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pontaの街場放浪記

さすらいの街場詩人pontaのライフスタイル備忘録です。
2012年に広島のリージョナル情報誌『旬遊 HIROSHIMA』のWebページでコラムを連載しました。その過去ログもこちらへ転載しています。

前ブログ「京都で粋なはしご酒を」で、京都の夜の楽しみについて書いた。
が、京都は夜だけが楽しい訳ではないし、背伸びして訪問するお店だけが美味しい訳ではない。

京都は普段遣いのお店もレベルが高い、と思う。千年の古都の伝統が産み出すレベルの高さだろう。

今回のブログでは、京都で味わった朝食、昼食を紹介したいと思う。

まずは朝食。京都で朝食といえば、和朝食を思い浮かべる方が多いかも知れない。

ただ、京都は喫茶店のモーニングのレベルも高い。百万遍〔進々堂〕、寺町御池〔スマートコーヒー〕、四条烏丸〔前田珈琲〕など老舗も多いが、僕は京都に来ると必ず訪れる〔イノダコーヒ〕の朝食を頂いた。

いつもは三条堺町〔イノダコーヒ本店〕を訪問するのだが、今回は初めて〔イノダコーヒ清水店〕へ。

$復活!pontaの街場放浪記-イノダ清水店


メニューはいつもと同じ「京の朝食」。オレンジジュース、クロワッサン、ハム、スクランブルエッグ、サラダ。究極の朝食、という訳ではないが、心から安心できる美味しさだ。

$復活!pontaの街場放浪記-京の朝食


そして珈琲。珈琲通が唸る挽き立て、入れ立ての珈琲ではない。数十杯分を一気に抽出する創業当時からのスタイルの珈琲だ。かつて谷崎潤一郎や吉井勇も目を細めて味わったことを想像させるような、〔イノダコーヒ〕ならではの、ノスタルジーを誘う風味と味わいである。懐かしさという風味が、僕にはたまらなく愛おしい。

〔イノダコーヒ〕で珈琲やモーニングを味わうと、不思議なことに、普段よりちょっとだけゆっくり時間が流れるような気分になる。何とも贅沢な気分だ。


朝食後は宿をチェックアウトし、腹ごなしに錦市場を歩いた。

新鮮な魚介類や、様々な種類の京野菜を商う店舗が、道幅の狭いアーケードの両側に連なっている。

いつ見ても、食材の素晴らしいディスプレイに、惚れ惚れする。

$復活!pontaの街場放浪記-錦の魚屋


昼食は軽めに、麺類を食べることにした。京都はそば、うどんの老舗も多いが、今回は錦市場の中にあるお店で頂くことにした。

錦市場の中には、そば、うどんを供するお店が数軒あるが、どこも美味しい。

それら飲食店は、買物に訪れる一般人だけでなく、錦市場で食材を求める料理人も訪れるはずだ。料理人は忙しく、手短に昼食を済ませたいので、麺類を選ぶことも多いだろう。彼らは舌が肥えているから、飲食店も不味いものは出すことはできない。また、商売人はコストパフォーマンスにも敏感だから、旨くとも法外に高いものも出せない。そう考えると、錦市場のそば、うどん店が旨くてコストパフォーマンスが良いのも納得できる。

中でも、僕が好きな〔まるき食堂〕は、寺町通と御幸町通の間にある。尊敬する「酒場ライター」バッキー井上さんが経営する漬物店〔錦・高倉屋〕が、至近に店を構えている。

〔まるき食堂〕は何を食べても旨いが、僕のおすすめは「鳥なんば」。鶏肉とねぎが具になった温かいそば/うどんで、僕はいつもそばをチョイスする。

$復活!pontaの街場放浪記-まるき食堂の鳥なんば


そばは京都風のつなぎが多い目のそばだが、鶏肉、ねぎ、そして関西風の甘めで薄口のお出汁が旨い。鶏肉の火の通し方が絶妙で、肉は柔らかく肉汁を湛えている。ねぎも新鮮だ。

京都での食事は、ワンコインランチから、高級日本料理店の晩餐まで、他の土地ではなかなか味わえない楽しみを与えてくれる。だから何回も、何十回も通っても、また京都へ行きたくなる。飽くことがない。千年の伝統が培った魔性の魅力だ。

さあ、帰りは大好きな老舗の漬物屋〔村上重本店〕で漬物を買い、近隣の豆腐屋〔近喜〕で名物のおぼろ豆腐を買うとしよう。

$復活!pontaの街場放浪記-村上重本店


京都を離れることは寂しいが、帰宅後の晩酌が待ち遠しいという、何とも複雑な心境だ。



(2012年8月19日執筆。「Web旬遊」初出)
折しも祇園祭の真っ只中。夏の一大行事を迎えた京都にやってきた。

四条通を歩いていると、祇園囃子がコンチキチンと鳴り響く。鉦と太鼓と笛の音のリズムの反復に、気持ちも次第に高揚してきた。
時間は夕方の5時。夏の京都はまだ日も高い。食事を摂るには早いので、まずは食前酒を頂くことにした。

伺ったのは、友人に紹介されたバー〔ロッキングチェアー〕。周囲は商家ばかりの街並の一角に、目指すお店はあった。マスターお手製の木製の看板がなければ、バーとは分からない和の店構えである。

$復活!pontaの街場放浪記-ロッキングチェアー玄関


店内に入ると、一転シックでオーセンティックなバーの雰囲気に包まれた。店内には薪ストーブがあり、店名の由来であるロッキングチェアがあり、町家らしく坪庭がある。

$復活!pontaの街場放浪記-ロッキングチェアー店内


僕は、一杯目にモヒートを。甘み付けに和三盆を用いた上品な味わいのモヒートだ。

$復活!pontaの街場放浪記-モヒート

二杯目はアメリカンチェリーを漬け込んだブランデーをロックで。
三杯目は、ラムとさくらんぼ(佐藤錦)を用いたお店のオリジナルカクテルを頂いた。

$復活!pontaの街場放浪記-ラムと佐藤錦のカクテル


味わう前から、マスターの坪倉さんの手さばきが素晴らしく、見とれてしまった。
所作に全く無駄がない。そんな所作で作られるカクテルが不味い訳がない。
すべて文句なく美味しかったが、特に佐藤錦のカクテルに瞠目した。自然かつ妖艶な味わいだった。

〔ロッキングチェアー〕で珠玉の食前酒を味わった後、目指す祇園の割烹の予約時間まで間があったので、別のお店で一杯飲むことにした。

目指す場所は先斗町。夕刻の先斗町は人で溢れていたが、目指す〔ますだ〕のある路地は周囲の喧騒と隔絶し、閑かだ。

〔ますだ〕は、京都のおばんざい店の嚆矢といえるお店だ。
また司馬遼太郎、開高健、加藤和彦をはじめ多くの文化人が愛したことで知られている。引き戸を開け店内に入ると、くの字型のカウンターに、おばんざいを盛った鉢がずらり。

$復活!pontaの街場放浪記-ますだ


見上げると、葭簀張を竹で仕切った格天井。茶室の天井を模した粋な造りだ。

背後には、司馬遼太郎の書「桃唇向陽開」(桃唇は陽に向かって開く)が。

$復活!pontaの街場放浪記-司馬遼太郎の書


ここまで見れば〔ますだ〕が先斗町に似合った、粋で艶っぽいお店であることが分かるだろう。

席に座ると、女将が瓶ビールを手ずからお酌してくれた。瓶ビールと冷酒は、広島・西条の銘酒「賀茂鶴」の杉の四斗樽に氷水を入れて冷やしている。冷蔵庫で冷やすより適温になるとのことだ。

$復活!pontaの街場放浪記-賀茂鶴の樽


酒肴はカウンターの上の鉢から、きずし(関西で「〆鯖」のこと)、じゅんさい、おからを。

$復活!pontaの街場放浪記-きずし


そして、季節の鮎の塩焼きを注文した。

三代目ご主人の太田さんは、京都の誇る老舗日本料理店〔瓢亭〕での修業経験がある筋金入りだ。きずしも、じゅんさいも、おからも、しみじみと旨い。

瓶ビールを飲みながら鮎の塩焼きの焼けるのを待っていると、隣客のご夫婦から「鴨ロース食べられました?ますだの鴨ロースは京都一旨いよ!」との声がかかった。あわてて鴨ロースを注文する。なるほど、これは旨い。

$復活!pontaの街場放浪記-鴨ロース


しばらくすると、鮎の塩焼きが焼けた。鮎の塩焼きは、必ずビールと合わせて食べる。鮎の肝の苦みと、ビールの苦みが最高のマリアージュを醸し出すからだ。遠火で焼き上げた小ぶりの天然鮎は、香り高く滋味深かった。

$復活!pontaの街場放浪記-小鮎の塩焼

鮎を食べ終えた後は、瓶ビールから〔賀茂鶴〕の燗酒に進んだ。鴨ロースの話題をきっかけに、隣客のご夫婦と楽しい会話が続いた。

「8時に祇園〔阪川〕(写真撮影不可のため、ブログではご紹介できません。が、文句なしの京料理の名店です)で、鱧とすっぽんを頂きます」

「〔阪川〕は旨いよ!鱧の焼き霜最高だから楽しみにしてよ。それにしても、〔ロッキングチェアー〕、〔ますだ〕、〔阪川〕をはしご酒だなんて、広島のお若い方は粋だねえ」

いえいえ、粋なのは僕ではなくて、明らかに隣客のご夫婦です。食べ方飲み方、所作、会話のすべてが粋としか言いようがない、素敵な雰囲気のお二人だった。こうした粋なお客が醸し出す空気感もまた、〔ますだ〕の味のうちなのだろう。



(2012年7月22日執筆。「Web旬遊」初出)
※〔ロッキングチェアー〕〔ますだ〕の両店とも、雑誌『dancyu』2013年11月号「特集:京都に行きたい。」にて紹介されています。
中学生の頃だったと思う。

当時好きだったUKロックやモダンジャズのCDを借りようと、自転車でレンタルレコード店に行った時のこと。

「ま」行のコーナーで松任谷由実の新譜(『ダイヤモンドダストが消えぬ間に』か『Delight Slight Light Kiss』だったと思う)を何気なく眺めていたら、年の頃は20~30代くらいに見えるお兄さんに声をかけられた。

「君は若いのにユーミン聞くんだね?」

「いや、それほどは・・・」

そのお兄さんは、それから延々1時間くらいユーミンの魅力を語ってくれたんじゃないかな。

確か名曲「Destiny」の「今日に限って安いサンダルを履いてた」って歌詞の素晴らしさについてだったと思うけど、あまり良く覚えていない。

その後そのお兄さんの影響だろうか、『ダイヤモンドダストが消えぬ間に』も『Delight Slight Light Kiss』もレンタルして聴いた。キャッチーな「リフレインが叫んでる」の良さは分かったものの、中学生の耳には地味な曲の数々に、自らすすんで聴くことはあまりなかったと思う。

しばらく経って20歳くらいの頃。

YMO好きの友人とショットバーで飲んでいると、「ユーミンのバックバンドの〔ティン・パン・アレー〕は、YMOの細野さんも参加していて良いバンドなんだよ」と勧められた。

それをきっかけに、ユーミンのデビューアルバム『ひこうき雲』から順を追って聴いてみることにした。

$復活!pontaの街場放浪記-ひこうき雲


『ひこうき雲』の頃は荒井由実名義だったが、これが素晴らしかった。

抒情的で幻想的な歌詞とメロディに、心の奥をノックアウトされた。

マンタ(松任谷正隆)と結婚して松任谷由実になってからも名曲率が高いんだけど、僕にとって好きなのは、名義がまだ荒井由実だった時代。

特に『ひこうき雲』『ミスリム』『コバルトアワー』の3枚は、今でも折に触れて聴く。

$復活!pontaの街場放浪記-ミスリム


$復活!pontaの街場放浪記-コバルトアワー


ユーミンの曲が素晴らしいのはもちろん、アレンジ・演奏を担当する〔ティン・パン・アレー〕が素晴らしい。

メンバーは、当時気鋭のスタジオ・ミュージシャンたち。ベースの細野晴臣、ドラムスの林立夫、キーボードの松任谷正隆、ギターの鈴木茂。
〔ティン・パン・アレー〕のアレンジと演奏は、情熱とセンスに満ち溢れていた。当時の彼らの演奏を、矢野顕子が「黄金時代」と呼んだのは言い得て妙だと思う。

ユーミンの長いミュージシャン活動の中で、売り上げは別として、初期のような表現の輝きが常にあった訳ではない。また、近年のユーミンはめっきり声に衰えがみられ、ファンとしては一抹の寂しさを感じる。

しかしそうであっても、ユーミンが初期三部作『ひこうき雲』『ミスリム』『コバルトアワー』でティン・パン・アレーと共に紡ぎだした世界観は、いまだ色あせることのない輝きを私に与え続けている。

ユーミンは、僕にとっていつまでも女神(ミューズ)であり続けている。


(2012年3月19日執筆。「Web旬遊」初出)