デザインを学ぶ学生にとってデッサンはどんな意味があるのでしょうか。長年、デザイン科を担当してきて「絵が描けないけどデザインの仕事をしたい」という応募者に出会うことが多くなりました。たいていの場合、デザインを勉強したいという人は「子供の頃から絵が好き・・・」という人が多いのですが、時代の流れでしょうか、スマホのアプリでかっこいいラストや動画が簡単に作れる時代なので美大の受験でもデッサンがなくなっている・・・と聞きました。でも、どんなクリエイティブな仕事でもデッサンは大切だと思います。

 

30年くらい前までは

 まだパソコンのない時代、デザイン科の授業ではデッサンの時間がかなりのウェイトを占めていました。週1回朝から7時間ずっとデッサンの授業でした。木炭で描く石膏デッサンは1枚を仕上げるのに最低でも3日を要しました。最初からどんどん描いて画用紙を真っ黒にしてしまう人、なかなか描き出せなくて画用紙がずっと白いままの人、1時間くらい後ろから様子を見ているのですが、最初からきちんと描ける人はほとんそいませんでした。当時は、非常勤講師で安井賞をとった高名な画家の先生にお願いしていて、私はもっぱら助手で、授業は大した説明もなく、いきなり石膏デッサンが始まりました。

 

観察すること

  描き始めて1時間くらいしか経ってないのに、もう画用紙を真っ黒にしてしまって、手持ち無沙汰そうに練りゴム(デッサンようの柔らかな消しゴムで練って使う)を丸めて遊んでいる生徒がいました。

 構図も、陰影もあったものでありません。真っ白の石膏像を書いているのにブロンズ(青銅)のようになっているのです。私は、「ごめんね、悪いけど消すよ」と言って練りゴムで彼の絵を消してしまいました。恨めしそうな視線を感じながら、消した画用紙にこうやってって描こうと「あたりの線」を描いてやりました。

 あたりの線というのは、頭のてっぺんは上から1cmくらいのところ、石膏の胸の下は画用紙の下からi.5cmくらい、、胴体は全体の2分の1、顔の傾きはこうやって測って、目は、顔の2分の1の高さ、鼻は顔の長さの4分の1などと目印の線を入れていくことです。聞こえるように呟きながら目印の線を引くと、彼に比例関係で観察していることを理解させます。そして描いている手の動きを見ることで描き方をわからせます。昔ながらの大工の親方みたな教え方、「目で見て盗め」です。「さあ、ここからはあとは自分で描こう」と言ってまた席を離れます。

インテリアかとの合同授業なので学生数は30人余り、同じように真っ黒にしている学生が何人もいるので順番に消しては描いていくの繰り返しです。時には「先生、来て描き方わからん」なんて声が上がります。

 

 

構図と立体表現

 2、3時間後、どうなっているか見に行くと、また真っ黒にしてしまっている。また、消して、さっきよりは少し多く、今度は立体的に見せるために陰影はこうやって描くんだ、練りゴムはこう使う、と言いながら少しぼんやりとした状態で描いてみせ、「じゃあ、またここからは自分で」と言って立ち去ります。そうやって、描いたり、消したりを繰り返しているうちに、2、3ヶ月もすると少しは自分で描けるようになってきたと思います。

 実はデッサンは、油絵などのを描くための下絵のことなのですが、美術やデザインの授業のデッサンは、モノの形を正しく見るための学習なのです。正しく観察できるようになれば、紙の上に立体を再現することが少しできるようになります。そして観察は、美しいものには何らかの比例関係があること、陰影はもの立体的に見せるために必要なものとわからせます。

 

 

姿勢とイメージ

 柔道、剣道、華道、茶道などは形、すなわち姿勢から入ります。背中を伸ばし正しい姿勢で描くこと、椅子に座り画用紙を置く画板をカルトンと言いますが、それを乗せるイーゼル(画台)の位置を決めます。イーゼルは右利きの人なら右足の膝の前、画用紙の中心は目の高さよりも少し下、右手を伸ばして少し肘が曲がるくらいの距離におきます。石膏像は左肩越しに見えるように、右利きの人の利目は右のように思いますがデッサンでは左目を利目にします。左手には細い棒を持って親指を使って縦横の比率や傾きを測ります。測るときは肘を伸ばし、腕全体を動かします。絵を描くときには顔を画用紙に向け、観察した形を思い出しながら描いていきます。木炭や鉛筆を持った腕もできるだ毛伸ばし、顔が画用紙に近づかないようにします。常に全体を見ながら描いていくためです。観察は頭の中にイメージ(実態のない画像)を作る作業です。頭の中に焼きついたイメージを画用紙に写しとっていく、簡単なようでとても難しいことです。最初はぼんやりとした形態が、だんだん霧が晴れてはっきり見えてくる、そんな風に描けるようになったらしめしめです。そして、描いている時の時間や天候によって、陰影が変わりますが、その時の状態で仕上げていくのもデッサンの面白いところです。

 

 

デッサンで学んだことを活かす

 デッサンは上手になることだけが目標ではありません。美大の受験では上手でないと合格しませんが、デザインの仕事では絵を使って相手とコミュニュケーションすることが求められます。言葉で説明出来な部分を簡単な絵を描いて説明すると、すぐにわかっててもらえます。自分の頭の中に浮かんだ文字やイラストを描いて説明する。紙と鉛筆があればどこででもすぐにできます。また、普段愛でを考えるときにも手で考えます。紙に殴り書きのようなものをしているつちに、デッサンのように形がはっきり見えてきます。

 デザインはたくさんの知識の集積で、デザイナーの頭の中は、古今東西の美術作品、ポスター、広告などで溢れています。その知識の「ごった煮」の中から、もっと美味しいものを作り出すのがデザイナーの役割です。頭の中に浮かんだ極上のアイデアを、シェフが料理をするように美味しいものに仕上げていくプロフェッショナルなのです。

 

 

 インダストリアル・デザインとは、もののフォルム(形態)を考えることがデザインと思われています。西ドイツの工業デザイナー、トーマス・マクドナルドは「生産される製品の形態上の特質を決定することを目的とした活動である。」と述べています。形態上の特質とは、外観を意味するものではなく、生産者と使用者の両方から見て、一つのものを統一あるものに変える構造的機能関係を指しています。

 

 外観のことをスタイルと言いますが、表面を魅力的なものにしたり構造上の欠陥を覆い隠すものであり、必然性のない偶然的なものであるとも言えます。つまり、機能的技術、工学的技術、経済的要素が統合されたものでなければならないのです。

 

 世界で最初にインダストリアルデザインの事務所を開いたノーマン・ベル・ゲッデスがデザインした流線型の自動車。ゲッデスは舞台美術を手がけていたが、観客席から見た舞台あとても美しいのですが、裏に回るとベニヤ板や木材が剥き出しののまま。ゲッデスは気付いたのです、プロダクトデザインというのは醜い機械を覆い隠すことなんだと。そこでプロダクトデザイナーになった彼は、スピードを象徴する流線型で機械を覆いました。20世紀はまさにスピードの世代、ライト兄弟の飛行機、フォードが手がけた自動車など、乗り物は次々とスピードを競い合うようになりました。機関車や船、鉛筆削りまでみんな水滴のような流線型になり、人気を博しました。

 

 デザインにおける視覚的な形の決定は、内部的なもの、すなわち材料、構造、機能、経済性と関係しています。外形は人間と常に接触するものですが、それは機能や構造を優先し、時には美しさを犠牲にしても仕方がないのです。

 

 19 世紀末の米国シカゴで活躍した建築家ルイス・サリヴァンは「形は機能を表す。」と言っています。20  世紀初頭のデザイン運動では装飾を排除した「機能主義」が生まれるのですが、過度な「機能主義」は人間から遊離したため批判されました。

1899 サリヴァンが設計したシュレンガーマイヤー百貨店

 

 形は人間に親しまれるものであり、精神をも高揚させるべきです。デザインをにとって大事なことは「材料」、「機能」、「構造」が人間に奉仕すべきものであるという考えです。20世紀初頭、工業都市として栄えたシカゴで商業建築家として活躍していたルイス・サリヴァンの下で製図工として働き、独立後は住宅建築を始め商業建築などの幅広い分野で活躍した建築家フランク・ロイド・ライトは「機能は形に従い、人間が自然に指示する。」と述べています。

 

 ライトは人と自然と建築の融合を目指し、イリノイ州の平坦な地形に合わせた水平線を強調した住宅建築プレーリー(平原)様式降を考案し注目を浴びます。彼は、その後ヨーロッパを領するのですが、多くの建築家と交流しモダニズム建築に影響を与えることになります。ライトは、建物の外観だけでなく内部空間にも自然を取り入れようとしました。また「住宅は実用的で美しく、生活を豊かにしてくれるものであると同時に、人格の形成に貢献するもの」と考え、屋内の家具、什器、食器、カーペット、タペストリー、ステンドグラスなど住む人に必要な生活空間のすべてをデザインしたのです。滝を建物の中に取り込んだ「落水荘」はまさにライト建築を代表するものです。

 

ライトが1936年に設計した「落水荘」

 

 ライトは日本で「帝国ホテル旧館」をデザインしたことでも知られていますが、彼の思想は池袋の「自由学園 明日間」や解体後愛知県犬山市の「明治村」に移築された「帝国ホテル」を見るとよくわかります。

 

ライト設計の旧帝国ホテル。外壁には栃木県の大谷石が使用された。

 

 人類の最も偉大な発明は文字であると言われている。紀元前  3,000  年頃、メソポタミア文明の礎を築いたシュメール人は楔(くさび)型文字を発明しました。丸い棒と鋭角三角形の棒を使いおまの新聞くらいの大きさの粘土板の上に印をつけていく記号のような文字が書かれていきました・書くというよりは、押し付けて窪ませていく作業です。

 

 

 楔形文字は近隣の民族に広まりアッカド語やフリル語、ヒッタイト語など他の言語にも展開されていきました。同じ頃、エジプトでは紙(Paper ペーパー)の源であるパピルスが発明され、植物の汁から作ったインクで文字を記すようにな理ました。この文字は表意文字ヒエログリフと呼ばれ、同時に音を表すことができたそうです。

 

 

 ヒエログリフから文字の形を借り一つの文字が音を表わす言語システムとして発明されたのがアルファベットです。やがてギリシア文字、ローマ字を生み出し、のちに英語、ドイツ語、フランス語などヨーロッパの言語体系が作られていきました。

 

 

 1439  年ドイツのヨハネス•グーテンベルグは金属製の活字を使った印刷機を発明しました。活字は鉛などの合金から作られた文字のことで溶かして再生可能なことから、その名前がつけられました。それまでの木版と違い金属を使った版は大量印刷を可能に、聖書だけでなく文学など多くの書籍が作られるようになります。ちなみ、この菌活字を使った印刷機は16世紀半ばには1時間に240枚の印刷を可能しました。

 

 

 活字の発明は単なる印刷技術の向上によるコミュミュケーションの拡大だけでなく、文字のデザインすなわちタイポグラフィTypography を生み出すことになります。活版印刷に使われたローマン書体は、古代ローマの碑文で使われた文字を真似たもので、名前もこれに由来しています。16 世紀になると、フランスのクロード•ギャラモンが 、ローマン書体をベースに美しいギャラモンと名づけた書体をデザインし印刷業者に販売しました。書体(フォント)をデザインすることをタイポグラフィと言いますが、彼は世界で最初のグラフィックデザイナーであると言われています。またギャラモンの洗練された書体は多くのデザイナーに影響を与え、ギャラモンの名前を冠したフォントが多く生まれました。