「近代化」や「自由化」、国際的な「開発」の問題や「資源」の問題に関する箴言の備忘録
第9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって
1.21世紀のシルクロード
(1)米国の視点
ではユーラシア・バルカン地域を取り巻く国際環境はどのように捉えることが出来るのか。本音を秘した建前上の表現ももちろん多々あると見なければならないが、差し当たりブレジンスキーの述べるところをそのまま整理しておく。
ブレジンスキーは、当該地域諸国を巡る対外政策展開上、競争関係にある国として、ロシア、トルコ、イラン、中国の4箇国を直接的参加者と位置づけ、これとは多少距離を置く国として、ウクライナ、インド、パキスタンを挙げる。そして一層距離を置きつつ参加しているのが米国である、と言う。
米国については、既に指摘されたところの世界的規模での影響力、経済力の低下を背景としつつ、ソ連崩壊後のユーラシアで地政上の多元性を維持することを国益と見、特に、ロシアがかつてのようにこの地域を独占的に支配することを阻止し、多元的枠組の中で、安全かつ効率的に中央アジアの天然資源を開発することが主要な関心であるとされる。[8]
では米国は、中央アジア諸国に対して上掲関係各国・各地域がどのような関心を抱いていると見ているのか。(あくまでもブレジンスキーがどう見ているか、である。)
a. ロシア連邦
ロシアが中央アジア諸国に対し抱く関心は米国のものとは全く異なっており、ロシアが今後とり得る、あるいはとるべき戦略は、大要次のようなものであると言う。
ソ連時代と比較すれば、中央アジア諸国の独立によってロシア南東部の国境線は場所によっては1500キロメートル以上北に後退した。ロシアでは伝統的に国は領土拡張の手段であり、同時に経済開発の手段でもあった。
中央アジアを失ったことで、この地域の莫大なエネルギーや鉱物資源を奪われたという感覚が生まれ、また南のイスラム勢力を現実的脅威と感じるようになった。さらにカフカスの喪失はトルコの影響力復活への恐怖を再燃させ、ウクライナの独立はロシア人がスラブ民族全体を代表し指導する神聖な立場にあるとする思いを粉砕した。[9]
こうして、ソ連崩壊後、ロシアの地政戦略には基本的に次の3つが登場してきた。[10]
①
米ロ関係を最重要視する考え方。アメリカが打ち出した、米ロの「成熟した戦略的同盟関係」への同調を重視し、近隣諸国は相対的に軽視する。ただ、かつての米ソの二大陣営による対立的世界支配ではないにしても、米ロによる、「世界の共同支配」を夢想する傾向がある。思想史的系譜からすれば「西欧派」(westernizer)の流れにあり、基本的には欧米のシステムへの同化、参加、追随にロシアは活路を見出すべきであるとする。
②
逆に「近隣諸国」を重視する考え方。(“near abroad” school) ①の親欧米派が「実際の政治経済運営で期待されたほどの成果を上げることが出来なかった」という批判的見解を持つ者を、広く糾合させ得る。基本的にCISの中央管理体制の強化が強調される。ソ連時代の経済統合はCIS各国の経済構造を現在も或る程度制約している。その現実、客観的要素を踏まえつつ、それに帝国の再建という主観的要素も絡ませる考え方である。したがって、これには次のような異なる立場の者が含まれている。[11]
(ⅰ)CISをロシア主導でEU型共同体へ発展させようと考える、西欧派の一部も加わった、経済重視型現実主義者。
(ⅱ)ロシアを盟主とし、CISの枠組みも利用しつつ、経済統合や帝国的支配の 復活を構想する者。あるいは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシを中心としたスラブ連合(Slavic Union)を構想する汎スラブ主義者(Slavophil
romantics)。
(ⅲ)思想史的系譜からすれば「ユーラシア主義」(Eurasianism)の流れに属するもの。ロシアは地政上も文化的にも純粋なヨーロッパでもなく純粋なアジアでもない。したがって、これらを超える、まさにユーラシアという独自の性格、新しい文化を本来的に持っているし、今後も育て上げていかなければならない、と見る。欧米的な物質万能主義的文化、西欧派的考え方、そして一見その変革の契機となりえるかに見える共産主義なども本質的にはその亜種であると見て、これらに対して批判的な立場をとる、一種の選民意識的な考え方。
③
アメリカの覇権に対抗する同盟関係を追求し、ユーラシア大陸に何らかの反米同盟を結成しようとする考え方。具体的にはロシア、中国、イランを中心としたものが考えられる。[12]
しかしブレジンスキーによれば、以上のような諸見解は、それぞれ問題をはらんでいる。(米国の国益追求を前提とした、「アドバイス含み」ということである。)
①
「成熟した戦略的同盟関係」という言葉は、確かにロシアの自尊心をくすぐるものではあったが、そもそもアメリカには、ロシアと世界の覇権を分け合おうという気が無い。他方ロシアは国力が弱いし、またそれにもかかわらずCIS内ではかなりの程度の行動の自由を望み、中欧を地政上の空白地帯にするよう望むなど、世界政治についての現実感覚に乏しい。したがって言辞としてはともかく、実質的には、米ロ二国は対等な関係を結べない。[13]
②
(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)には多少重なり合う面もあるが、それぞれ次のような問題点を指摘できる。これらは突き詰めれば、ロシアの政治的な弱体化と経済的魅力不足に起因している。したがってロシアが圧力をかければかけるほど、近隣諸国はロシア以外の外部との結びつきを強化しようとする。[14]
(ⅰ)域内においてロシアを主導者とする一極型構造に傾きがちなCISと、経済 規模などの面でも多極的な連合であるEUとは、本質的に異なるものである。EUは、その拡大や充実による利益にあやかろうとする比較的貧しい国にとって、魅力ある存在である。しかしロシアについては、その政治的不安定性や、統合の名のもとに新たな隷属を強いられるのではないかという不信感、あるいはまた、途上国の経済発展戦略上不可欠な世界経済への参加や外資導入に当たって、ロシアがむしろ障害になるのではないかという懸念が根強い。[15]
(ⅱ)スラブ系民族を主体とするウクライナなどにおいてさえ、統合を望む場合でもそれは経済面に限られる。また、その他多くのCIS諸国は、政治・軍事統合を求めるロシア政府の圧力に対して、反発するか逃げの姿勢をとるかである。ウクライナ一国だけでも、経済面だけに限定されない「スラブ連合」には反対しているので、もしもこのような状況下でベラルーシなど、他のスラブ系民族主体の国家がロシアに統合されるとしたら、そもそも「スラブ連合」の概念自体が成り立たず、むしろそれは単なるロシアへの併合に過ぎないことになる。[16]
(ⅲ)「ユーラシア主義」も、中央アジア新興独立国にとっては、さほど魅力的ではない。カザフスタンのナザルバエフ大統領がCISに代えて「ユーラシア連合」(Eurasian Union)を提唱したりもしたが、ロシア人にユーラシアを指導する特別な使命があると見ているわけでもない。実際、カザフスタンはその後、中央アジアの地域協力や軍事協力の拡大に積極的に取り組むようになり、カスピ海沖原油、カザフ原油をトルコ経由で輸送しようとするアゼルバイジャンを支援し、カスピ海沿岸諸国に大陸棚の領有権や鉱区を分割させまいとするロシアやイランの動きには、結束して対抗するようになった。今や中央アジアの新興独立国の中で、ロシアとの新たな同盟を求めている国はほとんどない。[17]
③
ユーラシアにおける反米同盟があり得るとしても、ロシア、中国、イランはいずれも現状において国力が弱い。しかも、もしもこのような同盟が成立すれば、今後の発展戦略を構想する上で必要不可欠な投資や先進技術の源泉である先進諸国との関係は破綻するだろうが、それらを補うだけのものをロシアから得ることは不可能である。結局この考え方は、参加国すべてを、孤立と後進性から抜け出せない状態へと導く。[18]
以上の検討から、「米ロ」、「CIS」、「反米」といった可能性が潰えたロシアのとり得る選択肢は、ヨーロッパを志向すること、しかもEUとNATOが拡大し、アメリカとの関係を維持したヨーロッパを志向すること、ということになる。
ロシアが拡張主義をとらない民族国家になり、より民主主義的な国になれば、ロシアにとってヨーロッパとアメリカは脅威でなくなる。また、不安定なユーラシアに安定をもたらすことにもつながる。問題は、ロシアがこのように慎ましやかで、かつ欧米を脅威と見ず、むしろその一員となることまでを視野に入れることが出来るかどうかである。例えば、かつて西側との間の緩衝地帯、ないし自己の勢力圏として位置づけていた東欧諸国が、挙ってEUやNATOに加わろうとしたときに、それを歓迎すべき事態と認識し、むしろロシア自身を変えていくきっかけともし得るかどうか。特に重要な試金石は、将来ウクライナがEUやNATOに加盟を求めたときに、ロシアがそれを認めるかどうかである。ウクライナとヨーロッパのこの結びつきをロシアが認めれば、ロシア自体もヨーロッパの一部としての道を選択していくことになるだろう。逆にこれを拒否するなら、ロシアはヨーロッパの一部としての道を拒否し、「ユーラシア国家」として孤立していくであろう、とブレジンスキーは言う。[19]
【脚注】
[8] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)224,229頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.135, 139
[9] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)149,156~157,163頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.88-89, 93-95
[10] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)164~165頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.98-99
[11] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)175~176頁,180~182頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.106, 109-110
ⅲ)ユーラシア主義については次の論考も参照。①渡辺雅司「ロシア思想史におけるユーラシア主義」,堀江則雄「ユーラシア主義の系譜とプーチン」,『ユーラシア研究』第27号2~13頁,ユーラシア研究所(2002) ②黒岩幸子「ピョートル・サヴィツキーの思想と今日的意義―現代ロシアのユーラシア主義復権―」岩手県立大学総合政策学会『総合政策』第2巻第2号(2000)
ⅳ)西欧派やスラヴ派の思想の一端については、過去の記事も参照されたい。
http://ameblo.jp/development-philosophy/entry-11777574042.html (2014年2月21日稿)
http://ameblo.jp/development-philosophy/entry-11781258079.html (2014年2月25日稿)
http://ameblo.jp/development-philosophy/entry-11784649855.html (2014年3月1日稿)
[12] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)190~191頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.115-116
[13] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)167~168,174頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.100-101, 105
[14] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)188~189頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.114-115
[15] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)184~185頁
ⅱ)Brzezinski (1997) p.112
[16] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)185~188頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.112-114
[17] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)183~184,186~187,238~239頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.111, 113, 145-146
[18] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)190~192頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.115-117
[19] ⅰ)ブレジンスキー(前掲書)194~197,199~200頁
ⅱ)Brzezinski (1997) pp.118-122