場面緘黙症(かんもく)の幼稚園児 〜アメリカの幼稚園での記録〜 -2ページ目

場面緘黙症(かんもく)の幼稚園児 〜アメリカの幼稚園での記録〜

場面緘黙症(Selective Mutism)を持つ年中(4歳)の男の子の記録です。アメリカの幼稚園に通っています。緘黙症について完全に無知だった私。場面緘黙症の兆候、診断、その後を綴っていきます。音楽と楽器が大好きな男の子です

場面緘黙症が疑われ、地元で診ていただいた結果、場面緘黙が仮診断として出されてからしばらくたちます。

大きな病院で再度診ていただいて、本診断書を学校に提出予定でした。

ただ、それは自分たちでしようとしていたのです。

というのも、こちらの地元の小児科医は場面緘黙について知識がまだおありでないようで、「そのうち治るから心配ない」という結果を出したのです。

しかし、書籍やウエッブ上の情報を読み漁ると、小児科医でも場面緘黙の知識が少ない方もいらっしゃる、ということでしたので、セカンドオピニオン的に、大きな病院のしかも場面緘黙症を専門で研究&治療されている先生のところに行く予定でした。

連絡をいれたのは何週間か前。

折り返し電話をします、の留守電に何度もメッセージを残しましたが、連絡が来たのはたった一度。

しかも、ちょうど一番忙しい時間帯で、子供達のお迎えとお稽古の送迎時で運転中でしたので電話ととれませんでした。

再び連絡をしても留守電。

そうやって待たされること何週間。

昨日やっと連絡が入り、家を出るギリギ前だったのですが、電話にこたえることができました。

保険会社の名前、番号・・・色々聞いてくださったのですが、最後に、「もしかして新しい患者さんですか??」と。

「はい、そうですが。留守電に何度もその旨をメッセージで残しています。」と答えるも、「ソーリー、ソーリー、新規ではもう今は受け付けていないのです!ごめんなさい!では・・」

と。

でも食い下がり、どのようにしたらその有名な先生に診ていただけますか?と尋ねても、ソーリーの一点張り。

この方は受け付けの方ですが、訛りもありましたので移民の看護師さんか受け付けの方でしょう。アジア系の方のように感じました。

とにかく対応をきちんとしません。

時間帯的に早く帰りたいというのもあるのかもしれないですが。

結局、新規ではもう取れない、ということだけ理解して、そこにはお世話にならないことにしました。

その後、場面緘黙症を専門で治療されている医師、カウンセラー、セラピスト、博士のリストを再び見て一人一人に電話をして聞いていきました。

このリストは、場面緘黙症のサポートグループのリーダーからいただいたもので、わが町にはセラピストはいらっしゃらないので、すこし遠い場所の専門家ばかりなのですが、5人ほどいらっしゃいます。

ただ、いただいたリストには、保険の適用があやふやにしか記載されていませんでしたので、一人一人に連絡を差し上げて尋ねた次第です。

結局、その予約予定だった大学病院と、もう一つの場面緘黙症専門のカウンセラー兼セラピストのみが保険適用ということを知りました。

そのカウンセラーの先生のHPも拝見し、1995年以降、200人以上の場面緘黙症時の治療にあたったといいます。

そしてアフターサービスもよく、無料で学校の先生に直接連絡をして、説明もしてくださる、と。

昨日もその先生に30分ほどずっと電話で相談とお話を伺いました。

我が家は本当に幸い保険がきくので、毎回10ドル(千円ほど)で済むようです。(アメリカでは、保険がなければ、もしくはその保険の種類によっては、一度の訪問で300-400ドルほどするそうです。3~4万円です。ちなみに我が家のようは保険では、Co-payコーペイと言って、毎回決まった金額を支払う形になります。我が家は10ドルとのことですが、保険の種類によって金額が違ってきます。)

問題は、我が家から1時間半~2時間かかる大都会にあるということ。

私としては、身体的な病気で通院するわけではないので、都会にも出られるチャンス、一緒に子供達と楽しめれば、と考えていますが、療育が本格的にスタートすれば、週に1回ずつというペースが理想みたいですので、厳しいです・・・

でも、今が肝心です、と言われました。

ただし距離的な問題は理解してくださり、どうしても無理なら2週間に一回や、電話でのカウンセリングもします、と。極力力になる、と。

ありがたいです。

その先生に今の次男の現状をお伝えすると、とても悪い・・・と。

登園拒否を訴えるのは今も続いています。

だから初の療育スタートをこの日曜にしてくださいました。

そう。日曜もしてくださるのです。(その患者さんの状況によって、、)

先生の治療は、認知行動療法(Cognitive-Behavioral therapy ーCBT)と、 アクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy ーACT) の二種類でされるそうです。

認知行動療法は日本でも同じようなのですが、ACT(アクトと発音されるそうです)は、もともとアメリカ発祥で、現在広く行われている療法のようです。日本でも広まりつつあると読みました。(すみません、私もまだ不勉強で、療育が進むにつれ私も勉強し、こちらでシェアさせていただくようにします。日本の森田療法との違いなども調べられたらと思っています)

Acceptance and Commitmentは、訳として「目標を共有して、それに向かって実行すること」とされています。[参考文献:こちら]

先生いわく、ゲームを一緒にしたりしながら、怯えないように細心の注意をはらって行います、と。

今までにも4歳児をされたことはたくさんあるようです。

また、我が家のような多言語環境の子供達も診断されたことがあるようです。

(多言語環境にいる我が家ですが、長男には場面緘黙症はありません。むしろ、正反対で、人見知りが全くなく、朗らかで、誰とでも、どこに行っても、どんな状況でも発言できる、ちょっとおしゃべりな長男です)

ひとまず、こちらの先生の初診で診断書をいただき、それを学校に提示。その後に、こちらの先生から園の先生の直接電話をしていただき、場面緘黙症時にどう対応するべきか、をお伝えいただく予定です。

現在の段階では、園の先生は無理強いして発言させることはない、とおっしゃっていますが、時々彼女がお話される中で、

「ものを頼んだりするときは、きちんと声にだしてお話しないといけませんよ」

と最後に次男に伝えるようです。

それは・・・場面緘黙症の子供たちは100も承知だと思うのです。

だって、おうちではできますので。

でも、その「マナーが無い」という判断で行動される先生ですので、やはり専門家から直々にお話いただく方が理解していただける、と思います。

それでも改善され無い場合は、当然やむを得ませんが転園です・・・

それだけは避けたいのですが・・・

ですから、本当にこの初期の段階が本当に慎重になります。

カウンセラーの先生は、まだお会いしていませんが、信頼できる先生のようですので、頼りにしたいと思います。

アクトの治療法についても、色々私も学べたらと思います。

記録として、そして同じような悩みを抱える方々のためにも、私としてはこちらのブログで極力色々なことを残したいと思っています。

また、いくつかのアメリカの場面緘黙症に関する記事やサイトでボランティアを募集しているのですが、日本語に翻訳をするというボランティアに応募しています。

(いつかそれらのサイトや記事の翻訳ができれば、と考えています。)
次男のクラスメート(4歳、年中さん)の最近の反応について記録程度のまとめておきます。

園生活というのは本当にわからないもので、先生から聞くお話がメインなのですが、幸い我が子たちは同じ学校に通っているのもあり、長男からも様子を伺うことができます。

ちなみに我が家は、私立の幼・小・中一貫校に通わせていて、長男は小学部に在籍します。

さて、その長男。

度々私にこう報告してくれるのです。



「今日、⚪︎⚪︎のお友達にトイレであったよ。そして、⚪︎⚪︎のこときいたの。そしたら、⚪︎⚪︎がお話できる場所と、お話できない場所があるのはなんで???って聞かれた。どーやってこたえたらいい??」



確かに難し質問かもしれないです。

でも、4歳といえども、その子はとても観察力があるのか、気づいてしまったといいますか、よくわかっています。

園庭ではお話してくれるのに、いつも移動の時間には話してくれない、といったそうです。

移動の際は、必ずラインアップと言って、整列させられます。

そしてきちんとまっすぐ立って、と言われます。

その段階から緊張がはじまるのでしょう。

そのお友達曰く、次男は話せなくなるようです。

また、クラスで輪になって先生を囲んでお話する際、例えば朝の会だとか終わりの会、全くはなせなくなる、と。

⚪︎⚪︎はどう思う?と言われたら、全く声が出ないみたい、と。

他の子供達も気づいているでしょう。

これについては、先生と来週の懇談の際に相談して、先生のご判断にまかせます。

子供達それぞれに次男の症状を伝えてもらうのか、もしくはその次男と特に親しいお友達にだけ、そっとお話して頂くのか。

それは先生のお仕事でもあるかと思いました。

ちなみに、そのお友達のご家族はとても静かな方達で、まだお母しさせていただいたことがありません。

だから、急にこちらからそんな話を切り出すのも申し訳なく・・・

私がそのお子さんに、そのお話を持ち出すのも、ちょっとややこしそうですので、先生に相談いたします。

「いじめ」につながらないように、そして次男がみじめな思いを毎日毎日しなくても良いように、と願わずにはいられません。

セルフエスティーム(自信)が低下する原因の一つが、このようなお友達の何気ない言葉だったりもします。

だからこそ、きちんと情報を伝え、理解してもらうことも大切かと思います。

このようなこともある、このような子もいるというのを、この機会に子供達に知ってもらうことも素晴らしい勉強の一つでもあるはずです。

そこはまさに先生の腕次第でもあるのでしょうが。

先生を本当に頼りにしています。
今日は少し立て続けに投稿します。(備忘録を兼ねてのブログですので・・・)

先日の次男の楽器個人レッスンでの出来事です。

先生と、私と、そして次男の3人でいつもレッスンに取り組みます。

と言っても、音楽なので癒しの効果もあるのか・・・

次男にとって大好きな時間でもあります。

先生がまたとてもお優しい方で、私自信も救われます。

その先生とはすっかり心も打ち解けている・・・のですが、やはり次男は一言も声を出したことがありません。

もうそろそろ1年経とうとします。

当初は私も緘黙について全く知りませんでしたので、「おしゃべりしなさい!はい、いいえだけでもいいなさい!」と言ってました。

先生も、「声を聞かせて~?」と穏やかに言ったり、言葉で答えさせるような質問をたくさんしてくださいました。そうすることによって発言が期待されたからです。

・・・が、音楽の先生というのもあるのでしょう。

感覚というのから、何かを感じたのでしょう・・・

ある時を境に先生は答えさせるような口調を抑え始めました。

その代わり、「心」で交流するような・・・言葉では難しいですが、そのような姿勢になったのを私は憶えています。

それでも、私は、そんな先生のご苦労にとても恐縮して、次男にいつも家に戻ったら、


「なんでもいいからお話してごらん!すごく優しい先生ってわかってるでしょ?いっぱい話さなくていいからすこしだけでも、幼稚園のことでもいいから話してみてよ!」


って、よく言っていたのを覚えています。

哀しいかな・・・場面緘黙症についてすこし知り始めたいま、そんなことを言葉にするのは・・・困難極まりないということ。

前置きが長くなりましたが、そんなこんなで今の個人レッスンは楽器を弾いて心の交流をする・・・というような、まるでセラピーのようなレッスン。

このような先生で良かった、とつくづく思いますが。

次男は、だからそんな先生が大好きなのです。

言葉こそ出ませんが、最近は、先生の手を握りに行って手を引っ張ったり、先生の手を触って直接何かを渡したりします。(下に落ちている何か小さいものを探すのが好きみたいで、取るに足らないものをいつも探しては先生に渡すのです・・・。これも彼なりのコミュニケーションなのでしょう。そしてそれに優しく接してくださる、とても素晴らしい先生です。)

アイコンタクトも・・・実はありませんが、先生の目が次男を向いていない時は、じっと先生を見つめるようになりました。

そして、ちょっとおふざけをしたり、わざと先生を笑わせようとしたりもします。

そんな次男に合わせるかのように、もちろん常識の範囲で、先生も一緒におふざけして次男と楽器を介して戯れてくださいます。

先日のレッスンもそんな感じでした。

そうして、先生がすこし次男を笑わせるようなことをしました。

そしたら・・・


う、う、う、うううううう


と、声にならないそんな懸命にこらえた笑を必死で隠そうとする次男がいました。

笑う声。

これも、緘黙の症状が出る対象の相手には聞かせられないのが場面緘黙症の子供たちというのもすこし聞きましたが、次男もまさにそうです。

顔も下にして、見られたら困るように。

でも、もうおかしくて、おかしくてたまらないので、必死に声を殺して笑をこらえていました。

その姿がかわいくて・・・というのもありますが、その必死に声を殺そうとしている姿にすこし悲しくもなりました。

もしお家だったらゲラゲラわらっていたでしょう。

それでも、とてもリラックスしてレッスンに取り組んでいた次男でした。

レッスンの最後は、Thank you for my lesson. (授業をありがとうございました)と言うことになっているのですが、彼はもちろんいいません。

そのかわり、お辞儀だけします。

(音楽のレッスンでは、日本ではありませんが、マナーとしてお辞儀もします)

そして先生が Big Hug! 抱擁してくださいます。

先生は、いつか彼の声が聞ける日が待ち遠しい、とおっしゃいます。

しかし、プレッシャーにしたくないので、本人には言いません。

今となっては、これが障がい、症状という認識の上で接してくださっていますので、誠に感謝しています。
昨日の続きです。

激しい登園拒否を訴えたその後。

お迎えに行く際、先生とお話を少しさせていただきました。

先生の開口一番のお言葉は・・・


I am also very sad to hear that .....


そんな激しい登園拒否を訴えて涙したなんて先生も悲しい、と少し辛い表情でお話されました。

そうですよね、、、大ヴェテランの先生でも、とくに幼児をみる先生方はお若い方でも、子供が行きたがらなくなったというのを聞くと、「自分に魅力がないから?」「何か気に触ることをした・言ったのか?」・・・色々と考えてしまうものですよね、きっと・・・

かくいう私も、日本で社会人をしていたとき、指導職についていました。幼児もみました。

緘黙ではありませんでしたがシャイでお母さんと離れるのが怖くて怖くて泣き叫ぶ女の子、いつも楽しそうにしていた女の子のお母様からいきなり電話で「最近行きたがらないんです・・・」と言われた時のショックと言ったら・・・

とくに後者の、お教室ではとても元気で楽しそうなのに、行きたがらなくなった時いた時のショックは今でも覚えています。

教育というのは、やはり「満足」するというのがないもので、常に改善、子供のことを思って、そして無常というのを知っておかないとだめなんだな、、、と若い時でしたが実感したのを覚えています。

次男の先生でも、ショックだったと。

アメリカ人ですから、先生でも自己表現はしっかりなさいます。

でも、そこから先のお話はさすがに教育者ですから、分析と客観性をもたせながらお話くださいました。

昨日のお教室では、いつもと変わらずでしたよ、と。

次男はモンテッソーリが合っていると私は思っているのですが、モンテッソーリのお仕事というお遊びとお勉強のアクティヴィティみたいなのがとても好きなのです。

だから、先生もおっしゃるように、一人で黙々とするんです、と。

これは説明も要らないようなおしごとのことを指していると思います。

でも、一つの内容に傾倒することが多々あるのです、と。ただし、これはほかの子供たちにも言えることで、悪くないことで、むしろモンテッソーリでは重視している点であるとおっしゃっていました。

お教室では、当然先生とは一言もお話しませんが、先生の袖をひっぱって何かを訴えてきたり、ジェスチャーで訴えたりします、と。

でも、、、、先生も相当フラストレーションがたまっていらっしゃるようで、それだけではコミュニケーションがとれず、先生自身も苦労している、と。


「小声で言ってみてもいいのよ」


と、次男に伝えて耳をそっと口元にもっていっても、全く口を開かなのですよ、と先生もご自身の奮闘ぶりを私のお話くださいました。

本当に恐縮です・・・

緘黙の児童は、小声もでないことが多々のようですので、私としては、それも無理だろうな、、、と内心思ったのですが、先生自身は場面緘黙症についてまだご存知でないことが多々のように感じ取りましたので、きっと未だにシャイで話せないから、小声でも話させてあげようと思っていらっしゃるのでしょう。

実際、音楽の時間、スペイン語の時間もどのような感じかお話くださいましたが、先生方とはお話されないようですが、音楽の時間に一度だけ聞こえるか聞こえないかの本当に小さな声で音楽の先生に一単語だけでしたが言ったようです。これは初耳でした。

この音楽の先生は、次男は好きとずっと言ってましたので、、、少し心を許したのでしょうか。

だから、担任の先生はなおさら、小声だったら話させられるかも?とお思いになったのでしょう・・・

私も謎だらけで、先生という方にはまず絶対いっさいお話しない次男なんです。

それが音楽の先生だけには、一単語だけですが、蚊の鳴き声よりもっと小さい小声で話したというのは・・・謎です。

そういえば、場面緘黙症の子供たちの中には、おしゃべりできる先生とそうでない先生がいることもある、とどこかで読んだことがありますが、次男もこれを機におしゃべりできる先生が増えればいいのですが・・・

でも、たったそれっきりで、また声を出すことはなくなったということです。

音楽の先生・・・どんなマジックを使ったのかしら?ひらめき電球

私も、担任の先生も興味津々でした、苦笑。

話を戻しますが、音楽の時間はお歌も歌わないようですが、スペイン語の時間はスペイン語の歌はうたわないようですが、単語をみんなで発生する時は紛れ混んでみんなと一緒に言うそうです。でも小さく。。。

これは来週、その音楽とスペイン語、そして体育の先生にも連絡をとって聞いてみる予定です。そしてまとめておきます。

最後に。

担任の先生は、やはりまだこの場面緘黙症というのを疑われている節もあると思うのです・・・

というのも、必ず話せるようになるはず、という強い意志を常に感じるからです、先生とお話するたびに。

確かに。そういう意志は必要なのでしょうが、今は母親の私としては次男の症状が悪化しないように、と考えるのが先で、話せるようにするというのはプライオリティではありません。

だから、そこにギャップが生じるというか、先生からしたらやはり私は子供を甘やかしているのではないか、というお気持ちも必ずおありであるはずです。

難しいですね・・・

体面に症状や障がいというのが出ないこのような場面緘黙症というのは、非常に大変だとわかりました。

アメリカは、日本に比べると、ハンディキャップやチャレンジングの子供たち(いわゆる障がい者)にはとても優しい国だと思うのです。

それは、宗教のバックグラウンドからもあるはずなのですが、それ以上に強力なサポートグループの存在、そしてそれを支える専門職の方々。また、研究体制が整っていることもあるでしょう。

さらに、アメリカ人という気質から、「アピールしてなんぼ」という、つまり「アピールしないと存在がなくなる」というそのようなこちらの環境要因もあり、自分自身やその子供たちのチャレンジングな部分(病気や障がい)をアピールする「習慣」があることも非常に大きいのではないかと、私は感じています。

ですから、場面緘黙症というのを隠さず、むしろ啓発月間と題して最大限にアピールします。

それによって他者にその言葉を知ってもらえるようになり、理解につながるという構造です。

しかし、それでもやはり、体面にあらわれない障がいや症状というのは、アピールをしても、訴えても理解に届くか届かないかという現実があるのではないか、というのも今感じています。

障がいや症状というのは、決まった形があると一般の方は思われるからだとも思うのです。

先生がたもそうでしょう。


もし、おしゃべりできない障がい(症状)があるというなら、誰にもお話できないものでしょう?仮に、先生だけにお話できないというのであれば、一人の先生にだけお話できるというのは障がいというのではないでしょう?だから、お母さん、あなたは考えすぎなのではないですか?


という裏の意味が、先生から未だに私に伝わってきます。

先生のお気持ちも私は十分わかりますので、決して悪くはとらえていません。

先生は結局、「お教室の中で、話すことを強要したり、意地悪なことというのは当然ありませんから、その点はご安心ください」

と。

もちろん、私を咎めるつもりでおっしゃったわけではなく、次男の激しい登園拒否で、まずその点を先生自身は押さえておきたかったのだと思います。

というのも、アメリカでは訴訟がこのような場でも起こりえますので。

でも、実はその一言で私は安心しました。

あ、そうか・・・次男は強要されることはないんだな、、、良かった、、、と。

先生を信じていないというわけではないですが、そこだけは確実に押さえておきたかったのがあるからです。

長々かいてまとまっていませんが、昨日の園のあとに先生とこのようにお話をしました。

で、結論ですが。


1、コミュニケーションカードを常に次男が携帯できるようにしておいて、最低限必要なカードだけ持たせる。
2、カードを携帯していることを先生にも知ってもらう
3、カードを見せてコミュニケーションを図るということを次男にきちんと伝え、見せる習慣をつけていく
4、コミュニケーションカード作成の改善




私は、すでに作ってもたせていたのですが、ズポンのベルト通しにひっかけられるようにしていたのです。

でも、実際に次男が履くズボンはジャージみたいなゆるゆるパンツばかり、しかも長男のお下がり叫び

だから、彼の学校カバンにぶら下げて、使いズラいのでしょう。。。

ということで、改善して、必ず携帯できるように、と思います。

ズポンに紐をつけるのでもいいし、、、

あと、先生にもきちんと念押しして次男のカード持参の話を改めてします。

改善したカードを持って行き、これを次男は身につけていますので、もし何かあったら次男が見せますから、お願いします、と。

先生としては、声に出してきちんとコミュニケーションを図ってほしい、という教育者としての強い意志がおありでしょうが・・・

これで様子をみます。

来年は年長の次男です。

年長からアメリカでは、いわゆるお勉強がはじまります。

「しつけ」というのも厳しくなります。

でも、このカードが定着すれば、、、彼は「受け入れられ」たことになるでしょう。

そのためにも、このカードの活用と、カードを受け入れてもらうこと というのが最大の課題で解決策でもあると感じました。

そして、クラスメートの子供たちが、それに違和感を持たなくなる日がくることが今の一番の願いになりました。

少しだけですが、悩みの中で希望がみつかったようで、私としてはただただそこにつき走るのみ・・・というところです。

昨日は、先生とお話するまで、家でずっと悩んでいました。

朝ごはん、昼ごはんも喉が通らず、悶々としていました。

そして飛んで学校に迎えに言って先生とお話をして・・・

自分自身ももっと変わらないと、と気づきました。

やはり、昨日までの自分は、「明日になったら普通にお話できるようになるかも」と密かに思っていた、と。

でも、現実は、辛いもので、次男は苦しんでいます・・・

あんなに辛そうに涙することはいままでなかったので、本当に悩みました。

これから、確実に次男が園生活を送れるように、この症状というか障がいというかチャレンジングの部分を完全に受け入れて、自信を持って取り組むようにしないと、と気が変わりました。

そんな私の変化に気づいたのか、気づいていないのか、、、旦那さん。

男性はやはり子供達と接する時間が少ないのもあり、しょうがないのでしょうね。。。

私が永遠と次男の悩みや先生との会話、細かいことをお話し終わった最後に。



で、晩御飯はなににするの?



ガーン
<4歳10ヶ月>


実は、2日ほど前から急に・・・

「学校もういや~」

と、ぼそっとつぶやくようになった次男です。

でも、何度も言うのではなく、小声で1~2回ほどしか言わないので、ちょっと疲れているのかな?ぐらいにしか捉えていませんでした。

でも、母親として・・・ひっかかる気持ちになったのは確かです。

そうしたら、昨晩・・・


次男:「あしたはがっこーあるの?いや、いかない」

私:「あしたで学校はおわり(週の)だから行こうよ」

次男:「いや~~~~~いきたくない~~~~!」


どうして?


と聞くと、いつもの返事。


「わからな~い」


わからない、にはいつも理由がある次男ですので、一つ一つ絡まった紐をほどくように、わかる範囲で理由を探りながら聞きました。


・お友達と何かあったの? ちがう
・いやなことがあったの? ちがう
・先生に何か言われたの? ちがう(?)
・おはなしできないから教室でたいへんなの? うん


それからは黙り込んで、遠くを見つめる表情で落ち込んでいました。

ゆっくりと落ち着いた口調で聞いてみました。


「せんせいとおはなしできないから、ヘルプがいるときもいえないんでしょう?」

「うん」


もちろん色々理由はあるのでしょうが、一番本人的に危機に迫った大変さはこの点だと、彼が言うように私も思います。

次男は、場面緘黙症児のほとんどのお子様と同じように、先生方には絶対にお話ができません。

何か頼むときは、せんせいがおっしゃっていましたが、せんせいの腕をひっぱって指差しをして訴えるのみだそうです。

でも、色々込み入ったことになれば、それだけではせんせいも理解できず、本人もコミュニケーションが十分測れないということからフラストレーションがとてもたまっているようなのです。

そして、先生はこう私に以前おっしゃいました。



「そんなときは、いつも⚪︎⚪︎に言います。きちんと声に出していうのよ、と」



ただ、それを言うのを強要するようなことはないと思いますし、そうししたとしても次男は絶対に声が出せませんから先生はギブアップするでしょう。(これは、園のその場にいないと全くわからないことで、、、)

でもどうやら、次男はそれが辛くなってきて、耐えがたくなってきたようで・・・

今まで、たのしいと言って通っていた園に今朝は起きた途端、行かないと号泣し・・・

実は、これを一番恐れていました。

もちろん、場面緘黙症やその他の障害や症状をお持ちでないお子さんでも、登園拒否をする子供たちは少なくないでしょう。

でも、次男は場面緘黙というのがあり、これの2次障害というのが「いじめ」や「登園・登校拒否」と言われています。

次男もとうとう登園拒否を訴えるようになりましたが、様子をみます。

と言っても、満3歳で入園した際も、年少になるまでの半年はずっと登園拒否を訴え続けていました。

年少の1年は、クラスで全くお話もしませんし、園庭でも話さず、誰とも話さずでしたが、毎日学校に行きました。

今日みたいにひどい登園拒否はしませんでした・・・

あともう一つ理由としてあるのが、今は年中ですので、次男が通う園では、個別のカリキュラムがあり、しないといけないこと、というのがあるようです。

もちろん子供達の自主性を尊重してくださっていますが、勉強内容も少し入ります。

モンテッソーリですので、それらを「おしごと(英語ではワーク)」と呼ばれていますが、中にはちょっと理解するのにしばらくかかりそうなおしごともあるのです。

とくに算数関係の。

もちろん先生がきちんと指導くださるのですが、その指導だけで理解できなければ、先生に再度聞かなくてはいけません。

先生がずっと側についてくださるとは限りません。

そうなると、次男は先生に助けを求める際、とてもハンデがあります。

声が出せませんので、そうしたら・・・おしごとが嫌になる、という循環です。

本当は、そのような込み入ったモンテッソーリのおしごとが大好きな次男なのです。

算数も好きだし・・・

だけど、やはりやり方をきちんと理解するまではどの子供もしばらくかかります。

次男も同じです。

理解力はもしかしたら早いほうかもしれませんが、それでもやはり先生に何度か尋ねないとできないおしごともあります。

わからないと・・・当然いやになります。

だから、それもあるのではないかと思いきいてみると、「さんすうのわーくがいやだ」と言ってました。

でもそれを毎日するわけではないから・・・

と伝え、ひとまず乗り越える対策として、アルファベットビーズをつなげたブレスレットを作ってもたせました。


I NEED HELP


とビーズでつなげたブレスレットを右手につけました。

先生にこれを見せると先生が反応してくださる、ということで。

でも、それを見せることさえ渋り出した次男ですが、お話することができないというのを自覚しているので、どうしようもないときは見せる、と言いました。

そうして園に送り出した今朝です。

でも不安が非常に強くなったようで、ママも一緒にきて、ママも中に入って・・・と。

場面緘黙症は不安障害の一つであると言われていますので、納得します・・・

でも、ずっと園にいることは、次男の園では許されていませんので(アメリカでは自立を促すのが第一ですので、子供たちは親と離されて当然です)、朝の授業開始前の園庭での休憩時間は外からずっと見守ってあげるから、と約束をして送り出したら納得しました。

なので、ずっと朝の休憩時間は園庭のすぐ真横に車をつけて、中から観察していました。

次男は、昔から急に大勢の輪に入ることができないので、まず園庭の周りを囲んでいる組み木の上をずっと一人で歩いて一周して園庭内の様子を伺っていました。一人です。

そうして立ち止まって眺めて一人でずっと立ちすくんでいたら、クラスメートの何人かがやってきて「いっしょにあそぼうよ」みたいなことを言われていましたが、反対のほうを向いて一人でどこかに。それについてくるクラスメートたち。でも次男の顔には笑顔が少し。

結局園庭では遊ばず一人でいた次男でしたが、始終私をチラチラみて手を振っていました。

でも、ランチ後の休憩時間はみんなと一緒に遊ぶようです。言葉も発するようです。ごっこあそびもした!と数日前にはじめてききました。

順調にいっているように思えたのですが、、、

でも、しばらく様子をみます。

今朝、さっそく先生にお手紙をしました。(朝は先生方もお忙しいので、手紙やメールが助かる、とせんせいもおっしゃっていましたので)

突然激しい登園拒否をし始め、理由を聞くと先生とお話できないことでフラストレーションがたまり、おしごとがいやになり、行きたくないと言い始めました、と。

少しこれで考慮頂けると助かるのですが・・・

今日はお迎えは早めに行って、少し様子を見させていただき、園の関係者にもすこsお話してみる予定です。

ここを乗り越えないと・・・大変なことになるという不安を感じ、悪い直感も持ち始めました。

でも・・・親が動揺していては子供がかわいそうですね汗

英語では、障がいや症状が重い子供たちに付随する言葉に Special Needsという言葉があります。

字のごとくなのですが、特別扱い・・・とはまた違い、やはり特別に手を差し伸べたり、心の配慮が必要な子供たちという意味なのです。

次男も、場面緘黙症ということで、長男の場合と違い、やはり細かな心の動きを親がきちんと見ていないと、大変、、、ということがわかりました。
昨日、場面緘黙症児の次男と共にお稽古に行きました。

次男はまだ4歳という事もあり、グループでの楽器のレッスンは親同伴です。

そのため、場面緘黙症の状態がよく分かる絶好のチャンス(!?)でもあります。

(学校や園ですと、親は場面緘黙症の子供の様子がわかりませんので・・・)

次男がしている楽器のお稽古は、水曜に個人レッスン、土曜朝にグループレッスンがあります。

プライベートレッスンでも、もちろん次男はお話は全くしませんが、グループレッスンでも全くしません。

グループには、4歳の次男が最年少で、6歳児が2~3人、7歳ひとり、そして小学校高学年の男子が一人います。

一般的なことなのですが、とにかくアメリカの子供たちは発言が得意です。

ま、、余計な事もあれこれお話しているというのが多々ありますが、とにかく会話のキャッチボールを楽しみ、その中から色々学ぶような感じです。

とくに次男の楽器の先生はそのようにお話や会話をぺちゃくちゃしながら進めていくのですが、場面緘黙症の次男にとってみれば・・・


圧倒的なプレッシャー


の何物でもありません。

でも、次男は少し打ち解けてきた節があるようで、男の子がふざけてお笑い的な事を発言すると、はは!と声に出して笑ったり、くくっ!と声を殺して笑ったりします。また、動作だけで少しふざけたことを真似したりも。(大きなお兄ちゃんがおフザケ君ですので、最年少の次男はとても楽しいらしく、真似ばかりしたがります)

これについては、私は嬉しく思っています。(ただ、おふざけでレッスンに集中できない時もたまにありますが、まだ4歳という事で目をつぶりつつ、授業中に耳元でお小言をつぶやいたりしています)

それでも、やはり全く、どうして???と問いただしたくなるほど しゃべりません

表情も出てきたので、クラスが楽しい時は笑顔を見せたり、おふざけの時はそのような顔をしたり、もちろん・・・真剣な時は真剣そのものの顔をします。

それでも、声だけは全く出ません。

先生は、次男には他の子供達と同じように接してくださっています。

ですので、「先生が今ひいた曲が分かる人?⚪︎⚪︎(次男の名)はわかるよね。何だった?」

というふうに。

これが見知らぬ人だったり、園の先生から言われたなら本当に辛いだけなのでしょうが、楽器の先生とはかなり打ち解けてきたので、次男はそのような問いに答えたくてしょうがない、という様子でした。

もしかしたら今しゃべるのじゃないか、、、、、

と息をのみました。

が、やはり口を開かず、もちろん曲名は知っているのですが、言えないので・・・いや声が出ないので、いつものように自閉的に先生や皆から目をそらして、体もそらして、「もう帰る」と言わんばかりにやる気を失わさせます。

先生は、もう慣れたものですので、そしたら他の生徒さんに同じ質問を投げかけます。

次男としてはプレッシャーだらけなのはわかりますが、そうやってチャンスを与えてくださってもいるので、私はありがたいと思います。

次男が大きくなれば、(緘黙がまだあれば)小さいホワイトボードに手で書いたりしてコミュニケーションができるでしょう。(アメリカの緘黙児は実際にこうして学校でコミュニケーションをとるようです。とくに授業中は。)

私としては、次男もそのようになるのではないか、と感じています・・・そんな予感がします。

今は、絵カードなどを使ってコミュニケーションをとるようにしていますが、プレッシャーが大きすぎる時は、自閉的になり、その場から姿を消すかのようにやる気を失い、完全に会話どころかコミュニケーションも拒否します。

最近は、その度に「なんで⚪︎⚪︎はしゃべらないの??」とグループレッスンの男の子たちは先生に聞きます。

昨日のレッスンでは、リズムの勉強としてお歌を歌ったのですが・・・

当然、次男は声を出さないので歌いません。(園の音楽の時間も全く歌いません)

そしたら、その直後に6歳児の男の子が、「⚪︎⚪︎だけ歌ってなかった!!」

と。

悪気があって言ってないのですよね・・・。

同じ仲間として、同じラインにいる仲間として言ってるに過ぎないのですが、やはりこれが重なると次男もセルフエスティームと言って、彼の自信がどんどん無くなりそうで、このグループレッスンの子供達にはどうこれから説明しようか、今から悩んでいます。

もちろん先生が上手に伝えてくれれば嬉しいのですが。

これも先生に相談してみる予定です。

ちなみに療育はまだスタートしていませんのでわかりませんが、やはり次男の場面緘黙は小学校に行っても続きそうに思います・・・

場面緘黙症と直接の関係があるかはまだ私もわからず、近々大きな病院でも診ていただく予定の事柄なのですが・・・

次男は、2歳半から4歳10ヶ月の今に至ってずっと継続して記号というのが好きなのです。

好き・・・というか、もうこの記号を覚えるため、そして収集して日々の生活で記号を「楽しむ」ために次男は「生まれてきた」かのようなのです。

はてなマークはてなマークはてなマーク

普通の方からしたら・・・きっと頭の中はこんな風になりますよね、、そんな次男のことを聞いたら。

男の子だからそういうのに興味があるのだろうと3歳ぐらいまでは思っていましたが、4歳になってからさらに加速し、教習本や記号の書籍、ネット上で見つけられる記号をプリントアウトして、塗り絵して、切り取って、専用のファイルにおさめたり、専用のノートにはりつけて収集しています。

また、長男がこの夏日本の小学校で体験入学させていただいた際、小3の社会で地図記号を習うのですが、その宿題も一緒に次男がして、全て覚えてしまい、もっと覚えたいというので日本の地図帳を持ち出して、マイナーな記号から色々と全て模写してノートンまとめていました。全て覚えています。

さらに、外国の地図のそれぞれの国の地図記号も調べて、それをプリントアウトして、次男に見せたらまた模写。

夏はずっとそのようなことをしていました汗

(次男は場面緘黙症かもしれない・・・というのに気づき始めました頃ですので、日本の一時帰国で体験入園は無理と断定して実家にずっといることにしました)

4歳10ヶ月の今もずっと同じです。

男の子だからというのもありますが、むしろ男この子だから戦隊モノとか、他のことに気が行きそうですが、流行りに左右されず我が道を行ってます。

1~2歳の頃も、長男が好きだったアンパンマンには全く興味を示さず、その頃はひたすら大きなボトルの蓋を開け閉めすることばかりしていました。

本当に1日している時もありました。

その他、手を動かすことが好きだったようで、実際に私も手を動かすことを日々意識していたのもありますが、アンパンマンよりもブロックや積み木やそのような玩具が好きで、ひたすら手を動かしていました。

話を戻しますが・・・

記号が好きで、好きを通り越してちょっと「異常」をかんじるほどの関心度に達した際、不安がよぎり、今でも覚えていますが、私は母に何度もこう言っていました。


「もしかしたらアスペルガーもあるのかもしれない・・・。赤ちゃんや乳児の頃の異常な泣き方なども引っかかるし、記号の異常な執着ももしかしたらアスペルガーの兆候もあるのかも。。アスペルガーで場面緘黙症の子達もいるようだし。でも、園の先生は、次男の能力は高いと断言していたから日常生活は大丈夫だと思うんだけど・・・。」


母は、まさか自分の孫に障害・・・がと思いたくない一心というのもあり、私は考えすぎていておかしなことを言っている、といつも鼻で笑うかんじでした。

もちろん私も母の気持ちはわかります。

父に至っては、そんなことを言うな!という態度ですから、母にしか言えませんでした。

その母もそうですから・・・

でも、その園の先生のお言葉の、次男は能力が高いという発言も今でも引っかかるのです。

園の先生、とくに次男の先生は年齢的にも経験的にも園長先生レベルです。実際に仕事内容としては園長先生レベルの内容をされています。

先生というのは、子供達を公平に見ますし、とくにアメリカでは園の先生や小学校の先生でも主観で話はしないようにしている節はあります。

その先生がそう私たちに伝えたということは・・・もしかしたらやはり先生はそのアスペルガーなどの兆候もすべてひっくるめて私たちに示唆していたのかもしれません。

しかし、園や学校機関では、先生が一人の判断で軽く障害という言葉を親御さんには使いません。

アメリカでは訴訟ごとが学校関係者に向けてもあるほどですから、慎重になるのでしょう。

中には、我が子を障害者扱いした、と激怒して親御さんが先生を訴えるケースもあります。

だから先生は決して言わないでしょう。

しかも、日常生活を行える生徒に対しては、先生が違和感を持っても、言えないでしょう。

そういうことがあるというのはわかっていたので、私もずっと先生の言葉を色々あれこれ考えながら生活しています。

で、そのアスペルガーに話を戻しますが、私自身も旦那さんも未だに受け入れがたいです。

もちろん、まだ医療機関でそれに関してはみていただいていませんので何も言えませんし、もしそうだったとしても日常生活は行えるのですから、心配もそこまでしなくてもいいかもしれませんが・・・

アスペルガーで、もしかしたら・・・と思ったもう一つの理由は、次男のお稽古です。

今年に入ってすぐ習い始めたのですが、ちょうど4歳になってすぐでした。

そこから、ものすごい速さで曲を覚えるのです。

また、はじめて聴く曲もすぐ覚えて、彼の楽器ですぐに弾き始めます。

はじめの音が正しい時が多いのですが。

我が家は長男も楽器をしていますので、ま、、、長男はどちらかと言いますととてものんびり~~の性格ですので、覚えるのも普通ですし、記憶力が、、、低いのかな?と思わされるようなヒヤヒヤ君であるので、余計に次男がよく見えるのかもしれませんが。

それでも、客観的にいつも見るようにしているのですが、曲の覚え方など、やはり彼が実はずば抜けているのです、音楽の楽器クラスの中で。

最年少にあたるのですが、とにかく早く覚え、しかもいつも正確なのです。

異様

という感じを覚えました。

これは、他の生徒さんやお母様方も感じられていることかもしれず・・・

でも、幼い子供の吸収力はすさまじいものでもあるので、次男も一般のレベルぐらいなのかな、私のまた考えすぎでちょっとよくみすぎているのかな、とも実際に思える時もあります。

でも事実はこうでして。

これも近いうちに診ていただく大病院で検査をしていただきます。

アスペルガーというのを私は実は詳しく調べていません・・・

未だに受け入れられていないと思います・・・

もちろん否定しているわけではないのですが、現実にもし次男にのしかかるとなると、どのような事が先に起こるのか・・・そしてまだ私はそれに関しては無知に等しいですので、その不安のが大きいため、調べる事もちゅうちょしています。

結果を聞いてから、改めて調べてともに歩む、という覚悟を今考えているところです。

ちなみに聞いた話では、アスペルガーにも場面緘黙が見られる子達が少なくないということですので。

アスペルガーで思い出しましたが、日本でこの夏を過ごしたのですが、とあるママさんの御自宅にはじめて呼ばれ、子供と一緒に遊ばせましょうとなりました。

ただ、次男の行いが心配で、それとなしに次男にはちょっと他の子と違う性格というか症状があり、表現しないので・・・何もしゃべらず無視したりするので、そのお子さんに申し訳ないと思うのだけど、ごめんなさいね、、、、と先にお伝えしておきました。

そしたら、そのママさんが

「え!?もしかしたら⚪︎⚪︎くんってすごい賢いんだよね!そういう子って賢いって聞いたよ!」

多分、そのお友達もそういう症状を聞いてアスペルガーと直感したのでしょう。

アスペルガー=賢い

というのは、実はアメリカでもまかり通った、皆さんが信じ込んでいることなのですが、、、

検査の結果がでましたら、私も改めて調べてみる予定です。
先日、次男のお気に入りのTシャツ(おさるのジョージ)を園に着て行きました家

このTシャツ、衣替えなどで家の中を掃除していた時に見つけた長男が幼い時に来ていたTシャツ。

あ~あった!ちょうど次男が今着られるサイズ!

それを次男に見せたら、大好きなジョージなもので大興奮でした。

園のお友達にきっと密かに見てもらいたかったのでしょう。気分を上げながらその日に登園した次男でしたアップ

その日、自宅に戻った後、


「そういえば、ジョージのTシャツ、みんな好きって言ってた?ニコニコ


と聞けば、


「Ms. Cindy(仮名です。先生のお名前です。)がぼくのTシャツ好きって いってた」


と。


「だから もう これ がっこーに きていきたくない」


と、次男。


先生も、あの手この手で次男におしゃべりする機会をそれとなく伺ってくださっているのですよね・・・

そういう子供達を無視する先生たちと違い、本当に心から感謝するばかりなのですが、次男はそれがとてもプレッシャーに思えたのでしょう。

きっと、先生が次男のTシャツが好き、と伝えたと同時に何かしらの発言を先生は期待して発言したというのを次男はわかっていたのでしょう。

次の日も同じことが起こりました。


「Ms.Cindyが ぼくの じゃけっとのいろ すきっていってた」


これまた、家の中を大掃除して見つけた長男のお古の上着。

次男が好きな色の赤だったので、次男はとても喜んで着て行ったのです。

先生はまた次男とコミュニケーションをとるために次男のジャケットの色を褒めてくれたのでしょう。

でもまた次男はプレッシャーに思ったようで、もうこの上着を園に着ていかない、と。

先生には本当に申し訳ないです。

ちなみに、当然まだ先生とは一言もお話をしません。

アイコンタクトという目を合わせることもしません。

ですから無視のような態度です。

それは、人としては誰も好みませんよね・・・

家庭でのしつけが悪いとお思いの先生や保護者の方もいらっしゃるでしょう。

でも、次男は場面緘黙症という症状があるため、やはりそれは親がコントロールできるものでもなく・・・

色々悩み出せばきりがありませんが、今のところは園に楽しく通っていますので、現状維持という形で日々が過ぎています。

もうすぐ懇談がありますので、その時に色々と込み入ってお話させていただく予定です。

そういえば、先日の夜、次男が突然こうつぶやきました。



「ぼく おおきくなって おとなになったら せんせーとおはなしするから」



と。

でも今は絶対にできない、と。




<4歳9ヶ月>

先日のことなのですが。

いつも学校から戻ると、子ども達は自分達のランチボックス(お弁当箱)を出し、キッチンカウンターに置きます。(時間があるときは食器洗いもしてもらっていますDASH!

私はいつもその中身をチェックするのですが、全部食べてくれると、いつも安心します。

でも、その先日のお弁当箱。

次男のが丸々残っていたのですおにぎり割り箸

「どうしてお弁当たべなかったの?!」

と、すぐさま尋ねたら…

「だって まま フォークいれてなかったでしょっ!!!」

だから、食べられなかったんだ、と。

あ~~、確かに私はすっかり忘れていました!フォークを入れるのをナイフとフォークナイフとフォーク

でも、言ったら貸してくれるのに・・・って、うっかり言ってしまいました汗

「先生はなにもしてくれなかったの?」

と尋ねたら、いつものお決まり文句。

「わからない」

と。

アメリカのこの園では、食べ物アレルギーが強い生徒さんも多くいらっしゃいますので、それを配慮してお弁当を食べるときは、席と席の間をかなり空けているのです。だから、お友達もわからなかったのでしょう。

先生は、お弁当のときはアシスタントのような方が監視してくださるので、新人の方はまだ次男の事をよく知りません。

きっと・・・

「どうしたの?今日はお腹空いてい無いの?たべたくないの?」

と聞かれ、「空いている」と答えれば、そしたらどうして?と聞かれるのがわかっていたから、食べたくないの?と聞かれて、「食べたく無い」と頭を動かして意思を伝えたのだと思います。だからフォークを貸してくれたりもせず・・・だったのかな?と。(アメリカでは園や学校でスナックタイムというのがあり、軽食を食間にたべる習慣があるのです。そのため、それでお腹が満たされてランチをほとんど食べ無いという子どもさんも少なく無いのです)

次男は、お腹がすごくすいていても、言葉を発する事が一番辛いので、こういう事も言え無いのです・・・

なんだか、とてもみじめでかわいそうに思えてなりませんでしたううっ...



こんなカードを作って、お弁当箱のポケットに入れておくようにしました。

万一・・・こんなドジなお母さんのせいでまたフォークなどを忘れたら・・・これを先生に見せなさい、と。そうしたらフォーク貸してもらえるよ、と。

次男は、あ、そっか!ありがとう!と。

私が忘れ無いようにするのが第一なのですがためいき

<4歳9ヶ月>




昨日、学校たのしかったー!と帰ってきた次男くんガチャピン

学校でイベントがあり、お外でずっと遊んだのです。

その際、お友達の一人のお母さんが次男くんを一緒に見てくださったようです。

(私は・・・じつは在宅の翻訳の仕事に追われていましたので参加できませんでした。ちなみにブログなどのアップは休憩を兼ねてしています汗

お友達のお母様、優しい方というのを知っているのですが、次男の緘黙についてはまだお話をしたことがなく・・・

でも、昨年度の次男のことも知っていらっしゃる方ですので、少し他のこと違う?というのはご存知なんです、きっと。

ということで、やはりお母様にはなにもお話はしなかったという次男ですが・・・

せめて、サンキューだけでも・・・言ってもらえたら、、、、と親的には思うのですが、緘黙なので、、、難しいです。

手話を習う緘黙の生徒さんもいらっしゃるようですが、次男が手話を習ったところで、それを理解してくださる大人は少ないでしょう・・・

そこで、次男に持たせるようになったものがあります。

上の画像のものなのですが、キーチェーンに単語カードを通して、そのキーチェーンを通学鞄か、ズボンのベルト通しにつけるのです。

(本当は、ビヨーンと伸びるゴムか何かをつけることを考えているのですが、学校で危なくならないものにしないと、ということで今どれがいいか検討中なのです)

カードに、基本的な挨拶をプリントして貼り付けています。

サンキュー

グッバイ

など。

そして、これも・・・



もし万一、体が不調で大変だけど先生にはお話できないとき、私にすぐ先生から連絡していただくように電話番号と、「ママにすぐ連絡してください!」という文章も貼っておきました。

これを先生に見せたら、すぐに私に電話するようにしていただき、私と次男が電話で話して、その内容を私が先生に伝える・・・という。

これをもたせてあげるだけでもとても私も気分的に安心できるようになりました。

それに、先生も少し不安がなくなった、と。(体調不良でもきっと言えないであろう次男を考慮して)

ただ・・・せっかく作ったカードですが、このカードを見せるタイミングって難しいのですよね。

緊急の際は、「あえて」見せるわけですから、これが役立ちますが、ありがとう!とかさようなら!というときは緊急では当然ありませんので、見せるのが億劫というか面倒になるようで・・・

そりゃそうですよね・・・

言葉でなら数秒で済みますが、カードを持って見せるとなると・・・すべての人がみんなじっと待っていてくれるとは限りません。

でも、少しでも「コミュニケーション」につながるようになれば、と思っています。

カードを見せられたらシールを貼ってあげるご褒美というのもいい案だな、とどなたかのブログを拝見して感じました。(すみません・・・どちらか覚えていません)

もし、もっと小さいお子様か、文字がまだ読めないお子様でしたら、絵カードがいいですよね。。

次男には、英単語を覚えるがてら、これらを暗記してもらいましたので、すべてどういう意味かはわかってもらっています。

こういうのが・・・必要でなくなるころはいつかな~と密かにいつも思いながら毎日学校やお稽古に行く際に持たせています。

最後に。。

これを作ってあげたとき、次男に嫌がられるかな、と思ったのですが反対でした。


「まま、これ つくってくれて ありがとうっ!」


本人も安心したみたいです・・・

感謝の言葉が聞けて嬉しい反面、なんだか切なさも感じてしまいました・・・もみじ