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ここ数年の間にすっかりメジャーな城の仲間入りをした感のある、上総の造海城。 

真里谷武田氏によって寛正年間に築城され、その後武田氏の家督争いに乗じて里見氏が接収し水軍の一大基地にされている。

国道128号で上総湊の先、城山隧道の西側の山が丸ごと城になっていて、かなり広大。


Team crazyのデビュー3戦目はこの城に登ることにした。

写真をあまり撮っていなかったので過去写真を交えて…😅


これまた、すっかりメジャーになったらしい燈籠坂大師の切通しトンネルを入ってゆく。

向こう側から日差しが入ってきている✨

トンネルを抜けてすぐに、左に登る階段を行くと燈籠坂大師。

その脇を通り抜けると切通し。

(2020年3月28日撮影)

この切通しは、下のトンネルが掘られる前の道だったか?
切通しの北側で、城への道と北に降りる道が分岐しているので、城の方に入ってゆく。

国道127号の喧騒を聞きながら岩盤と木の根がムキムキの尾根道を進んでゆく。
(2020年3月28日撮影)

細かい登り下りがあって歩きづらい場所はあるが、全体としてはごく緩やかに登っている。
主郭のある尾根まで、まだ400メートルぐらい手前かというところで、虎口状が現れる😮

岩盤を覆う網の目のような木の根が、いかにも房総の雰囲気😮
この奥はかなり広い曲輪になっている。
(2020年3月28日撮影)

この先は、倒木で塞がれている場所などもあって、少々荒れている。
一時は城に登れないほどだったらしいが、何とか通れるようになっていた。

しばらく進むと、山陵の土手っ腹にぶつかり、道は左に折れ曲がる。

その先は堀底道のようになって、登りながら南に進んでゆく。
近年、地元の手により案内が設置された。

ここで、城道とは反対の北側に分岐している道があるので、入ってみた。
(2020年3月28日撮影)

この小路を行くと、岩盤をうがったらしい竪堀のような凹地にぶつかる。
(2018年7月8日撮影)

その下の方を通過してしばらく行くと、ドンヅマリは奇妙な岩盤の壁になっている。
コレは一体何だろう?🤔

戻って主郭方面に進む。
主郭部への入口下が切り通しになっていて、ここで尾根を横断する。
(2020年3月28日撮影)

まずは、その先にある奇観の一つ、横堀へ。
両側の垂壁っぷりと矩形の断面が、城の空堀としてはなかなか見られないだろう😮

この先は斜面中腹の帯曲輪のような場所をずっと進む。
上にも下にも別の帯曲輪が積み重なっていそうだが、特に上への往来はまずムリ💦
先の方には、山城には珍しい、水を湛えた池のような水堀がある。
(2018年7月8日撮影)

奥側が岩盤で堰き止められたような感じで、山城の水の手では時々見る造りだが、こんなに満々と水を湛えているのは珍しいに違いない。
一瞬、庭園の池かと思ったぜ😅
(2018年7月8日撮影)

まぁこの水堀には後でも登場してもらおう…
往時は城はここまでだったのかもしれないが、今は…

終点になっていたと思われる岩壁の一部がくり抜かれて、下に通じる階段が刻まれている😮
これは幕末の遺構だと言う。

この段はここまでなので、戻って主郭部に登る。
登りついたところが郭5。

ココも、以前は…
(2018年7月8日撮影)

歩道の両側がものすごいヤブだったのが、刈り込まれて広くなっている✨
ただ、曲輪全体にはとても手が回らないようだ😢

奥の曲輪との間は土橋状になっている。😮
(2020年3月28日撮影)

横から見る✨
(2020年3月28日撮影)

この主郭部には郭3、4、5と曲輪が続いているが、ヤブっぽく見栄えがしない。
一番奥の郭3主郭かな?🤔
奥の方へは、この土橋付近から西側の1段下の帯曲輪に降りる。
だが、その前にお楽しみの場所があるので、さらに1段下に降りる。
ココの写真を1枚も撮ってなかったのでありまふ😅
(2020年3月28日撮影)

広い帯曲輪が広がっているが、その南の端の方まで行く。
すると、東京湾の方に向かって下っている岩尾根の頂部に堀底道状が穿たれている。
(2020年3月28日撮影)

これを降りてゆくと、先ほどの水堀を上から見下ろすことができる😮
(2020年3月28日撮影)

この先、岩尾根の上を動線らしいものが水堀の向こう側に回り込んでいたが、幕末に穿たれたという階段のある切通しでプッツリ切られている。
下から見たときには神秘的な切通しだったのが、城跡から見ると破壊の跡であることが読み取れる。

上から見下ろす水堀を堪能した後は、主郭の方に戻って北側に並ぶ郭1、郭2を目指して進む💨

 

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(2021年12月26日 記)