田宿から芦田川を遡ること1km強の尾根上に構えている。

規模が大きく、立科町では最大の山城とのこと。

築城年代は定かでないが今の佐久〜東御あたりに勢力のあった滋野氏の一族が拠点として芦田氏を称し、室町時代には小笠原守護家の一族大井氏についていた依田氏が城を奪って本拠地とした。

武田氏〜徳川氏と主君を替えつつ戦国末期に活躍した名将、依田信蕃が生まれた城といわれる。


時期は6月中旬、夏至近くの 強烈な日差しが降り注ぐ梅雨の晴れ間、長野市方面からの帰り道に寄ってみた。

国道142号から芦田川に沿って南下する道に入り、この交差点から城に向かって入ってゆく。

城への道標がところどころに立っているので、それに従い芦田川を渡って細い道を登ってゆく。


主郭の下まで車で登れるが、その途中のこのあたりに見ものが一つある。


左に見えるコンクリ道へ入ってゆくと、すぐに空堀にぶつかる。

軽トラか何かの轍が入ってぬかるんでいたが、5メートルほど掘り下げられた溝は正しく空堀✨


奥のほうがヤブヤブで突っ込み難いのが残念だが、これが緩やかに登って尾根をも越えているらしい😮

北側の尾根からの侵入者から城を守る、外堀とも言えるだろう。

 

この外堀のある森から城に向かって進むと、尾根まで続くかなり広い平原が見えてくる。

正面の盛り上がりが主郭部。


真ん中あたりまで進んで尾根の方を見上げる。
往時はそれなりの役割を持った曲輪だったろう。
城が廃れた今では緑の原っぱだな…


この広場の南側に主郭部が立ち上がり、その裾に内堀が走っている。

ごく浅いうえに🌿🌿で覆われて分かりにくい…


この内堀も尾根を横断していて、さらに南へ伸びて回り込んでいるらしいので、内堀跡に沿うコンクリ道を登って南へ行ってみる。

それらしい場所は竹ヤブの中に入ってゆく道の先らしいので、入ってみる。


その奥の方にそれらしいものはあったが、何だか冴えない…

もともと小さかったうえに、だいぶ埋まっているらしい💦


奥まで行ってもあまり見栄えのする場所は無さそうなのでコンクリ道に戻る。

この道は、さらに先で外堀とも交差しているらしい😮


その場所はすっかり畑の跡らしかったが…

 

あるぞ…🧐


緑の中に、柵で仕切られた緩やかにカーブする凹みが、外堀に違いない…

カーブする高速道路のような線形が、わずかな凹みと🌿🌿で描かれている。

この広大な尾根を確かに西から東へ横断して、北側の山稜との間をきっちり仕切っていたんだな😮


激萌えだ。

 

この付近には他にも空堀の遺構が残っているらしいが、時間も押していたので切り上げて主郭部に向かった。


信濃 立科 芦田城 その2 に続く)


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(2022年11月24日 記)