キャラの多面性と『ありがとう、トニ・エルドマン』 | でびノート☆彡

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映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

数年ぶりのENBUゼミナールでの演技ワークショップ、おかげさまで満員御礼でした☆

 

講義1.5時間+実技1.5時間の計3時間。受講者の年齢層は意外と高く、演出や主宰をやってる方もちらほら。内容に強く興味を持ってくれているのが伝わってくるので、こちらもとてもやりやすかった。

 

前半の講義『演技法の変化の歴史』は、1930年代から2010年代までのアメリカ・ヨーロッパ・日本の映画における演技法の変化を、世相の変化との関係で読み解いてゆく!・・・という90年間の歴史を1時間半でというかなりの駆け足講座w。

「メソード演技」や「キャラクター演技」「ドキュメンタリータッチ」など、各時代それぞれの演技法が、世間のニーズや世相の変化に対応して必然的に生まれてきていたことを、ぼく自身がいろんな映画のいろんなシーンの演技を実際に演じて見せながらw、解説しました。

 

いろんな時代のいろんな演技法、演じるの楽しかった(笑)

 

 

で、後半の実技『2010年代の演技を体験!』は、その流れから最新の「2010年代の演技法」を参加者の皆さんに台本を使って演じてみてもらいました。

皆さんがそれぞれに長年やってきた演技法をいったん脇に置いて、新しい演技法にチャレンジしてもらうのはなかなか抵抗がある方も多いみたいで、でもそれができた組は超濃密なコミュニケーションが人物同士の間に出現して、演じる側も見てる側もドキドキしまくり。手に汗握るエモーショナルな芝居ができました。

 

2010年代の演技法が持つそれまでの様々な演技法と大きく違う画期的なスペックは、

 

「目の前でコミュニケーションしている相手が誰かによって、自分のモード(人格)が自然に切り替わってしまう もしくは

「自分のモード(人格)が切り替わると、相手とのコミュニケーションの質が変化する」

 

みたいな、われわれ現代人の多重人格的日常を演技で再現できるという点です。

 

じつは我々、現実世界でいろんな自分を使い分けて生きているじゃないですか。

職場での自分、家族と一緒の時の自分、家で独りの時の自分、恋人と一緒にいるときの自分、SNSでの自分、地元の仲間と一緒の時の自分、冠婚葬祭で親戚と一緒の時の自分、趣味の仲間と一緒の時の自分。。。

そのうちどれが本当の自分だとか、そういうことではなく、どれも自分で、それらをすべてひっくるめた多面構造体が「その人」なわけですよね。

 

じつはこの感じって1980~90年代のキャラクター演技や、1960~70年代のメソード演技で演じるのは難しいんですよ。なぜならそれら20世紀の演技法には「キャラクターの一貫性」に対する妄信があるんですね。「一貫性のある人物描写は素晴らしい」「一貫性がない=キャラが崩れてる=ダメな演技」みたいな。それからすると一人の人間に複数のモード(人格)があるなんて許容できないんですよ。

 

現実世界にはそんな一貫性のある人間なんていないのに!

 

20世紀の演技法が許容するのは二面性までです。「厳格な社長だが、孫には甘い」とか「最強の格闘家だが、ヘビには弱い」とか。80年代にシュワルツェネッガーとかよくやってましたよね「殺人マシーンだが子供に弱い」とか「殺人マシーンだが天才的頭脳の持ち主」だとかw。これは二面性っていうか意外性ですよね。もうほとんど一面と言ってもいい。我々が日常にやっているような多面性を演じる方法が無かったんです。

 

この問題を解決するために世界の才能あふれる俳優たちによって編み出されたのが「2010年代の演技法」とぼくが呼んでいるこの演技法なんです。

この「人間の自然な多面性」をテーマにした映画は2010年代に入って本当に増えました。ここ数年の作品だと『エル ELLE』や『スリー・ビルボード』『ブレードランナー2049』『ありがとう、トニ・エルドマン』あたりがまさにそうでしたね。

そういう作品が撮られるようになったからそういう演技法が生まれたのか、そういう演技がで斬る俳優が増えたからそういう作品を傑作として撮ることができるようになったのか。まあどちらもなんでしょうね。

 

 

この「人間の自然な多面性」表現でぼくが舌を巻いたのは『ありがとう、トニ・エルドマン』というドイツ映画です。

 

この映画が凄いのは主人公である30代の女性イネスの精神年齢が2時間の映画の中でどんどん変わってゆき、それでいてひとりの人物として魅力的に成立していること。

職場で30代の大人の女性として活躍している彼女イネスが、父親と一緒にいるときに仕事に対する不安を感じ始めると不意に油断して、父親に対して15歳の少女みたいなコミュニケーションを取り始めるんです。「お父さんのせいで私がこんなことに!」みたいに父親に無分別に怒りをぶつける。もうそこには普段の30代女性の姿はないんです。

でもなんとか気持ちを建て直して立派な30歳の女性みたいなふりをし始めるんですが、今度は父親ヴィンフリートの方が多重人格性の別人格「トニ・エルドマン」を発揮してイネスのその無理して大人ぶっている部分に揺さぶりをかける。

で、いろいろあって最後にはイネスは父親と仲が良かった頃「6歳くらいのイネス」を取り戻して、母の死の悲しみで「トニ・エルドマン」になれなくなった父親ヴィンフリートと新たなコミュニケーションのあり方を模索し始める、という。。。

 

 

ネタバレになってたらすみませんw。でも本当に心にガツンとくる映画なので、ぜひ観てみてください。おススメですよ。ぼくは観て3回くらい泣きましたw。

 

でも精神年齢が変わることって実際にも普通にあることですよね。高校時代の友達に会うと17歳に戻っちゃうじゃないですか。その場所場所で進行するコミュニケーションのルールが変わると、我々は別年齢モードや別人格モードに自然に移行するんですよ。それで社会性を保っているんです。

 

で、いま2010年代の映画では、もうこのことを前提にしながらストーリーが進行してゆくことが当たり前になっています。

『ブレードランナー2049』でも主人公Kは非情なブレードランナーとしてレプリカントを狩り、女上司の前では気弱で男になり、ヴァーチャルな恋人ジョイと一緒の時には優しい男子高校生みたいになり、デッカードと一緒の時には自分を捨てた親を切望する子供になるじゃないですか。

 

もう「キャラクターの一貫性」は必須のルールじゃなくなったんです。いまはもっとリアルに自由に人物を描くことができる。

我々はすごくすごく面白い革命的な変化の時代に立ち会っているんだと思うんです。