うちわ、の話。
前提として・・・
私たち夫婦と、義理の両親は、お隣さんです。
建物が隣同士の、同じブロック。
この話をすると必ず、
「え、上手く行ってる?いろいろね・・・」と含みを持たせる感じで、本当によく聞かれるんですが、私の答えは、
「はい、かなり上手く行ってます(真実)。」
こんな近くに住んで、はや6年。
結婚生活は長くても、義理の両親と年に何回かしか会わない人と比べたら、かなり仲が良い、そんな自信ありますよ。
私たちの友人が来ても、自信を持って紹介できる、そんな自慢の義理の両親ですから。
それでもたまに、あれあれあれれれれ?と思うことは発生するんです。
私が自分のやるべきことに集中していた、夕方のこと。
ピンポーン、とベルがなった。
あぁ、この時間に来るのは・・・義母しかおらんやないかいっ!
作業に集中したかったので無視していたら(普通にやります)、義母、下の鍵をあけて、私たちの階までやってきた。
遠慮のなさが、なせる技。
※私たちは同じブロックなので、下のメイン扉は同じ鍵
ここまでは、たまにあることで、さほど気にしていません。
私が外出から帰宅すると、扉の前に家庭菜園からのプレゼントが置いてあることもあるし、むしろ有難い。
しかし、この日、私は家の扉の鍵をかけ忘れていたらしい。
”誰にも会いたくない時は、鍵をかけないと”、と学んだ瞬間、扉が開く音が聞こえて、私の名前を呼ぶ、義母の声。そして、
「ベル、聞こえなかったの?」
いや、そんな問題やないですねん。(笑)
鍵がかかってないからって、扉を開けるとか、もう、恐怖でしかないですやん(笑)
どっかの田舎の、「こんにちはー」て言いながら、引き戸を既にあけている、そんなコントじみたシーンを彷彿とさせ、怒りと共に笑ってまうわ。
もとい、もう私に対する遠慮が極限になくなって、自分の実の娘にしか、しないようなことをするようになった義母。
嬉しいんだか、腹立つんだか・・・(笑)
しかし、今回はタイミングが悪すぎた。本当に邪魔されたくない時に来られて、私の堪忍袋の緒が切れてしまった。
ブチブチブチ、ぶちぶちぶちぶちーーーっ! (なんか切れた音)
というわけで、切れた緒をまた縫うべく、思うところを、キチント、言わせていただきました。
もう、お義母さん、(今回のことを忘れるまで) 二度と来ないわ。
しかし、ただ、健康なものを食べて欲しいという優しさゆえの義母の悲しそうな顔が、私に罪悪感を持たせる・・・
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けれど、こういうことは、現行犯逮捕が一番なんですよ。
数時間や数日たって、後から思い出すように言っても、やった本人はたぶんもう、忘れてる。
それに、その間ずっとモヤモヤが続くのも、ばかばかしい。
今回のことに限らず何でもそうですけど、あっ!と思った瞬間に出来るだけ片付けるのが、理想。
この辺り、外国に住んでから、多少上手くなったかもしれません。日本ではみな、雰囲気を読んだりして、面倒なことに巻き込まれたことって、そんなにありませんでしたもん。
しかし・・・遠慮がなくなる、ということ。
それは、私のことを実の娘だと思い可愛がってくれるから、こその事だと、頭では理解しているつもり。
人間、構われるうちが華。(なんか違)
正:怒られるうちが華
外国人は、家族同士の距離が近い。
話す時の顔の距離が近い、物理的な意味もあるけれど(笑)
家族、親族の集まりも多いし、遠くに住んでいても、週末に親の家に帰っている、なんてのも、よくある話。
物理的な距離が近いからこそ、ある程度の距離を保つことが必要で、まさに、親しき仲にも礼儀あり。
この考え方を外国人に伝えるのは、なかなか大変ではありますが、やるしかありません。
そして、その過程で、自分の意見をはっきりいう力も、養われるのかな。
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チーズやサラミなどが余ると、百発百中で「ピザが食べたい」と言い出す、うちのスイス人。
ピザ生地を作るのが面倒で、あまり気乗りしないけど、やっぱり作る。

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言葉は違えど、義理の両親にある程度の気遣いは必須。言葉、選びます。