いいですよ。だいたいそれ、他人の言葉でしょ。
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なんか似非ポジティブ信仰とでも言うか。
「良いことだけ言いたい」みたいな人いますよね。
まぁ、言葉の意味で言ったら確かに、一見、聞こえはいいんですよね。
さすが。そう言う言葉だけ並べたてるのは得意ですよね。←
でも、そう言う人って「意味」だけなんですよね。
聞こえがいい“だけ”
それが、
どう言う「事」なのか
わかってないですよね。
・「苦しんでいる人を救わない(助けない)といけない」と言う固定観念を捨ててきてください。
それは“あなたが必要とされたい”だけです。
しかもそう言う人って、
「言葉は凶器になるんです」とか。
「伝え方が大事なんです」とか。
「言葉には言霊が~」とか。
結局、
体裁を取り繕うことしか考えてないですよね。
1 外から見た感じ・ようす。外見。外観。「料理を—よく盛りつける」
2 世間の人の目にうつる自分のかっこう。世間体。みえ。「—ばかりを取り繕う」「パーティーに一人で行くのは—が悪い」
3 それらしい形式。「企画書としての—をなしていない」
4 相手を喜ばせるような振る舞いや口先だけの言葉。「—を言う」goo辞書
中身がまるでないのです。
何を伝えたいんだよお前は。
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だからたぶん、自分に酔っているんでしょうね。
人助けをしたつもり。
良いこと言ったつもり。
“人の役に立ったつもり”の自分に、酔いたいだけ。
そもそも「他人の言葉」を持ってきて何言ってんだ。って話ですよね。
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・「自分が被害者になるわけではない。他者が被害者に仕立て上げられるのである。被害者(と思い込みたい相手)に対しての信頼性を失っている状態とも言える。」by私の7人目のツインフレームの彼女
~中略~ 自分が被害者になるわけではない。他者が被害者に仕立て上げられるのである。
被害者(と思い込みたい相手)に対しての信頼性を失っている状態とも言える。その存在が自立していると認めることができない心も関係性している。
根源には、被害者(と思い込みたい相手)と自己投影が行われている段階にある。自分が抱えている被害者意識が他者に投影され、その投影が他者への信頼性を失ってしまう。
これを『共感』と多くの人が感じているかもしれないが、これは単純に『思い込み』である。その人を被害者にしたてあげることにより、私たちは自己投影を行い、投影された自分を守りたいと思っているのである。(共感とは知的なものであり「なるほど」の理解にあり、感情的に行われていく共感は『同調』にある。)
...
ツインレイたちは、自分の存在を他者のなかに見つけようとし続けている。
いいや、ほとんどの人間が自分の存在を他者のなかにしか見つけることができない。そんな世界に存在している。
そして、自分の存在を他者のなかに見つけたとき、私たちは『存在』を感じることができる。
これが『倫理的実存』の段階にあり、私たちの存在意義なのである。
しかし、私たちは倫理的実存を極めぬくとき、必ず倫理による破壊を受け取る。ニーチェは『竜』として表現したが、私たちはどうにもこうにも大きな間違いを犯してしまったのである。
それは自分の悲しみを癒したいがゆえに、それは誰かの悲しみを癒すために、私たちをより強く優しい存在へと築き上げたと同時に、私たち自身は常に対立を生み出し続けてきたことである。