4.14



また迷子になった
今度は誰かのせいにして
過ぎ去り行く日々の
想いを追い掛けた


ひび割れが足元に伸びて
「誰かのため」とか言いながら…
また行くべき場所を見いだした


今は笑顔と涙の中で溺れよう
昨日唄った歌を集めたら…放て


中略


窓の向こうに答えが出るなら
笑顔と涙の中で溺れよう
WOO


大昔に創った“414”という曲
その都度アレンジが変わりながらも今まで生き残ってる僕の中では稀な曲
4月14日に創ったから“414” ハレーさんが見つけたからハレー彗星みたいなお茶目な原理だ
“何気ないその日の日記”というのが本来のタイトルの狙いだったから正式には
「4月14日の日記」
元バレー選手の川合の奥さんの誕生日とかは関係ないのです(誰だよ)


当時、僕はプーというか仕事が見つからなくてかなり参っていた 拗ねてさえいたかもしれない
仕事の面接の帰り、舌打ちしながら空き缶を蹴飛ばした瞬間に“ドカッ”と曲のイメージが出てきたのをよく覚えている
今より更に蒼かった僕は答えを出すのを諦めて“溺れてしまえ”とか歌ってるけど今もあんまり変わってないかも…なぁ と改めて思ったりも…


あれから毎日毎日毎日毎日、取り留めもなく次の一日がやって来る事にウンザリしながらもあの日も、そして今日も僕は僕なのだった



アドレスにはそんな思いが込められて
いた?

っけ?

“そしていつまでも
いつまでも幸せに暮らしましたとさ
めでたしめでたし”
終わり


昔話のハッピーエンドの典型
僕はそのオチを幼き日から“良かった良かった\(^O^)/”となぜか素直に受け入れる事が出来ず大人になっていた…
いや、そもそも「幸せ」って何よ?ってなもんで


“困難に立ち向かって克服したり、それにともなって成長したり、純粋に夢を追いかけたり、気になるあの娘とランデブーしたり、次元大介のフィギュアをヤフオクで落札したり”
も幸せなら
“ムチでピシピシ叩かれたりウ〇コを食ったり、小さい子供にイタズラする事”を幸せだと感じる人間もいる(死ね)


言うまでもなく幸せってのはまったくの主観で人それぞれ違う
だから一般的に言われている「幸せ」っていうのはただの概念と言えるかもしれない
「幸せ」の前に“その人にとって”という言葉を付ける必要があると思う


正論をカマしてしまう自分が口惜しくもあるのだけど… 昔の歌にもあったように幸せは向こうから歩いてくるものではない
自分が手を伸ばして掴むもんだ とやっぱり思う
ならば
昔話のお爺さんやお婆さんは高齢になって尚、幸せのために手を伸ばし続けられたのだろうか?
しかも“いつまでも”って…そんなに断続的に幸せを手に入れまくったのか?
どんだけタフやねん?
嘘やろ?
みたいな疑問が残るけど

“何もない事がわしらの幸せなんじゃよ なぁ婆さんゴホッ ゲホッ ペッ”
と切り返されたりしてシュンしょぼんとしてしまうに違いない

何しろ幸せは主観なのだから...



「毎日同じ事の繰り返しでつまんないなぁ~」

的な悩みもよく聞くところだけど

これまた「気持ちの持ちよう」とかいうシンプルな答えに落ち着くのね


考え方の相違なんです たぶん...

僕の幸せは少なくとも別の形をしてますけどね



もともと僕は何かを創ったり、書いたり、それを解ってもらおうとする人間だったか?

と夜の夜中に一人思う


僕にはなぜか意見がある 言いたいことがある 

そしてそれが良いこととは思わない

でも僕の場所を用意してくれてる人(もしくは僕がそう思い込んでる人)がいると聞いてもらいたくなる ぶつけたくなる

きっとそれはあまえなんだろう



僕の中で生まれた意見君はやがて成長して僕を操って時々人を傷付けたりしながら僕の場所を作り上げる

僕は何食わぬ顔をしてその場所で生きてまた別の意見君を生む

小さくて弱い意見君は大きくて強い意見君に吸収されたり食べられたりして僕という人間の根幹になっていく 

それが人が見ている僕という人間だ


明日自分が生きていると思うのは図々しいことだけどたぶん生きているんだろう

君が何かを残せと言うのなら僕は従うしかありません

「自分の価値を稼げ」ですか...