「近代化」や「自由化」、国際的な「開発」の問題や「資源」の問題に関する箴言の備忘録
第9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって
1.21世紀のシルクロード
(1)米国の視点
a. ロシア連邦
他方、ロシアをめぐって、米国とヨーロッパの方に望まれる選択肢としては、どのようなものがあるのか。それは、米欧双方の結びつきを強めた上で、かつ、CIS諸国を支援し、旧ソ連の領域内で地政上の多元性を支援することであるとされる。
安全保障に関しては、大陸全体の安全保障と協力のための仕組みを、拘束力の弱い欧州安全保障協力機構(CSCE)とは異なる強固なものとして構築する方向で、ロシアと協力すべきであると言う。また経済面でも、ロシアに対する財政援助を続け、新たな高速道路網と鉄道網によってヨーロッパとロシアの結びつきを強化していけば、ロシアがヨーロッパの一員となったときに、その内実を充実させるであろう、と。[20]
取り分け米国については、民主主義態勢をとる以上、財政的、人的、物的に多大なコストのかかるユーラシアの管理者としての役割を今後長期にわたって果たすことは難しい。その意味からも、先ず短期的には中央アジア地域の地政上の多元性を強化し、それによって反米同盟の結成を阻止しなければならない。ただし多元性の強化はそれ自体が目的ではない。中期的に当該地域において、米国の指導に従う同盟者となり得る地域大国を育てるための手段である。
ゆくゆく、米国、ヨーロッパ、中国、日本、ロシア、インド他何箇国が加わった汎ユーラシア安全保障制度が成立すれば、米国は負担を徐々に減らしながら、同時にユーラシアにおける主導的な役割を恒久化出来るであろう、と考えられている。
そしてその場合、中央アジア地域がどこか一国の勢力圏に収まらないようにすること、世界各国がこの地域の経済に支障なくアクセス出来るようになることが重要な意味を持つ。こうして大規模な国際投資がなされれば、中央アジア諸国の社会経済基盤は強化され、地域経済が発展し、紛争の要素は減り、ひいてはロシアにとっても好ましい波及効果が期待出来る、とされる。
したがって、中央アジア諸国へのアクセスをロシアが独占しようとすることがあれば、それは結局ロシアの国益に反することになるし、地域の安定をも損なうものと理解しなければならず、また理解させなければならない、と。例えば、パイプラインなどの輸送ルートについても、陸路のみならず地中海やアラビア海経由のルートで世界経済にリンクさせていくネットワーク化が望まれる。要は中央アジア地域をロシアに支配させず、さりとてロシアを排除もせず、ということである。こういったことが実現していけば、ロシアは脇見をせずにヨーロッパ志向戦略を実行していくであろう、と構想されている。[21]
b. 南アジア・イスラム諸国方面
次に、南アジア・イスラム諸国方面について。ここでも最近の動向については敢えて後に回し、十数年前の視座に立ち戻ることから始めたい。
ブレジンスキーによれば、ロシアが上述の想定に反して中央アジアにおける地域覇権を望んだ場合、もしくはヨーロッパ志向を鮮明にしないような場合、中央アジア諸国に近接するトルコやイランなどは、資源に強い関心を抱く中国と連携して、ロシアとの対抗軸を形成する可能性がある。そうなると、さらにそれへの対抗軸として、ロシアがインドと同盟を結ぶ可能性も出てくる、と言う。[22]しかし既に記されたように、このような動きが大局的、長期的に見て、関係各国の経済発展や国際環境の安定化に資することは少ない。
トルコもイランも、路線対立や民族問題等、国内に不安定要因を抱える。ただし、トルコについては、その欧米寄り路線を欧米自体が今後も支援すれば、イスラム国家としての色彩を弱め、後述するように現状において宗教的要素がさほど強くない中央アジア各国との間に、穏健で安定的な関係を構築し得るであろうと想定されている。
確かに、トルコは政治力や軍事力における制約の中で、同朋意識、言語的な親近感や、経済的手段を利用しつつ、中央アジア地域における相応の影響力を確保することに政策の主眼を置いているようである。また、トルコとヨーロッパの連携強化がかなえば、カフカス諸国のヨーロッパ接近願望に追い風となる。既にトルコはエネルギー輸出拠点(石油;アゼルバイジャンのバクーBaku→グルジアのトビリシTbilisi→トルコの地中海岸のセイハンCeyhanのいわゆるBTCパイプライン)、あるいは輸送中継拠点(天然ガス;バクーBaku→トビリシTbilisi→トルコ東部のエルズルムErzurumのいわゆるBTEパイプライン)を有する国として、国際的に重要な地位を占めつつある。また、ロシアやイランやトルクメニスタン等からの天然ガスもトルコを経由して、欧州市場へと輸送されることになろう。したがって、トルコの安定は、資源の出口が安定するという意味で、需要側の欧米にとっても供給側の中央アジア諸国にとっても重要である。[23]
イランの動向については、ブレジンスキーはその不透明性を繰り返し述べているが、国際的環境からしても国内要因からしても、過激な選択肢はとり難いようである。というのは、まず現在基本的に、イスラム世界には、衆目の一致するところでこれを代表するような大国が無い。そのため、たとえいわゆる「イスラム原理主義」なるものがアメリカに対する反感を煽り、アラブとイスラエルの紛争を利用して中東の親欧米政権を揺さぶって、ペルシャ湾におけるアメリカの権益を脅かすようなことがあるとしても、その動きは地政上の中核を欠いた散発的なものになると見られる。[24]したがって、アメリカとイランのみの対立構造を過度に際立てることはかえって現実を見えなくするし、アメリカにとってもイランにとっても不毛な議論となる。
また、国内要因としては、イランは民族構成上ペルシャ人が半分強に過ぎず、残る部分をアゼルバイジャン人やクルド人などが占めている。アゼルバイジャンが発展軌道に乗れば、イラン国内の民族的同胞が本国への統合を望むようになる可能性も高い。また、クルド人にしても、隣国トルコにおいて人口の約20%(イランに接する東部に集中)を占めている関係上、トルコの政策展開次第では、両国のクルド人勢力の動きが不安定化し、ひいてはイラン国内の情勢が不安定化する可能性がある。ペルシャ人はナショナリズムが強いといわれるが、既に見たような周辺地域ないし関係各国の戦略的選択肢や展望を考慮すれば、過激な行動や閉鎖的な政策方針は、自らの発展可能性や選択肢を狭めていく。[25]
以上の諸点から、トルコについてもイランについても、穏健でかつ国際的に開かれた国のあり方を追求することが、各国の国益にかなうと見られている。したがって、欧米諸国としても、彼らが過激な選択肢をとらなくても済むような環境を整備すること、徒に彼らを排除したり敵視したりしないことが求められているとされる。[26]
ちなみに、このような推論は別の見方からも可能である。
エマニュエル・トッドは、ここで取り上げているブレジンスキーの見解を、「中心をはずれ孤立したアメリカ合衆国」、世界なしではやっていけないが世界からは必要とされていないアメリカ合衆国が、「旧世界の制御権を保持するための外交的・軍事的技法」と位置づけている。したがってその視座はブレジンスキーとは対立的で、「何らかの国の利益を増やそうということではなく、アメリカの凋落というものをすべての国にとって最善のやり方で管理すること」ということになる。[27]
しかし視点と思考過程が異なっていても、近似する結論に導かれることもある。イスラム地域を巡る議論もそのような例で、このことは中央アジアの重要性を多角的に考察する上で有益であろう。
例えば、ブレジンスキーは次のように予測した。「中央アジアの旧ソ連諸国すべてとアゼルバイジャンは、人口の大半がイスラム教徒だが、政治支配層(大部分はソ連時代の幹部である)はほぼ一様に宗教色がなく、形の上では政教分離になっている。しかし、国民が旧来の氏族意識や部族意識を脱して近代的なナショナリズムに目覚めるにしたがい、イスラム教徒としての意識を強めることになるだろう。イスラム回帰の流れ(イランはもちろん、サウジアラビアもこれら諸国にイスラム回帰を働きかけている)が、新たなナショナリズムを浸透させるうえで大きなはずみとなり、ロシア(したがって異教徒)の支配の下で再統合する提案に対して、頑強に反対するだろう。イスラム化の流れは、ロシア国内のイスラム教徒にも広がるだろう。ロシア国内のイスラム教徒は約2000万人、人口の約13%を占めており、いずれ独自の宗教、政治活動に対する権利をはっきりと主張するようになるだろう。」[28]
このような見方に基づいて、ブレジンスキーは、中央アジアの政情安定に南と西から影響を及ぼすイランやトルコの動向に注目し、かつ両国が過激な宗教色を前面に出さなくて済むような国際協調体制をつくるように唱導した。こうした「脱宗教」的過程が実現されることによって、資源開発等における中央アジア地域の存在意義はより大きなものとなり、その資源を供給源の一つする先進経済地域諸国の利益も確保されるという主張であった。
これに対してトッドの見るイスラム世界は、いわば自動安定化装置のようなものを既に備えた世界である。またそこには、まずアメリカの権益ありきといった前提は無い。むしろ既述のとおり、アメリカの退潮局面を、アメリカ以外の世界の側がどう管理するか、これが主たる関心である。
イスラム世界に関して、トッドは大要次のように述べている。
ヨーロッパ諸国は今日平穏であるが、その大部分は暴力的で血まみれのイデオロギー的・政治的表現の局面を体験してきた。フランス革命、ロシア共産主義、ドイツ・ナチズム・・・これらの出来事によって表現された価値は、プラスのものであれマイナスのものであれ、いずれも近代的と思われる。それは、それらが非宗教化されているからである。
しかし例えば17世紀イングランドでは、神の名において殺し合いが――節度を持って――行なわれたのであった。今日アラーの名において行なわれるジハードは、そのすべての側面において、これと本性を異にするものではない。自由主義的であることからはほど遠いにせよ、それは基本的に「退歩」ではなく、「移行期の危機」を体現しているのである。近代化の過程に関連する「過渡的な変調」なのである。そして混乱の後には、外部からのいかなる介入もない場合には、自動的に安定化が到来する。
イスラム圏は、教育の発展水準を考えれば非常に多様だが、それでも全体としてヨーロッパ、ロシア、中国、日本に対して遅れている。それゆえにこそ現在この時点で、多くのイスラム国が大規模な移行を敢行しつつあるのだ。読み書きを知らない世界の平穏な心性的慣習生活から抜け出して、全世界的な識字化によって定義されるもう一つの安定した世界の方へと歩んでいるのである。この二つの世界の間には、精神的故郷離脱の苦しみと混乱がある。[29]
中央アジアの宗教的直接行動主義は挫折に至った。確かにタジキスタンではいくつもの党派が相争う内戦が続き、その中には浄化されたイスラム共同体を目指す党派も現れた。またウズベキスタンは原理主義の侵入に脅えている。とは言え現実には、中央アジアの旧ソ連共和国では宗教的要因は副次的な役割しか果たしていない。多くの分析者は共産主義の崩壊がイスラムの宗教感情の爆発を引き起こすことを予期していた。しかしロシアはそのかつての領土を全面的に識字化していた。旧ソ連の諸共和国の政治体制はソ連の政治体制から受け継いだ特徴を数多く残しており、民主制とは掛け離れているとは少なくとも言うことが出来るが、いささかも宗教的問題系に支配されてはいない。
イスラム諸国の中には、ようやく今日、識字化と心性的近代化の道に踏み出そうとしている国もある。このカテゴリーに入る二つの主要国は、サウジアラビアとパキスタンである。
この両国は、ワールド・トレード・センターとペンタゴンへのテロ攻撃へと至る過程の中で重要な役割を演じた。この両国の住民の中にアメリカへの敵意が増大しつつあることと、両国で文化的テイクオフが始まっていることとの間には、明らかに関連が存在する。両国は、今後少なくとも20年は、いかなる介入もリスクを伴い、不安定が増大する危険地帯となるであろう。
しかし、アメリカの勢力圏に組み込まれたこの両国のイスラム住民がアメリカに対して敵意を抱いているからといって、そこから全世界的テロリズムの存在を演繹することは不可能である。イスラム圏のかなりの部分はすでに沈静化の途上にある。幾つかのイスラム諸国は、原理主義的危機を経て、移行を完了している。イランでは、革命は沈静化しつつある。アルジェリアでは、イスラム救国戦線がテロリズムと暗殺をこととするようになり、疲弊しつつある。トルコでは、宗教政党の勢力伸張によっても、ケマル・アタチュルクから受け継いだ政教分離を危機に陥れるには至らなかった。[30]
以上のことから、ブレジンスキーの視点によっても、トッドの視点によっても、同様の展望が得られる。すなわち、政策的判断を伴うものであれ、必然的な成り行きによるものであれ、イスラム諸国が今後穏健な現実路線、あるいは国際協調路線をとることに努力し、欧米等の関係各国もこれを支援していけば、イスラム諸国の安定的発展と中央アジア諸国の安定的発展との間に好循環が生じる、という見方である。この見方に基づけば、逆に何らかの原因で過激な選択肢が選ばれてしまった場合には、関係諸国の選択肢は狭められ、悪循環に陥る可能性が高まるということになる。
(脚注は次回に)