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このブログに日本百名城が出てくるの、七尾城 、小田原城 に続いて3つ目か…

しかも、2回目の登城で部分的にしか見ていなかったり、総構の○態的なところばかり見て回ったりとヘンな楽しみ方ばかりしていて、本丸を中心にまともにぶつかって行ったのは、初めてだろう😅

今回は紀伊半島遠征の総決算のような意気込みで、時間も十分に取って出来るだけ広い範囲をくまなく見て歩こうと決めて、本丸までの距離が一番近い壺阪口から登ることにした。

 

→現在位置

壺阪口に駐車場は無いらしい。

このあたりの道幅は少し広くなっていて、しかもその少し上で一般車は通行止めになっているので、脇に路駐している人が多いようだ。


私は3つぐらい手前のカーブ脇、八幡神社下あたりに広めの余地があったので、そこに停めたけど、良かったのだろうか…💦


入口には立派な案内板が立っていた。

右側の縄張図に描かれている城の広さ、そして曲輪の数の多さったら…😮


まぁ広大さに怯んでもいられないので、突入開始💨

 

入ってすぐに石垣かよ〜😮


石垣に囲まれた曲輪が、二段続いている。
番所か、家臣の屋敷か?

その先しばらくは、ふつうの山道を登る。

こんな竪堀状通路みたいなトコも、山城なら『すわ遺構か🤩』となってしまうところだけど、何しろ最強の山城だからなぁ…


まもなく、右手に石垣が見えてくる。
壺阪口門に来たようだ😆

高取城がこれだけの石垣の城になったのは近世に入ってからだろうが、姫路城とか松坂城とかの石垣と比べて、なんと草枯た石垣だろう😮
それで現在まで持ちこたえているのもスゴイことだ…😮

壺阪口門に入る。

壺阪口門をくぐっても、すぐに曲輪じゃなくて、数十メートル曲輪の下を歩かされるのだな…😨


右手の上の方に曲輪の端っこが見える。

壺阪口郭へは、さらに北側へ回り込んでから登って行く。

そのあたりは石垣で固められていた。


城道から覗き込んだ壺阪口郭の、また荒れてることったら…😢

伐られたらしい倒木が散乱している😮

そういえば整備工事中だっけ…

 

城道は壺阪口郭の東側をスルーして、階段を登ってゆく。

もう三の丸の石垣が覆い被さってくるよう😮


登り切ると壺阪口中門
先程の壺阪口門といい、この門といい動線がなかなか広いが、往時は上に櫓をかぶせて櫓門にしてたか?

本丸方面へは、ここを左に進む。
しかし右の方にも、二の丸の裾を這うように帯曲輪のようなものが続いている。

ここは、右へ。

目の前に聳える石垣の高いったら…😮
二の丸の南面を固めている石垣らしい。

帯曲輪をしばらく進んで行くと、1段高くなるところがある。
こんな所まで丁寧に石垣で固めているのも、最強の山城のスキの無さか😮

すぐ先が二の丸の末端らしい。
聳え立つ、櫓台らしい石垣✨

側面に巻石垣が付いてますな🧐

帯曲輪の方は、ここで終点になっていた。

先端はかなり荒れているが、土塁のように盛り上がっている。


少し歩き回ると、この裾の石垣を見に行けそうなところがあったので、周りの石垣に触らないよう注意して降りて行く。

振り返ってみたら、…横矢の隅に土砂が積もったところだった💦

しかも、その左側の算木積みが…
今にも爆発しそうだぜ😨

その先が、この曲輪の末端のようだ。
何だか見慣れた光景🌿🌿…

その先端は、銃座のような小さな曲輪になっていた。
なんか松尾古城の遠見番所を思い出すような…

足元も石垣で固められてるやんけ…🤯
まったく抜かりがない…

…ってか、石垣から上半身を目一杯せり出すこの体勢、こえ〜よ〜🥶

ここまでで、早くも入城1時間💦💦

急げーっ💨

 

壺阪口中門まで取って返して、大手門の方に向かう💨

手前のこの通路、山城で当たり前に見る堀切の、最終進化形みたいだな🤯


では、次は二の門方面に降りてゆくか。


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(2022年1月26日 記)