この記事はTeam crazyデビュー戦の3城目で登った造海城 の続編のようなものだ。
この中で若い衆が郭6虎口の近くにナゾのガケを見つけてしまい、アタマの中が「???」になったワタシが、この目で正体を確かめてやろうと思い立ったのだった。
ちょうどGW初日で、北の方にゆっくり遠征しようと思ったので 、寄り道に丁度良いやと思って夜討ち朝駆けでやって来た💨
ところが…
朝からメチャメチャ☔やんけ…
それに、かなり寒いぞぇ…🥶
仕方ないわ…
愛甲名物、傘差し登城で突っ込むか…💦
車から出るのに相当な勇気が必要だった😅
もう廃道屋だけでなく城屋にもメジャーになったらしい、背の高い奇抜な切通しトンネル✨
燈籠坂大師の脇を抜けると現れる、岩盤切通し✨
もう何度も相まみえて、お馴染みになっている😅
雨に濡れて滑りやすくなっているし、何をトチ狂ったか傘差し☔で登城しているので、とにかく慎重に進む。
そして第一の目標、東側のナゾの壁にやって来た。
次の目標は、主郭部南西側に伸びる横堀だっ💨
ここも房総の城ではけっこう普通に見られる、断面が箱型の横堀で、岩盤をガリガリ切り取って掘られたものだろう。
側壁の垂直さが城跡らしくない😮
では、お目当ての郭6虎口横に向かうか💨
周辺の斜面を観察しながら進むが、降りられそうな場所は全く見当たらない。
城道の下は相当な急斜面だし、下の方にトラバース出来そうな平場も見当たらない💦
そんなことを思っている間に、郭6の虎口に着いてしまった😨
この周りからは到底降りられないので、仕方なく曲輪に入る…
ってか、☔そうとう強く降ってるぞぇ🥶
ちなみに、問題のガケを撮った前回の写真が、コレ。
このガケの位置は、虎口の外に出て左側、郭6からだと北側の尾根の裏側だが、曲輪の端まで行っても回り込めそうにない💦
仕方なく、土の急斜面の下に広がる郭7まで降りる事にした😭
晴れててもイヤな下りぞぇ💦
まして、手には☔
低山歩きをナメてるとしか言いようがありませんナ😳
良い子はマネしないでネ😅
何度もコケそうになりながら、何とか郭7まで降りた。
そして北側の尾根の端っこに行ってみると、なんと裏側に回り込めそうな細いバンドが伸びていた🤩
コレは、ミラクルだぞぉ〜💪
地理院地図(電子国土web)より
幅数十センチ、雨に濡れてツルツルの岩盤に刻まれたバンドを慎重に伝い歩く。
そして…
これゼッタイ石丁場やろ❗
目の前に立って、思わずガッツポーズが出てしまった💪
岩盤を垂直に切り取っている有様…
この水平に何本も入った痕…
そして足元に散乱する大小の岩の欠片…
どこからどう見ても、近代の石丁場だよネ❔ネ❔
まぁここは有識者の見解を仰ぎたいところだ。
上の方は、こんなん…😮
さっきココに入ってくる時に歩いてきたバンドの上も…
10メートルぐらい上まで真っ平らに切り出されていた。
よく見ると、こちら側には水平に伸びる線がない。
実は、ココまでに出会った岩盤を削った土木構造物で、岩の切り出し痕を比較できるように📷を向けていましてな…🧐
まずは切通しトンネルの側壁
続いて、燈籠坂大師裏の切通しの側壁
主郭部東側のナゾの壁
最後に、主郭部南西の横堀の側壁
これらから、何かが読み取れるか…
素人のワタシには、ちょっと分からない…
ここは専門家の見解が知りたいところだ。
造海城の少し南には、明治以降に房州石の一大産地となった鋸山の石丁場がある。
房州石や大谷石などは、明治に入ってから伊豆石の採掘技術が導入されて、石の名産地になったという。
そもそもここが本当に石丁場だったのか、そうだとしたら鋸山の石丁場との関係とか、興味は尽きない。
何しろここが鋸山と並ぶ石丁場になってたとしたら、城跡がボコボコにされて失われていた可能性もあったのだから…
ここは、是非とも
本格的な調査キボンヌ🧐
★造海城
千葉県富津市竹岡
灯篭坂大師の駐車場を利用できる。
山城
(2021年12月28日 記)