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NPO法人グローバル推進機構 理事 中園のブログ

教育業界に身を置いて思うこととまわりの景色に感じることをつれづれに書きます。


「女性は二人以上生むことが大切である」と全校集会で話をした校長が話題になっている。
賛否両論があるところが救いであると私は思っているが、大半が批判的な意見でありテレビで評論家が大声を上げて猛烈に反対しているところが腹立たしい。

 この校長の全文を読むと以下のとおりであり、女性の部分だけを切り抜いて理解するのは片手落ちである。

1. これから子供がいなくなる日本はなくなってしまうから、女性は二人以上の子供を産むことがキャリアを積むことよりも大切である。
2. 男子も出産はできずとも子育ては助け合って参加して、子育ては女性だけの仕事ではないのだから。
3. 子供ができない人、結婚しない人も、里親になって育てることはできる。
4. 子育てをした後は勉強をいつでも再開できるように中学の間にしっかり勉強しておくことが必要だ。
5. 少子化を防ぐことは日本の未来を左右する。

 全文を読むとそれほどいびつな意見ではないが、「女性は子供を二人以上生むことが一番大事」と読み取れるところだけに矛先が向かっている。手放しで賛同できる内容ではないかもしれないが、やり玉に上がるほどではない。私が以前校長をしていた学校ではこの程度の発言は日常茶飯事で話していた。ほとんど当たり前的な意見である。


 これを見て思うのが、この頃の世間の風潮としてある子供たちにそれほど耳当たりの良い、安全な内容だけしか与えてはいけないのか、という疑問である。

 この校長の発言は結婚できない女性が耳にするとセクハラであるとか、子供を産みたくても産めない女性に対する蔑視であるとか、確かにそのような人が聞くと不快に思うかもしれない。しかし、それがどうしたんだ?と言いたい。そんな人の気持ちまで考えて言わないといけないのか。そもそも校長が話した相手は15歳までの子供しかいない中学校においてであり、結婚できるかどうかなどまだわからないし、15歳の段階で不妊である女性であると判別がつくわけもない。その前提で世間一般の人に対して話しかけていないこの校長の意見が女性蔑視につながるのか。そういう意味で世間に対して問題になるとは思えないのだ。さらに、子供たちに対しては校長の意見は正論であり男子も少子化を理解し、女子もいつかは子供を産むんだという心づもりが出来てよいのではないだろうか。

 ここから私が言いたいことは、子供たちに対する大人から子供への意見や時には説教や教育的発言全般についてである。

 何度も言っているが「教育」の目的は「大人になったときに一人で歩いていく力をつけること」である。一言でいうと「自立」するための教育である。そのために大人は説教をする。
その内容が模範解答のようなものばかりでいいのだろうか、ということである。国民全員が聞いて耳当たりの良い、毒にも薬にもならない話を子供たちが末永く受け入れ、心に留めるだろうか。天皇陛下のお言葉は優しく配慮されていて全国民が聞いても何の違和感もなく全員が受け入れることができる。そんなお言葉ばかりが子供の教育に響くとは思えないのだ。あーこのたとえ話危険やわ!(笑)。少しくらいとんがっていても正しいことが伝わり、直球が子供の心に刺さるのだ!誤解を恐れず多少のゆがみが含まれていても、子供もそれを判断していくセンスが養われていいのだ。臭いにおいをかがないと、何が臭いかもわからない大人になってしまう。とかく近頃のマスコミやネットの炎上には本質から離れたものが多い。



 さらにこれらを評する評論家の意見がまさに炎上を煽るだけの油の役割にしか過ぎない。なんの責任もなくテレビの一つのコーナーで取り上げられた10分ほどの話題にさもありなんのような意見をまことしやかに言うところが腹が立つのだ。コメンテーターや評論家の意見ほど、現場で責任をもって活動しているものからするとクソでないものはない!

 お会いしたこともない大阪市鶴見区の茨田北(まったきた)中学校校長寺井寿男先生、あんたの言うてることに憂いはない!言い切る力強さで子供を育ててあげてほしい!

 保育所落ちた死ね!とあるが、クソ評論家死ね!と私も批判されて、嫌われて良いので言い切りたい。

 本当に子供を育ててやろうという気持ちを持った教育者であれば子供が誤解してもいいから言い切ってしまうことがある。それを強烈なエネルギーで伝えることでそのあともほとんどの課題は解決するのだ。頭で考えるだけのエネルギーのない「本当」をわからない評論家が「正しそうなこと」を言うところこそ、評論家のエセを感じることができるところだ。そう理解されているとクソ評論家にはわかりもしないだろう。

 本当にうまいものを食わせてやろうと思うおやっさんの店が勝つ。
 本当に子供を育ててやろうという気持ちを持った校長のいる学校が勝つ。

 いくらITが発展しようが、アナログな業界はたった一人の人間の意識で左右されるのだ。


 仕事してたのに、このニュースを読んで腹が立ってしまった・・・・


 もー寝よ!

長年、経営者をしていると裁判に引っかかることがある。ひっかかるとはまるで予期せぬところからいきなり釘が出ていて、着ていたセーターに引っかかる感じであるが、まさにそんな感じで裁判に引っかかるのである。要はいきなり会社に〇〇地方裁判所から大層な小包のような書類がどかっと届くのである。これが始まりだ!

 名誉毀損のような言われのない言いがかり系、地位保全や残業代支払いなどの労働裁判系、幸いにして刑事事件はないのが救いだが(当たり前だ!)今までの裁判はすべて被告である。昔、なにかのテレビで「被告を死刑と処する」とかいう番組のワンシーンがあり、はじめての単語であった「被告」が自分になるとは思いもしなかったものだ。訴えられたら単に被告であり、訴えたほうが原告なのだ。被告がいつも悪く、常に死刑になるわけではない。

 いくつかの裁判の内容を書きたいのではなくてここでは出会ってきた裁判官についてなのだ。だいたい、裁判官なんか日常めぐり合うことなどなく、バスの中で会っているのかもしれないがその人が裁判官であることなど到底分からず、簡単には会えない人種であると感じている。いまでもそうだ。ここで言いたいのが、私が出会ってきた裁判官の大半がいい人であることが多いことである。裁判官たる職業に就く人は当たり前なのかもしれないが、今回もそうであった。審判中に裁判の内容について審議を進めてもらっているだけなので、プライベートがわかることもなく、彼らの人となりはほとんど知ることなく裁判は終了するのである。しかし、審議中の話の進め方や、質問の仕方や、態度や所作にやはり人となりが出るのは当たり前だと思う。審議の内容は証拠を中心に進んでいくが当然原告被告双方の気持ちを斟酌しているかのように思うのである。その中で、彼らはそれぞれの気持ちや考え方を推し量りながら事態の推移を想像しているかのように見える。

 「中園さんは、原告の仕事に対する姿勢や言動が許せないという点を主張されていますよね。それはよく理解できます。単に出社して時間と給料の交換だけで過ごそうとする申立人の態度が社会通念上通らないこともわかります。しかし、契約はそれでも守らないといけないのは会社としての落ち度になってしまうのですよ。試用期間といっても採用してしまうとそれはないのと同じで、一旦採用すると被雇用者は雇われた人としての権利が発生します。」
 「えっ、じゃあ2週間っと定められている試用期間は一体なんのためにあるのですか。」
 「あれは解雇予告が不要なくらいで、一般的な解雇自体を有効にするのは相応の正当な事由が必要で、普通の解雇と変わらないのです。」

とまあ、私の法律知識もいい加減な状況で弁護士も立てずに今回の労働裁判は幕を下ろしました。
しかし、裁判官が最後の段になって審判員と私だけの話し合いの席でかけてくれた言葉がある。

「中園さん、いろいろな人がいるから注意をして仕事を頑張ってくださいね。法律はやはり弱者を守るからいくら契約書を整えていても、ダメな時もありますよ。でも、教育をされている方だからなのかはわからないけど、申立人の気持ちも配慮しながら労働審判に参加されるのを見たのは初めてだったので、中園さんは良い方ですね!」

と言ってくれたのである。褒められてもあまり嬉しいと素直に感じれないひねくれた私が今回はこの一言が本当に嬉しかった。

私を褒めたから裁判官が良い人であるとは言えないが、今回で数回目の被告経験の中においては、裁判官の相手の心情を読み取ろうとする配慮をいつも感じるのである。証拠と証言に基づいてテキパキ仕事をこなしていくと勝手に想像していたからかもしれないが、人情味あふれる人物が裁判官になられていることは本当に驚きであった。

その時にいつも思うのはこの裁判官と飲みに行きたいなぁ!である。きっと色々と経験しておられて、大半は話せないことなのだろうと思うけど、こんな人物にふれてみたいと感じるのが裁判官だと思う。

ほかの人も感じてるんじゃないかな。
 つい最近、人前で講演する機会があった。講演と言っても女子会の集まりで話してほしいと。その内容ついては「結婚するために必要なこと」という内容なのだ。

 会の幹事である女性の友人が私の知り合いで、その知り合いの彼からの依頼だったため、彼に頭の上がらない私も断るすべがなく引き受けざるを得ない経緯であったのだ。

 だいたい、結婚できない女なんてひどいブスで性格も悪く服装もジャージとつっかけみたいなやつでないかと感じていたのだ。勝手な妄想をしていました。

 しかし、当日呼ばれた場所はおしゃれなイタリアンレストラン。ふーんと思いながら入ってみると、私が出席するグループがどこにいるのかわからなく、立食形式で立ち歩いているイタリアンレストランにおいて、まさにその場にふさわしそうな美しい女性に聞いてみた。

「すみません、○○の会に呼ばれてきたのですがどちらでやってるかわかりますか。」
「あっ、〇〇の会はここですよ。あれ、次の御講演される先生ですか?」
「いや、先生ではないのですけど・・・・そうです!」

 ええええ!マジで。こんなきれいな人たちなの?
会場に集まる女性はプッチかシャネルのワンピースで身を包み、バーキンのカバンがごろごろあるような会場なのだ。

 話を取り持っていただいた彼に聞くと大半が30代以上で上は55歳まで。ぜーんぶ独身の9割が社会人として今日も働いていると。さらに働いているところも航空会社のCAから証券マンやら銀行員からモデルにライターと花形と思えるような仕事についている人ばかりであった!保険会社のオプもいたし、研修会社の社長、花屋を経営、料理教室運営、父親の不動産屋を手伝っているなど、色とりどりであった。

「△△さん、なんでこいつら結婚できないの?おかしくない?病気があるとか?レズ?いや、それにしてもみんなきれいよね?」
「だろ?彼女たちは本当に一人ひとりいけてるよ!俺の彼女にしたいくらだもん。」

 なにかモデルのパーティに来たのか、どこかのホテルでディナーショーでも始まるのか、こんなきれいな人たちと一緒にいれるのはこちらがわくわくするくらいである。

 さて、こんな女子会であれば毎回参加したいと思う私であったが予定の八時半からの60分、「結婚するために必要なこと」というテーマで彼女たちに何を話せばいいのか、前もって考えていたイメージがぶっとび、一気に自信がなくなったのと焦ってきたのだ!

 結婚できないって、ちがうやん!彼女たちは結婚ができないのではなく、しないだけだろ。というか、いい男を探しているのだけどいい男がいないからできないのだ!
まず最初の論点がそれであることは間違いない。

 さらにトイレの便器に座って8時半までの残り20分間必死に考えた!

 こんな時にいつもの赤のサインペンが役に立つ。私のことを知っている人は私がいつも赤のサインペンを持っていることを知っている。赤のサインペンこそ私の頭の中を表現するに最高の筆記具であり、これを使って汚い紙に絵で描いていくのである。この汚い紙こそがすべてであり、何枚も書いていけばいくほど、私の話を聞いた人たちはこの汚い紙を「これ、もらって帰っていいですか?」とありがたがるのだ。また、もらって帰ってくれることが私も嬉しい。
しかし、今回は誰に渡すでもなくカンニングペーパーとして私の頭の中の整理に必要になる。

 ここで感じたのが私が客を知らないということだ。つまり、客に抱えている症状があり、その病原菌が彼女たちを犯しており、それが理由で結婚に至らないのだと思うようになった。よって、彼女たちの実態を知るところから進め、処方箋が出ればあとは具体的な指示までできるはずだと感じるようになった。

 ようやく、この赤いサインペンで書かれた汚い紙3枚を手にして壇上に向かったのである。


「こんばんは!今日は呼んでいただきありがとうございました。みなさん美しいから一緒にずっといたいけど、今から話をしないといけないと思うともう帰りたいです(笑)。というくらいこのテーマで私が考えてきた内容と、みなさんの美しさのギャップに戸惑っています。ここに到着して、何を話せばいいかについて私の頭がいきなりぶっ飛びました。用意していたものとは異なることだけが分かっており、今さっきもトイレで再考していたところなんです!助けてください!
結婚できない人が多数集まって、どうしようもない肥溜めに私の鶴の一声が利くのではないかと偉そうに思っていましたが、私が肥溜めです!(笑)。すみません、下品で!」


 こんな開口で始まりお客さんとの会話をすることで時間も稼ぎながら彼女たちの症状をつかんで進んでいったのである。



「60分しかないので結論を先に言うと、『いい相手がいない』というのが一つの現象なんでしょうね?それはそうだと思います。私もいろんな人から男性を紹介してもらいたいという依頼を受けますが、周りを見回しても紹介できることで自信のある男性は非常に数が少ないです。
「良いなあ」と思うやつは3パターンあって、一つはすでに女性がくっついている。これは奪いあうしかないですよね?(笑)。よってかなり厳しい!二つ目は若すぎるから目立たないけど男からしてこいつは良い奴になる、というやつ。このころは結構このあたりの青田刈りも進んでおりいまや原野のように誰もいなくなっています(笑)。三つ目はバツあり子供もいたりして40代から50代の少し汚れている奴(笑)。ようは完全に一番ではないけどこのあたりでもいいのかな、という奴らです。

しかし皆さんの話を聞いているとやはり私には少しの違和感があります。簡単に言うと、みなさんはお持ちなんです。「年収」「社会的地位」「家柄」「休日の過ごし方」「海外旅行」「車」「ファッション」いろんなカテゴリーに多くの「残高」を持っており、対外的にもずいぶん通用する素敵な目録になっている。つまりみなさんはこれら「残高」に見合った同じくらいの「残高」を持っている男性を待っており、溜めてきた「残高」込みの自分を受け入れてもらえる男性をさがしているのではないかと思うのだが、どうでしょうか?
年に2回は海外旅行、車はBMW。両家との付き合いはそれほど激しくなく、姑とは薄い関係で子どもはもちろん私学とか。このあたりの「条件」はかなり厳しく、内堀に入れる男性はかなり少なく針に糸を通すどころか、今や二階から目薬りのようなものかと思うのです。
また、男性側の変質についても大きなうねりが存在します。一番わかりやすいのが「草食系」と言われる男子の出現です!
我々のようなガサツな昭和男の価値観はたった一つでした!いかに女性をゲットするか!が日々の課題でありむき出しの動機だったのです。この世にはティラノザウルスしかいないジェラシックワールドで自分たちの「残高」を気にせず内堀を目指す時代でした。
しかしそんな時代は遠く過ぎ去り、いまや平和な草原を鹿とカバだけが住む時代に変わったのでした。もう、浦島太郎ですよ!

そんな草食系が多い時代にみなさんのような「条件」を気にする女性とのマッチングが多くなるとは思えないのです。男の変質はさておき、ではどうしたら結婚できるのかということですが、実は簡単なのです。そうはいってもこの世は男と女。マクロでみたところで結婚する相手はたった一人。そのたった一人の相手を見つけるだけですので考え方一つなんです。さっきトイレで思いついた内容はこれでした。

女性は昔ながらの「条件」にいい「残高」を持ち、男性は草食系が闊歩する時代に変わる中で、過去と同じくらいのマッチングは少し難しいです。
そこで、いくつかの考え方を「変化」として受け入れ、皆さん自身が変わらないといけないという前提があります。
高学歴から終身雇用の価値観が変わり、ベンチャー企業が経済の一端をになっています。電話やポケベルは携帯やスマホになったように、時代は移り変わっているのです。それと同じように皆さん自身の変化が求められているのです。まずは、この点を腹でくくってほしいのです。

話は変わりますが、先日綾小路きみまろのライブを見に行ってきました。中高年を題材に悪口というかいびるような話なのですが、非常に楽しいものでした。その中で、「昔はあれだけ愛し合っていたのに、今や〇〇」というようなパターンの話があり、たいがい妻が旦那を迷惑そうに言うものが多いのです。「昔は死ぬほど愛したのに今や△△」という話は本当に楽しかったです。ここから学べるのはこれらはほとんど事実で、旦那を本当に嫌いになったということではなく、結婚生活も終盤になるとそうなるということだと思うのです。

つまりこれから結婚されるみなさんにとってもいつかはきみまろが言うような関係になるのかもしれない。そう思うと身もふたもないのかもしれないのですが、それが結婚生活がうまくいっている証でもあると思うのです。私が言いたいのはそうなるよ、ということではなくそうなることを考えると今日選ぶ旦那さん選びに対して選球眼が変わるかと思うのです。

相手の「条件」が大事でしょうか?いい「残高」がないといけませんか?背の高さ、年収、学歴は高くというのが3Kですが、それらが本当に大事でしょうか?

自分の残高を丸ごと受け取ってもらえる旦那さんに出会うことが大事かもしれませんが、そんな男性はいないのです。あきらめてください。じゃあどんな人がいいのか?
簡単ですよ!健康で、嘘をつかず、まじめで、優しい人。一緒にジジババになっていけると感じれる人です。感じれたらいいのです。今のその人を見るときっと何か足らないと思ってしまうかもしれない。しかし、今はいいのです。これからずっとなんですから、今の条件は目をつぶればいいのです。
だいたい女性に質問すると「優しい人がいい」「嘘をつかない人がいい」と私の言う通りのことを口走ってるのです。しかし、そのあとに続くのが3Kのような条件を言い出します。
要は自分は、いい「条件」の自分を出すのだから相手の「条件」も良くないとダメというコスパを求めているのです。
このコスパという考え方がだめなんです。これがあらゆる選択を濁らせている今の日本の悪い考え方です。コスパはその瞬間だけに通じるものであり、長い目でのコスパという考え方は語られません。じゃあなぜコスパはだめなんでしょうか?
結婚するとどうなりますか?海外旅行もいいけどBMWもいいけどそんな見栄の張れるものが結婚の本質でしょうか?結婚して子供が生まれると母親になるみなさんは何を思うか知っていますか?自分のおなかを痛めて生んだ子供が生きていてくれたらいい、笑ってくれたらそれで嬉しい、一緒にいるだけでいい、って思うのです。子どもがいるから自分もやっていけるし、子どものためなら死ねるのです。そんな存在ができる家族を作っていく結婚という生活において、海外旅行もBMWもかすみます。むしろそんな価値観は全く大事ではなく、自分自身が生きる本当の意味を手にすることができるでしょう。それが結婚なんです。
その大事なパートナーにたいしたこともまだわからないあなた方結婚のド素人が何を偉そうな条件を言ってるのですか?つまり「条件」を付けるな、ということです。重ねた「残高」はたいした意味はなく相手を選ばない、が答えです。



 ずいぶん昔にビデオで自分史を作る会社をやっていた時があります。その時の奥さんの話が衝撃でした。結婚式当日に初めて会ったのがこの人です。結婚式終わってから初めて顔を見ました!というのです。しかし、そのおばあちゃんが洗い物をしながら昔話をしてくれた時の言葉が昨日のように思い出すことがあります。
「中園さん、私はもう一度生まれ変わってもこの人と一緒になりたいと思いますよ!」というのです。
本当に驚きました。いくら時代がお見合いが主流と言っても当日まで顔を見たことがない、そんな出会いで成り立った結婚でも、人生やり直してももう一度この人と出会いたいという結婚があるんだということ。

翻ってみなさん、具体的な戦略をお伝えしましょう!

 今年のクリスマス。12月20日くらいから25日までの間で市内の一流ホテルでも予約して必ずクリスマスを過ごす相手を見つけるノルマを緊急に達成するようにしてください。ホテルの予約ですよ、これは明日にでもできるでしょ?ダブルルームで夕食も予約してください。いくら高いと言っても10万くらいです。みなさんならいけるでしょ?
大事なことは相手に条件を求めたらだめですよ。優しかったり、楽しかったらいいのです。周りを見るときっといます。声をかけてくれている人たちがあなたがたなら必ずいると思います。むしろ私が声をかけたいくらいですから(笑)。
今までのみなさんであればこんなことは想像できないかもしれません。しかし、変化するということはこういうことなんです。
あなたが本当に結婚を望んでいるのであれば、このクリスマスをきっかけに来年には結婚できるかと思っていますし、私もそれを祈っています。

 あなたが変わらなかったら、また来年私の同じ話を聞くことになります。

 人生変化の連続です。今までのうまくいかなかった轍(わだち)はあきらめて、是非変化のある新しく、求めている結婚につながる道を探してください。

「変化すること」。これが皆さんにお伝えしたい一番の内容なんです。」


 結局60分の話が2時間には及んだだろうか。質問とかを繰り返しながらこんな内容を伝えたのでした。

 最後は私もワインを飲みながら、それを焼酎に替えてもらい、美しい女性陣を「お前ら」呼ばわりしながら叫んでいました(笑)。



 そんなに気合いを入れて結婚することを決意しないといけないのでしょうか。




帰り道、「赤とんぼ」の歌を思い出した。

『15で姐やは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた』

当時の日本は赤貧農家が多く、口減らしのために奉公に出した子供が15で嫁いでいくという意味である。その姐やの背中に追われて肩越しに見える夕焼け小焼けは姐やの背中の暖かさを思い出し、会えなくなっている実母への情を歌ったものであると、とあるコンサートで教えてもらったのを思い出した。

 15で嫁に行けた時代から30でも嫁に行けない時代になって、どちらが幸せなんだろうかと思った夜でした。
私が大学生の頃、働いていた進学塾では合宿という勉強だけを行う宿泊研修があった。生徒も朝から晩まで勉強するのであるが、それに付き合う先生も朝から晩まで勉強を教えるのだからバイトといえども大変な仕事であった。

その合宿に初めて参加してみて戸惑ったのが、子供に対しての指導ではなくて先輩講師からの「洗礼」であった。どんな「洗礼」かというと風呂場で全員真っ裸になっているところ、浴場で正座をさせられるのである。正座をした自分の頭の上に先輩のナニを乗せられて「ちょんまげ」と言われるのがあった。もうひとつは一層過酷なのだが、先輩のナニと自分のナニを双方こすって肥大化させ、正面同士でくっつけて「ET」という遊びであったりした。


唖然・・・・・・・!かと思う。(女性の方、すみません!)


この「ちょんまげ」と「ET」に何の意味があるのかはわからない。いや、当時はわからなかった。いや、当時は意味はわからないのだが単に楽しかったからやっていただけかと思う。
しかし、後年自分の後輩たちから「ちょんまげ」と「ET」については大層語られていることを知った。いまや「俺は〇〇さんにETしてもらったからな!」と半ば自慢げに語っているのだ。「おれの「ちょんまげ」は△△さんにしてもらって、おれは□□の後輩にやったわ!」とか。

まあ、悪ふざけというか暇つぶしというか、数学科の「洗礼」として学生時代のハメ外しと思うと微笑ましい話ではある。本当に懐かしい一コマであるが思い出されるのはそれを拒否する奴がいるのだ。

「そんなことして何になるのですか?」「自分にはできません!」「それをしないと働けないのですか?」などなど。

まあ、ノリの悪いそんな輩には強制はしなかったので、こいつはつまらない奴というレッテルが貼られてしまう。また、それで終わりであり、それからはそいつを遊びの誘いに声をかけないようになるだけだ。

しかし、つい最近40も超えてこの洗礼を私から受けたやつと飲みに行くことがありそいつが嬉しそうにその話をするのだ。かなり二人共お酒がはいっていたので酒の肴として昔の馬鹿話ほど楽しくて安全なものはない。しこたま酔って「ET」談義で盛り上がったのだった。

なんの意味もない遊びに真剣になり、無駄の極地について極め、それをずっと信じていたり、大事な価値観にまで成長させてしまったりする当時の自分たちの行動は、今考えると本当にアホであり、笑いのための自虐行動であったかと思う。


私も振り返るとこんな数学科の「洗礼」に始まり、さまざまなところで無駄なことをやってきたかと思うのである。
事業では上手くいくかもいれないと祈りながら邁進しては果たしてお金や時間を失い、さめざめとした思いにさらされたりした。ちょっとした油断から足元をすくわれてはとんでもない結末の始末をつけるために数年もかかってしまったりする。

どれだけ今まで無駄なことが多かったかと振り返るのであるが、自分の人生の中でのささやかな成功は実はこれら無駄の極地から生まれていることがほとんどであることに最近気付いたのである。
先輩のナニと自分のナニのさきっちょをくっつけることが自分の人生の成功にどう結びつくかは今でもわからない。
しかし、無駄な遊びやくだらない行為には人生の栄養になるものがあったりここ一番の選択で間違わないエッセンスがあるとしか思えないのだ。

決まったレールの上を効率よく歩みながら、損せず無難に進むのが優位であるとするこの頃の若いやつらを見ると、馬鹿で無謀な先輩の豪快な話が同じ人間のすることかと思ってしまう。どちらが面白いか?当然後者である。


「コスパ」という言葉がある。自分も使っている言葉であるが、投資した分と得る結果の割合がいいのが「コスパがいい」のだ。
あらゆる価値観はコスパに支配されていて、「損をしないこと」「効率よく進むこと」が大事になっている。
本当にそうだろうか。

大半の無駄やくだらないことの中から1割の当たりがあり、その無駄やくだらないことをやっているやつだけ1割の当たりを見つけることができる。そしてそれを自分の手に出来るのではないかと思うのだ。多大なるハズレ馬券こそ、万馬券をゲットできるのだ。
ハズレ馬券を馬鹿にしてるやつに万馬券はない!コスパを考える奴は馬券そのものを買わないのだ。競馬を推奨しているわけではないが、挑戦とは「やってみること」だと思う。コスパにビビっていたら何もできないことを知ってほしい。



30代後半の独身女性の集まりがあり、みんな結婚したいという。
はっきり言って美人であったり、器量が良かったり、仕事もできる人が大半であった。

口を揃えていうのが旦那さんに求めるものが年収の高さや身長の高さ。今の自分の地位との比較で結婚を考えていて、遊ぶ時間がなくなることや両家との関係の煩雑さなどさまざまなメリットデメリット。

「どうしたらいいですか?」「どこかにそんないい人いませんか?」

そんな女性にとっては結婚はデメリットの塊である。やめといたほうがいい。

しかし、結婚するとお金には変えがたいものも手にすることができる。家に帰ってほっとする空間であったり、子供が生まれると子供のためには死ねると思えるようになったりするのだ。親になって初めて人生の意味が分かったり、コスパは全く合わないが生きてる意味が理解でき真剣な人生が始まったりする。

じゃあどうしたらいいのか?

コスパを考えずに次に出会う人と結婚したらいい。健康な男性で一緒に居て老後も過ごせると感じれる人ならだいたい良いと思う。

いい会社で年収も高く身長も高く男前の旦那などいない。だいたい適齢期になる前にそんな男性は売れている。まあ、そんな男性にくっつく女性など無能であることが多い。自分にない肩書きを旦那に求めているだけで、見栄と体裁の塊であるのがいる。さらに妬みの性格がくっついていると同性からも相手にされていないのだ。
それより選ばずに出会う男性とまずは結婚してみるのはどうか。そして子供でも産めばいい。旦那からもらうのではなく、旦那を育ててあげるという考え方もいい。それでもだめなら別れてハズレ馬券だったと思い次の万馬券を手にする旅に出よう!

そんなおおらかな人生の選択ができるような人であれば30代後半まで未婚ではないのであるが。



長男から「そんな損してどうすんの?」とアイルランドからLINEがあった。

「成功するためには損するしかないやろ!」
「そうか!失敗したほうが成功するもんな!」

長男よ、少しずつでいいから気づくことを祈ってる。


若いのだからコスパは捨てて、無駄にまみれて欲しい。


秋の夜長に思ったことを書いてしまいました。

徒然なるままに・・・・・
70年談話について


 安部首相の談話が発表された。
そもそも「70年談話」という言葉が出てきてなぜそのような「談話」が発表されないといけないのかという漠然とした疑問を持ちながらニュースを読んでいた。
 しかし、それが森談話や村山談話を継承しており、10年毎に日本の首相が伝える恒例行事のようなものであるということで納得はしたが、はて、その内容については少しがっかりした。

 どちらかと言うとナショナリストのイメージのある安部首相であったが、政治家らしくうまく実利的なところで着地したと思う。

 過去の談話は踏襲する。現在の謝罪は表現しない。未来志向という姿勢で当たり障りのない、批評をすり抜けた言葉で終了したとしか思えない。

 個人的には利己的な中国や、自説の正しさしか歌わない韓国の頭を抑えた文言を入れ、戦後の経済復興を遂げ、平和主義を貫いた道を歩み、世界に類を見ない国民の人道性豊かな特徴を伝え、それを続ける、みたいな文章がよかった。

 轟々と避難され、マスコミや野党からもみくちゃになっても日本はその道を進む、というメッセージでもうたってもらうほうが良かった気がする。

 内閣の支持率も下がり、いろいろなことを考えると安倍節を貫けなかったのだろうと思うのだ。



 日本が最高にして誇れるのは災害時にも争わない、国民がイスラム国に殺害されてもその父親は国を訴えない、まだまだ残っていて和を持って尊っとしとするような「生き方」である。平和主義といえるのか、人道主義というのか、言葉は見当たらないがこの国民性は中国にも韓国にもアメリカにもない最大の長所である。
 戦後、日本人が身につけたこの「生き方」こそが世界が習ってもらっても意味のある長所であると自画自賛しているのは私だけか?


 安保法案が世界のラインに日本も並ぶのであるという点で、十分賛成でいい。法律の運用には課題が残るので敗戦の反省をうたい続けたいひとたちとはまだ争いが残るだろう。
 
 70年前の敗戦のあと、軍隊を自衛隊と呼び、非核三原則を貫き、外形的には平和主義を貫いた結果、国民に培ったこの「生き方」の長所が世界に輸出できる産物になるはずである。
 この日本人の人としての特徴をうまく伝えてもらえると、中国も韓国もアメリカもうなずかずにはいられないのだが・・・・・。

 これこそが安倍談話の中心にあったらよかったのにと思うのだ。

 
たぶん、この話題は1週間もしないうちに、おそらく火曜日くらいには終わっていると思う。中国は天津の爆発で忙しいし、韓国のセヌリ党は許容する見解を示しているので大きなポイントにはならないだろう。


 安倍談話が過去の談話と同じ階層にいるようなところが残念でならない。