「頑張れ」に続いて「信じる」という言葉も僕は安売りしたくないし安売りされたくない性分らしい
と言うか想像以上に重いものだと認識している
つもり
僕なりの結論から書いてしまうと「信じる」とは
ある意味で馬鹿に成り切る事だ
結婚詐欺の一幕
“はるかぁー 結婚おめでとうー ずるいぞぉ 私より先に売れちゃうなんて
”
“ともこにだって正博君がいるじゃなぁい だ
い
じょ~うぶ
だよん”
“そだね”
キャハハ
“それにしても慎一さん遅いわねぇ”
“道が混んでるんじゃない?”
“でも変ねぇ 慎一さん側の親族も友人もまだ誰も来てないみたい”
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“ちょっとはるか慎一さんに電話してみなさいよ”
“オカケニナッタバンゴウハ…
“まさか”
この“まさか”の次にくる言葉に注目したい
相手の事を「信じてる」が前提ならば“詐欺られた”とか“騙された”とか個人的には言って欲しくない
「信じてる」なら誰に騙されてるって言われたって一人事故や事件に巻き込まれた事を心配するものだと思う
それでもやっぱり“騙された”っていうのなら僕の勝手な基準では「信じてる」フリをしてただけだと言わざるおえない
言葉は悪いけど馬鹿になりきってはいない
「信じる」には大きな覚悟が必要だと思う
三千万の借金をするという友人の保証人になる事だ
命をかけてメロスの帰りを待つ事だ
「信じる」は言葉じゃなくて酷な現実だ
だから僕は人をあまり信じないと言えるかもしれない
それがために人から信じてももらえないかもしれない
それでも僕の「信じる」を安く設定するワケにはいかないのだ
なぜなら僕が本当に信じてもらいたい人に信じてもらうために、まず僕の「信じる」を差し出さなければならなくて、それが安いと僕の事も安くしか信じてもらえなくなるからだ
とかブワー!っと書いてきたけどあくまで偏った僕の一つの意見でしかなくて、実は書いてしまった責任に不安がないワケでもないのだけど...
希薄な時代には誰も信じない方が楽だし安全
信じられる人間をちゃんと選べばいいだけね
ってそれが難しい
僕は運がいい
PS
不思議なことに“自分を信じてくれ”と口にされると信じたくなくなる