BOSTONにて
明けましておめでとうございます。
2011年になりました。いよいよ月末の1/29(土)より「谷川コレクションによるデニス・ホッパーの軌跡展」が始まります。さて、僕は1/5から1/13まで、ボストンで学会発表し、ニューヨークでリサーチ&充電してきますが、帰国後にはさっそく展覧会用に僕のコレクションをLUX GALLERIEに運び込みます。……今日は、お気に入りのコレクションをひとつ紹介します。この写真は、デニス・ホッパーがハリウッドから干されていた1960年に出演した『四人の恐迫者』という作品のロビーカード(劇場場内に飾られる小型の宣伝用アイテム)のひとつで、デニスは赤い上着を着て、オートバイに跨っています。映画自体はモノクロ作品ですが、この視覚的イメージというのは、デニスにとって象徴的だと思うのです。というのも、赤い上着というのは、デニスがチンピラ役で出演した『理由なき反抗』(1955)でジェームズ・ディーンが着ていたことで知られていて、オートバイのほうはもちろん『イージー・ライダー』(1969)を髣髴とさせるから。つまり、デニスは死んだジェームズ・ディーンのあとを受け継いで、ハリウッドの反逆児としてアメリカン・ニューシネマの動きを牽引していくわけで、その両方のイメージの中間地点としてこの作品がある、というわけ。実際、この作品でのデニスはバイクを乗り回すチンピラ・グループのボスとして主役のジェフリー・ハンターらを脅かすのですが、その子分の中にはコーリイ・アレンの顔が見られます。言うまでもなく、『理由なき反抗』ではアレンはディーンとの間に奇妙な友情を感じつつも彼と対決するボス役で、デニスを子分に従えていたわけですが、5年後のこの映画では誰がディーンの後継者なのかが既にハッキリと予言されていたと思うのです。……そのコーリイ・アレンも、実はデニスの死後一ヶ月ほどした昨年6月に亡くなりました。これで名実共に『理由なき反抗』の主な出演者がすべて鬼籍に入ったということになります。合掌。
デニスの弟、デイヴィッド・ホッパーからのクリスマスカード

11月にニューメキシコ州タオスにあるデニス・ホッパーのお墓参りをしてきましたが、その時に現地に住むデニスの弟、デイヴィッド・ホッパーと会ってデニスの思い出話をしてきました。昨日、デイヴィッドからクリスマス・カードが届き、またタオスに来てくれるのを楽しみにしているよ、と言ってくれていました。写真でお判りのとおり、デイヴィッドは7歳上の兄デニスととてもよく似ていて、声や喋り方の特徴、時おり見せる仕草など、話していると本当に「まさか、今話しているのは死んだはずのデニスじゃないよな?」と錯覚してしまうほどです。デイヴィッドとの邂逅の詳細などは、『アメリカの友人/東京デニス・ホッパー日記』のエピローグ部分に記してあります。谷川建司