英語の「Design  」は  「記す(Sign] )」という言葉に動詞の接頭語「De」がつくことで、「to make a plan ~(計画をつくる)」という意味です。こう訳すと、多くの人が思っているようなものの外観を美しく飾ったりする意味ではなく、ものを作るための手順や工程などのように思えますが、どんなものを作るのかを計画しその結果が外観でもあるわけで、そこにたる一連のプロセスをデザインと捉えるとよいでしょう。

 

 辞書を引いてみると名詞では意匠、設計、構図、図柄、模様、図案、意図、もくろみ など多様な意味があります。デザインという言葉は 19  世紀以降に使われるようになったので、人によって解釈が異なり、そのことがデザインという言葉をミステリアスなものしているのだと思います。

 

ところで、「デザイン」とよく似た言葉にフランス語のデッサン「Dessin」がありますが、これは絵画製作のための単色で描く予備的なスケッチのことで、一般に「素描」と訳しています。「素」は「素顔(すっぴん)」と同じで飾らないという意味です。英語では単色で描くスケッチや製図を「ドローイング(Drawing)」といいます。デッサンは物体の形態、明暗などを平面に描画する美術の制作技法や過程をさし、いわば絵画制作のための設計図であり、デザインの同義語とも言えます。

 

 第二次世界大戦で焼け野原になった日本では、生活に必要なものがまっさきに作られはじめます。雨をしのぎか寒さから身を守る住宅や衣服です。中でも、戦後、日本人の生活は進駐軍の影響で一気に洋風化します。戦前、日本の女性は着物が普段着でしたが、戦後は洋装に変わります。人気のTVアニメ「サザエさん」をみると、サザエさんは頭にパーマをかけいつも洋服です。ところが戦前生まれの母親のフネさんはいつも和装です。サザエさんが始まったのはせんごまもない頃ですから、当然と言えば当然です。

 

 そのため洋服の作り方を学ぶ洋裁学校(ドレスメーカースクール)が全国にでき多くの若い女性が洋服作りを学びました。手に職を持つ職業婦人の始まりです。そして、政府は海外からファッション・デザイナーを招聘しファッションショーを開催し、洋装化を推し進めました。その後、日本からも多くのファッション・デザイナーが生まれ、海外で活躍を始めるとデザイン=ファッションというイメージが定着してしまったようです。

 

 

 他の分野のデザインはどうだったのでしょう。広告のためのポスターは早くも明治時代に登場します。歯磨き粉やタバコ、百貨店など大量にものを販売する目的でカラー印刷のポスターが作られています。この頃、デザインは「商業美術」と呼ばれていたのですが、ここで活躍したのは洋画や日本画の美術家でした。まだ今でいうデザイナーは職人の地位にあまんじていたので「画工」なんて呼ばれていたようです。

 

 

 戦後(第二次世界大戦)、デザイナーの地位を向上させる目的で「日本宣伝美術会」という職能団体が1951年に結成され、公募展を開きました。多くの人に広告作品を見てもらうだけでなく、優れた作品には賞が与えられました。応募できるのは美大生や現役デザイナーで、互いに切磋琢磨し優れ横尾忠則や田中一光ほか多くのグラフィックデザイナーが誕生しました。1960年には東京で世界デザイン会議が開かれ、1964年には東京オリンピックが開催、亀倉雄策のデザインしたポスターや競技大会の絵文字ピクトグラムなど、日本のグラフィックデザインは世界で高く評価されるようになりました。残念ながら日本宣伝美術会は1970年学生運動の活発化により解体してしまいましたが、その後の高度経済成長に伴い広告代理店や企業などグラフィックデザイナーの活躍の場が広がっていきました。

 

 

 「デザイン」という言葉が使われ始めたのは 20  世紀になってからと言われています。と言うと、ビックリする人もいるでしょうね。現代社会の中で使う「デザイン」と言う言葉は「もの(製品)」の外観に魅力的な付加価値をつけることや、広告やWEBなどのクリエイティブな仕事のイメージでしょうか。

 

 デザインという言葉の語源はラテン語の「Designare」にあるといわれ、この言葉 は「計画を記号に表す」意味であった言われ、紙の上に書く「設計図」や何かの目的を達成するための「計画」の意味で使われていたと言われています。実際に現在の中国では「デザイン」を「設計」と訳しているそうです。

 

 19世紀よりも前は、「ものづくり」は職人の仕事で、「設計」も「ものの外観(デザイン)」を考えるのも職人の仕事でした。それが18世紀末にイギリスで産業革命が起こり、」大量に「ものづくり」が始まると「作る人」と「設計」をする人は別々になり「デザイナー(設計者)」が生まれるのです。設計者は「もの」の外観を決める重要な役割を担うようになりますが、当時は植物などのモチーフを使ったり、ギリシャ風の装飾を施すことが流行しました。これには理由があります。19世紀の初め、ギリシャの独立戦争がきっかけで武器と交換に大量のパルテノン神殿の彫刻群がイギリスに持ち込まれたのです。それらを収蔵・展示するために大英博物館が作られ、ロンドン市民は初めてみる本物のギリシャ美術の虜(とりこ)になります。有名なウェッジウッドの食器にはギリシャ彫刻をモチーフにした装飾が施され人気になりました。

 

 

 19世紀末になると、大量生産された製品を売さばくためにカラー刷りのポスターが作られ、美術家たちがポスター作家になります。フランスではアール・ヌーヴォーの時代でボナールやロートレック、ミュシャなどの画家が大活躍しています。

 

 20世紀になるとアメリカではT型フォードと言う自動車が発売されモータリゼーションの時代を迎えます。黒い色の車体とモデルチェンジをしないことで、1908年から1917年までにT型フォードは950ドルから270ドルまで値下げをし市場を独占します。しかし、それも束の間、ライバルのゼネラルモータス(GM)はカラフルなボディカラーと内装、目的に応じセダンやコンバーチブル(幌型)、トラックなどの車種を用意し、1920年代末には世界最大の自動車メーカーになります。

 

 

 車の外観のことを「スタイリング(Styling)」といいますが、同じシャシー(車体)に違う外観や色をオーダー(注文)できるようにしたのです。スタイリングは醜い機械を覆い隠すためのものなのです。そしてGMは4年毎のモデルチェンジ(計画的陳腐化)を導入、販売を増やすために「流行(トレンド)」を作り出したのです。こんな言葉があります。「今日が四角なら明日は丸だ。」同じ形を見続けると人は飽きてくるのです。

 

  「デザイン」という言葉は日本ではかつて「商業美術」と呼ばれていました。「デザイン」がものを販売するという経済活動に大きく関わるようになったのは20世紀になってからです。最初に「デザイン」と言う言葉が使われ始めたのは20世紀になってからと書きましたが、そう言うことなのです。

 

2008年に開設したデザイン科ブログですが、管理人が退職したので今後記事を書くことができなくなりました。長い間、デザイン科の卒業生をつなぐパイプとして、またこれからデザインを学びたい人への道標となったと自負しています。
本当に、長い間閲覧ありがとうございました。

それでは、さようなら、さようなら。また、どこかでお会いできたらと思います。