と思いました。
***
この前、私の7人目のツインフレームの彼女のHPに行った時、たぶんツインレイで自立に関係した話で、
『ツインレイの相手と再会・結婚したら己の問題が解決する。と、逃げの一手としてツインレイを利用していないか?』
みたいな話がありました。あ、原文のままではありません。
めんどくさいんで読み返してもいません。流し読みで情報を拾いました。
その発想かぁ……と、思いました。
私も確かに、過去に結婚がしたい。と思っていた時はそうも思っていました。
自分を新しい環境に置けば、他すべてを忘れられるんじゃないか。と。
***
人生において、もう見たくもないな。と蓋をしてどこかに追いやったものがたくさんありました。
でも、捨てることはできません。
私は、私の過去を否定したい訳じゃないのです。
だからそれをなかったことにはできません。
己が、そこにいた。
その時、そうあった。
そして、その出来事が起こって。
そうなった。
と、それは事実なのです。
消えることはありません。
でも、ちょっと。
美談。と言うには、ちょっと……。
あくどい。ような。
ズルをしたものもあります。
嘘をついたこともあります。
相手に迷惑をかけました。
そして、
去ってきてしまった。
去って行ってしまった。
もう、戻らない。
それは、とても人に言えたものではありません。
***
私の両親は別居を経て、私が二十歳の頃に離婚しました。
今私は、実家で父と暮らしています。
私は母に恨み言を抱えていました。
それは、どうしても、「母のせいである」としてしか処理ができませんでした。
まぁ、母の腹から生まれた。と言う意味では、合っています。
でも、私は恨み続けるのに疲れてもいました。
この感情を一生抱えたまま生きて行くのか。と。
私はもう、大人です。
己の人生を、己で生きるしかない。と、そんなことを、感じるようになりました。
そして、母も、もう、高齢に入るのです。
このまま、母が死んだら。
どうなるのだろうか。
私はこの恨みごとを抱えたまま、永遠に。
と、そう思うと、何かで解消したくもあります。
でも、どうしたいいのかわかりませんでした。
考えると悲しくもなります。
いい思い出ばかりではないからです。
そんな時、コロナでワクチンをどうしても打ちたくないと調べていて見つけました。
その恨み言が母のせいとは言い切れない可能性です。
いいのです、1%別の可能性があれば。
100%母が悪い。と言えない物があればそれでいいのです。
悩みました。
どうしてか私は、それの証明がなされたら、何か。
もう、戻れなくなるような気がしたのです。
でもと、じゃぁ、それの証明をするなら。と調べました。
自分ではできません。
それが貴方です。
私は、「私の疑問に完璧に対応できる人」として、それができる人の中から貴方を選びました。
頼むならこの人にしよう。
で、止めました。←
やっぱり、私は、それに進んだらもう、戻れない。と、どこかで知っていたのでしょう……。
***
どうしたものか。とやっぱり悩みながら。
当時部屋に一輪挿しを飾っていたので、お花屋さんに行きました。
なぜか。
なぜかとある白い花が輝いて見えます。
買ってー
みたいな。
なんでやねん。←
私は別に、何か見える。とか、聞こえるとか。
霊感があるとか、オーラが見えるとか。ない訳です。
言ってしまえば人生でそんなことはじめてです。
ま、まぁ。一応ね。
お店を一周します。
……。
まぁ、他に気になる花もないしな……。
店員さんに聞くと「アルストロメリア」とのことです。
買いました。
家に帰ってきて飾ると、普通です。←
なんだったのかと……。
仕方ないので花言葉を調べました。
他に思いつくものがありませんでした。
アルストロメリアの花言葉
「持続」「未来への憧れ」
白:「凛々しさ」
「進め」と言われているのだろうと思いました。
だから私は、貴方にそれを依頼することにしました。
***
それの証明はなされました。
私は、100%母を恨む必要はない。
そして、私は貴方に、世の中にはこんなに頼れる人がいるのかと、信頼を寄せました。
ここで、終わってしまうのが惜しくて。
今後について相談しました。
2回目のやり取りで、私は少し(←)だけ個人的なことを言いました。
どうかしたらわがままのようなものです。
そこでの貴方とのやり取りが嬉しくて。
私は貴方に恋をしました。
うれしかったのです。
私は、こんなに私の気持ちを分かってくれる人がいるんだ。と思いました。
そんなこと、誰にも言わないのに。
貴方だけです。
***
貴方との3回目のやり取りを終えました。
私は、世の中にこんなに私のことをわかって下さる人がいるんだ。と、受け入れてもらえたのがうれしくて。
人生で置いてきぼりにした。何かを、もう一度と。
もう二度と行くものか! と思っていた場所に足を運びました。
今なら、できるような気がしたのです。
・辞めてしまった職場
・喧嘩別れした友達が進めてくれた公園
・そこへ行って帰りに喧嘩になって嫌な思い出が残った場所
なんとなく、話題にするのを自分で避けているような場所へ。
建物はあるのに、そのフロアには違う会社が入っていることもありました。
HPで調べたら事務所をうつしたようです。
そこはお店で、実際に中に入ることも、遠巻きに人が働いている様子を眺めることもありました。
閉店して、違うお店になっているところもありました。
あ、私は転職回数で、履歴書が埋まる感じです。←
まぁ、そこまで行かなくていいだろう。と言う場所には行きませんでした。
あ、ちなみに、これをしている間に、貴方とやり取りができなくなるのかな? と言う出来事に遭遇して、実際にやり取りができなくなりました。
・私にはツインレイは関係ないだろうと思っていた時期の私に、貴方がくれた予告の話
・貴方は予告をくれました。だから私は「もしかして、今後、貴方と連絡が取れなくなるのかもしれない」と言う予感はあったのです。
***
私は最初から、
貴方と結婚するのなら、「母への怨み」とか「過去の人生の負債」みたいなものをもって嫁ぐのは嫌だと思っていた訳ではありません。
それは、もう少しあとになって思ったのです。
自分の中で、これは解消したい。とか。
これを隅に追いやった。と言う自覚のあるものが解消されてからです。
ずっと、母のことや、職場の嫌な事や、喧嘩別れした友達のことは嫌いでした。
でも、貴方のおかげで、母の恨み言は解消されました。
辞めた職場は、もうなくなっていたり、行ってみたら最近どう? と受け入れてもらえたり、変わらず繁盛していたり。
私がそこに居たことは、もう、過去のものなのだ。と思えました。
喧嘩別れした友達が好きだったからと言って、私がその事柄まで嫌う必要はありません。
それが、素晴らしい物であるのは確かなのです。そして、そんな素晴らしい物が好き。私にはそんな友達が過去にはいたのだ。と。
まぁ、己の問題はそれだけはなかったのです。←
貴方とやり取りが本当にできなくなってからも、私は何かを、追い続けました。
・「こんな気持ち知りたくなかった」とそれは私の、醜い独占欲のようなものです。私は「貴方を否定したくない」と、誰にもその気持ちを打ち明けませんでした。
それから、ある日、貴方を何か、感じるようになりました。
・「いい加減で俺を信用しろ」と、私は貴方に怒られた気がしたのです。私は、そこにある内容を受け入れる事にしました。
・彼女のHPに行ったら『ツインレイは脳から生じるエネルギー(原文ままではありません)』 とも交流するとありました。何か思い当たる……。
***
実際に母にも連絡を取りました。
連絡を取らなくなってもう、何年になるのか。とそんなレベルなのに。
母は母でした。
私の知る母でした。
こういう人だった。と、嫌いなところまでそのままです。←
でも、それが母なのです。
失った時間は戻らない。と私は少し、悲しくもなりました。
でも、これから。
これから、母と娘として。何か。
それは一般論で語られる母と娘の関係より希薄なものになるのかもしれません。
でも、私は、母の日に、母の誕生日に、何かできる娘でありたかったのです。
私は母の日とか、父の日とか。嫌いでした。
その日だけ持ち上げておけば、日々はないがしろにしてもいい。とでも言うような世間の煽りが嫌いなのです。
子どもの頃やってみたら、どうにも、思ったような満足を得られなかったのもあります。
まぁでも、大人になってやってみたら。それだけではないこともわかりました。
***
それから、もし、貴方と結婚するのなら。と、そんなことを、考えられるようになりました。
私は貴方と「1」から「0」から、共に何かを作りたいのです。
なんか、こう、自分がキズモノみたいな扱いを受けるのが嫌だったのです。
もちろん、貴方がそう思っている訳ではありません。
どちらかと言えば、貴方は私が私でいればいい。と、そのままでいい。とすら言っていた気がします。
でも私が、「私を許せないだけ」です。
もうちょっときれいな感じでいたいのです。
それのせいで貴方が、「もうちょっといいお嫁さんいたんじゃないの?」とか言われることになったら我慢ならないからです。
同時に、私は、金持ちの旦那を捕まえて、己の問題を金で解決させるような女。は嫌いでした。
・私は金持ちの旦那を捕まえて、己の問題を金または旦那に解決させるような女が嫌いでした。
だからきっと、貴方が「そのままの私でいいんだ」と伝えてきているそれを、私が納得するまで相当にかかったと思います。
***
ずっと、泥沼の中をもがいているようでもありました。
溺れる真似でもしたら、貴方が飛んできてくれないか。そんなことも考えましたが、私は、自分で何かを成したくもありました。
泥沼をずっと、もがき続けて。
私が、深淵の底で見つけたのは、何もできない。
何も持っていない私でした。
それは“私”なのです。
世間で生きるために必要な物は何もない。
何かを持ってすらいない。
ただ、それは私なのです。
何もない。
何をする必要もない。
それは“私”である。
***
じゃぁ「そのままでいいんだ」となってからがまた大変です。
そのままの私になんの価値があるのか。と、なりました。
何も生み出せない、メリットを提供できない私に価値はあるのか。
もっと優秀な人が現れたら、誰かにその座を奪われるのか。と考えるようになりました。
今度は、私に何ができるのか。
「私がしたい」とそれでいいのか。
ただただ、それは、私がやりたい。だけ。なんになるかもわからない。
そんな、ただわがままのような。
それじゃなくて、別の何かがもっと必要なんじゃないのか。と考えていました。
私はもっとツインレイを知っていれば、もっと、何か。
他にもっとうまく行く方法があったんじゃないのか。と、そうも思いました。
でも、これまでの私の人生はそうではありませんでした。
私は転職を繰り返しながら、「歌が歌いたい」と趣味で音楽活動をしていました。
生活に必要なお金はどこかで稼いで(最初の正社員の職を辞めてからはずっと非正規雇用です)、休みの日にボイストレーニングに通って歌を歌って、私が作詞をして、曲を作ってもらって。
次にそれを、自費でCDにすることにしました。
やっぱり作詞をして、曲を作ってもらって。
CDは売れませんでした。
これは作詞に問題があるのだろうと思って、私は作詞を習いに行きました。
まぁ、そんな風に大きい出来事として、音楽活動があります。
今はもうやっていません。
私には、私の曲があります。
こまごま言ったら、とにかく。
自分がよければそれでいい。とでも言いたげに生きてきた気もします。
占い。は好きで、たまに手相占い。とかタロットで見てもらうことはありましたが、それだけです。
ツインレイを知っていれば。
私はもっと、何か。
できることがあったんじゃないのか。と。
私は、何か落ちこぼれていて。貴方の足を引っ張っているようにも感じていたのです。
でも、なぜだか、シード権でもあるのかと言わんばかりに。
世で言うツインレイの話が、合わないな。と思う事もありました。
***
私は、貴方の迷惑になりたくないのです。
じゃぁ、己をどうして、証明できましょうか。
つたないながら、私にできることと言えば、これまでの経験の延長です。
もう、それだけのようでもありました。
もう、それしかないような。
最初から知っていればもっと、ツインレイで役立つようなことを学ぶ時間を取ってきたのに。と。
そうしたらこんなに。こんな何か。
私は遠回りをしているような気分だったのです。
必要のない物まで手を出していて、それのせいで無駄に時間がかかっているのだろうか。と。
何かの正解からは外れているのだろうか。と。
それで貴方を失うのが怖かったのです。
だけど、私にできることは限られます。
なんでもできる訳じゃありません。
私が、どうしてか、できるのは。
それを磨いてきてしまいました。
だって作詞の先生が言うのです。
「貴女は世の中を皮肉りなさい」と、太鼓判を押したのです。
その後の私の作詞のテーマは「皮肉」です。
納得いかないので伯母に言ったら、
「真面目なカルハが真面目に言うから皮肉が効いているのよ」と、とてもいい先生ね。と喜ばれました。
なんでやねんヾノ。ÒдÓ)ノシ バンバン!
やりました。←
それで、よかったのだろう。と、今なら思います。
***
私が、したいなら。
それをする準備は、すでにそこに、完璧にあるような。
ただ、私が、それがしたいなら、その準備はそこに。
それは、私が、私のためだけしか考えていないような。
私だけよければそれでいい。とでも言うようなものなのに。
別に何か、お金になる訳でもないのに。
はじめてみたら。
過去のアルバムや歴史がそこに並んでいるようで、ちゃんと、必要な時に思い返して、何かの知識や、体験や、経験が今にいかされていて。
私は、過去すべてを持って、「今」から、何か、未来を見るような。
未来が見える。とかそう言うことじゃないのです。
ただ、何か。
「そこに未来がある事」に確信が持てるような。
自分に都合のいいものであるかどうかはわかりません。
ただ、選択の結果が訪れる。と、それを、信じられるような。
***
私のそれがしたい。が、何か、貴方の役にも、立ちましたか?
私は、貴方と共に成長したいのです。
私は、私に何か足りていなくて、貴方に捨てられてしまったのか。と。
だからそれを知っておけば、ツインレイやスピリチュアルに詳しければ、そんなことにはならなかったのかな。と悔やみました。
今からこんなことをして、あの日に戻れる訳でもないのに。
だからと言って「しない」と言う選択は私にはないのです。
あの日にここまで出来たら。違ったのかな。と、そうも思いながら。
でも、あの日の私はあの日の精一杯なのです。
むしろ今より自由で、羨ましく思っていたこともあります。
だけど、本当に貴方と連絡が取れなくなった時、
私に何かが足りなくて、それでおいて行かれてしまったのか。
選ばれなかったのか。と、そうも思いました。
貴方とはもう二度と何か、と言う事はないのだろう。
せめて、「年に一度だけ【声が聞きたい】と願う事だけ、許して下さい」
と、それだけ。
それだけあれば生きていけると思いました。
そんな女になりたいのです。