宮本城は、旧富浦町の山の中、県道185号線にある道の駅おおつの里から程近いところにある。
里見家の内紛の末に勃発した稲村の変(天文二年:1533年)を制した里見義堯が居城とし、久留里城をうばって移転するまで本拠地にしていた城だった。
道の駅にある案内によれば、夜間の登城は無理だが公園化されているというではないか😮
というわけで、道の駅に車を停めて出発💨
日はだいぶ傾いてきたが、公園城なら何とかなるだろ…
なんて、甘〜い考えで😅
かなりの急坂もあるが、軽トラ道だろう。
コンクリ舗装された道は途中にある畑まで、それを過ぎると急に細い山道になる😨
しかも右上から大きな木が伸びていて 、背を丸めて通過することになる💦
まぁこういう城を目指すなら、怯んではイケナイだろう。
やっぱり倒木は多い💦
ササが濃くなった中を進んでゆくと、段郭らしいものが連続する。
ササで見づらいけど…
そしてササヤブっぽいところを抜けると、いきなり主郭に飛び出す😮
この埋もれかけた青い屋根が目印。
割ときれいな説明板も立っている。
かつては稲村の変で敗れた里見義豊とともに廃城にされたと伝えられていたらしい。
最近はこういう城にも登る人が増えているらしいが、これ何日ぶりに人と会ったのか、なんて思ってしまう…
さて、ここまでは多少荒れているとはいえ公園城の雰囲気をほんのり漂わせていると言えなくもなかったが、それにしても遺構が無さすぎるな…🤔
主郭から東に伸びる尾根の先にも「東遺構」があって、その両側に堀切などがあるという事なんだが、主郭上も周囲の切岸もヤブだらけで、どうにも身動きが取れない😬💦
東遺構のある尾根へはどうやって行くんだ〜なんて、ヤブコギもしながら彷徨っていると、下の方に説明板が見えた。
急斜面を降りて近寄ってみると、ホルトノキの説明板だった😮
ここのある場所、少しだけ斜度は緩いみたいだけど、曲輪なのかな?🤔
ホルトノキは相当巨大だった😮
こんな山中でも、元気やね〜🤗
尾根にはてっぺんの南側を踏むような踏跡が付いているが、時々消えて分からなくなったりして、あまりアテにならない…
自分の判断で、歩きやすいところを選んで進む。
堀切の向こう側には、わりと細い尾根が続いている。
東遺構の下には、山道が通っていたようだ。
ただ、そうとう荒れている😨
途中で沢の源頭のような場所を横断するところだが、この沢も竪堀か?
先の尾根。
ここで日も傾いてきたし、南東遺構の方も倒木などで塞がれていそうだったので、無理せず引き返す事にした。
東遺構の下を通って主郭の方に伸びる道を引き返してゆくが、倒木で潰されていた。
ここは通過に骨が折れそうなので回避〜💦
東遺構に登り返して、来た道を戻ってゆく。
下の方を見ると、歩道の続きが広い平坦地になっている。
ここも曲輪だったか?
尾根を戻り、堀切の前を通って、主郭東側の広い平坦地に戻る。
この平坦地からは、主郭の南を回り込んで麓まで続いていたと思われる道が伸びている。
さて今も麓まで行けるのか、日没が近くて不安もあったが、まぁ行けるだろうと下ってみることにした💨
山をナメてる典型的なパターンですな😳
良い子はマネしちゃいけません⚠
まだまだ続く…
通路の上から下まで、400メートルはあろうか🤯
これだけ長い竪堀状通路は、さすがに見たことがない😮
長い竪堀状通路のある山城は房総だけのものではないらしくて、西伊豆の高谷城などは大手道が見事な竪堀状になっているし、近くの稲村城や越前の玄蕃尾城などのように、城の前を通る街道が堀切や竪堀のようになっている所もある。
わりと普通に見られる遺構なのかも知れないけど、こんな麓から主郭の下まで直結するようなのは、初めて見た。
惜しい事に、この竪堀状通路は麓からの入口がよく分からない。
竪堀状の終わるところから、この切通しを越えて降りてゆくと、道はヤブに突っ込んで終わっている🥶
これも振り返り📸
★宮本城
千葉県南房総市
道の駅から登城口まで徒歩でも5分。
山城
(2022年3月1日 記)