ある大会社のお偉いさんが余命いくばくもない不治の病に侵された
お偉いさんは担当医に
“もし治してくれるならワシの全財産をやる だからどうか治してくれ”
とか言ったそうな
その後、担当医による献身的な治療により奇跡的に病状は好転していった
お偉いさんは少しずつ良くなるたび側近に
“治ったら二億くらい払えばいいかな?”
↓
“五千万でいいかな?”
↓
“三百万でいいだろ?”
しまいには
“非合法な金をやる必要はない”
とまで言ったそうな
チャンチャン
これは普段計る事の出来ない命の値段だった
このお偉いさんの場合、正直でストレートな入札だ
普通なら良心の呵責によってタダになるって事はないだろうに…
これは実話らしいけどね(新聞で読んだ)
モノの価値はその人間のタイミングで変わると思う
溺れてる人なら空気にいくらでも金を出すだろうし、今“たまごっち”に何万も出す人はあんまりいないだろうし、見る目もないクセに本物と思えば偽物のゴッホの絵にだって五十億出す人間もいるし、喉が乾けばスキー場の倍定価ジュースだって買うし、公衆トイレで用を足した後紙が無い!と気付いた時は“紙”にだってたぶん結構だすよ(金をね)…
ちなみに僕はまるごとバナナが大好きだけど菓子パン二個買えるその価格を高いと感じるあまり滅多に買う事が出来ない(\2500のCDはガンガン買うけど)
レベルは人によって違えど誰でも好きなモノには金を出す
でも“そこにあって当たり前”と思ってるモノの価値は普段かなり低い と言うか見向きもされない
“そこにあって当たり前”のモノ程無くなった時困るし価値も上がる…いや、もともと高かった価値にやっと気付く と言うべきか…
「欲しい」と「必要」なら断然「必要」が上なのに必要なモノ程むげにされる(大事な彼女を殴ったりすんなよ)
電気やガスの後、最後に水道が止められるのは水がもっとも必要で‘あって当然のモノ”だから…納得
で
やっと本音が登場!
本来は価格が変わってもモノの「価値」は変わらないと僕は思いたい
50年後には掘り尽くされるはずの石油は価格が上がっても、限りあるその「価値」は変わらないと思いたい そのお偉いさんの命だって死にそうだったから自ら価格を上げただけで「価値」はたぶんずっと同じだと思いたい(馬鹿だけど)
別れた恋人だって人間の価値は変わらない これは言い切ろう!ウンウン
けどなかなか通らんな
世の中…
そもそも価値が計れてしまうのが悲しい