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pontaの街場放浪記

さすらいの街場詩人pontaのライフスタイル備忘録です。
2012年に広島のリージョナル情報誌『旬遊 HIROSHIMA』のWebページでコラムを連載しました。その過去ログもこちらへ転載しています。

1994年、僕はまだ若かったからか、街場のレコード屋や本屋を一日中歩き回っても、全然疲れることがなかった。

その頃レコード屋で出会った一枚のアルバム・・・

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小沢健二『LIFE』。

CDだからレコードと違って擦り切れるなんてことはないのだけど、イメージとして「擦り切れるほど」聴いたなあ。 現在の僕だったら「擦り切れるほど」に聴かないだろう。当時の年齢だったからこそ、小沢健二のメッセージが直截に伝わり聴きまくったのだと思う。

『LIFE』は小沢健二の詞や曲も良いが、ドラムスの青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)がタイトに刻むリズムが心地よかった。

その後、邦楽・洋楽を問わず1970年代のロックにはまっていくのだけど、その入口に『LIFE』というアルバムがあったって、今にして強く思う。


時は遥かに流れ、2010年5月。 音楽活動の第一線から離れた小沢健二が、久しぶりにライヴツアーをやることに。 しかも『LIFE』からの曲目が中心のツアーだったそうだ。

東京・中野サンプラザでのライヴのこと。 小沢健二にとって運命的な一人のオーディエンスが会場を訪れていた。

「これいうと泣いちゃうからいいたくないんだけど・・・」

当夜のライヴのエンディングの直前、小沢健二はずっとこらえていた涙を流し、そのオーディエンスを紹介した後、顔を覆ったという。

「岡崎京子が来ています」


当夜のライヴには、客席の最前列にまんが家の岡崎京子がいた。

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岡崎京子は車椅子姿だったという。

岡崎京子は、小沢健二がフリッパーズ・ギター在籍中より彼のファンだった。
彼女のまんがを読むと、小沢本人の名前や、小沢をモチーフにした人物がしばしば登場するので、ファンにとってはなじみ深い人物だ。

実際、二人は感性が合ったようで、親しい存在だったという。 音楽、まんがと表現方法は違えど、小沢健二と岡崎京子の間には、同じ表現者として通じ合うものがあったのだろう。

1996年、ご主人と共に散歩の途中だった岡崎京子は突然ひき逃げ事故にあう。 一命は取り留めたが相当の大怪我で、現在もリハビリ中。いまだ執筆活動を再開していない。

事故直後、小沢健二が作家の吉本ばななと一緒に、彼女の病室を見舞った話は有名だ。

吉本ばななによると、小沢健二は「親族以外面会謝絶」のICUに「親族です!」と言って訪問したという。

なぜそこまでしてお見舞いをしたかったか、小沢健二はその場で吉本ばななに理由を告げたという。

「僕は彼女の王子様だから」


僕は、小沢健二と岡崎京子の実際の関係性についてよく知らない。ただ、二人が表現者というカテゴリーを超えて、深い紐帯を結んでいただろうことは、小沢健二の音楽と、岡崎京子のまんがを体験してきたファンにとっては、何となくだけど分かるはずだ。

小沢健二は、音楽的盟友・青木達之を亡くし、岡崎京子は未だ執筆活動を再開できない状況下にある。

そんな中、長い活動休止期間を経て、あえて『LIFE』の曲を中心にライヴツアーを行った小沢健二の英断に、心から敬意を表したい。 彼が英断を下したからこそ、中野サンプラザで岡崎京子との奇蹟的な邂逅が実現したのだから。

そして今年、岡崎京子作品の初めての映画化が実現する。題名は『ヘルタースケルター』。

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主演の沢尻エリカが話題だが、作品に描かれている抒情性を繊細に表現して欲しいと、切に願う。



(2012年3月13日執筆。「Web旬遊」初出)
僕が最も尊敬する料理人の一人が、斉須政雄さんだ。

斉須さんは、東京・三田のフランス料理店「コート・ドール」のオーナーシェフ。日本のフランス料理界の大御所だが、『十皿の料理』『メニューは僕の誇りです』『調理場という戦場』など、料理に関する名エッセイの著者としても知られている。

$復活!pontaの街場放浪記-十皿の料理

$復活!pontaの街場放浪記-メニューは僕の誇りです

$復活!pontaの街場放浪記-調理場という戦場


斉須さんは福島県白河市の生まれ。地元の高校卒業後、東京のホテルに就職し料理人人生をスタートした。都内のレストラン勤務などを経て、フランスに12年間滞在。「ヴィヴァロワ」「タイユヴァン」など3ツ星レストランで経験を積み、1981年には盟友ベルナール・パコーと共に「ランブロワジー」を開店。開店からわずか22ケ月でミシュランの2ツ星を獲得した。

1986年帰国。東京・三田に「コート・ドール」を開店し、現在に至る。

2002年、若い頃から10年越しで憧れ続けていた「コート・ドール」を初訪問した。

高級だが、グランメゾンらしからぬシンプルなインテリア。皿はすべて純白のウェッジウッド。カトラリーはクリストフル。隣のテーブルでは著名人が、外国からのゲストと共に銘醸ワインを楽しんでいた。

僕は初回の訪問だったこともあり、「コート・ドール」のスペシャリテ(看板料理)と、比較的リーズナブルなボトルワインを注文した。

アミューズは赤ピーマンのムース。前菜は季節野菜のエチュベ コリアンダー風味。メインディッシュはエイとキャベツ バターとシェリー酢のソース。デザートはルバーブのタルト。すべての料理は品格がありつつシンプルであり、しかも今まで食べたことのない香りと味わいに満ちていた。

豪華食材を惜しみなく用いたわけでもない。特殊な調理法を駆使したわけでもない。

すべての料理が、ごく普通の食材を用い、著書で公開済みのレシピで作られたものだ。それでいて、料理の味わいの清冽さと繊細さと斬新さに心を強く揺り動かされた。


食後のダイニングルームで、持参した斉須さんの著書『十皿の料理』にサインを頂きたいと、メートル・ド・テル(支配人)にお願いした。すると帰り際のウェイティングルームで、斉須さんがサイン済みの著書を手にし、待っておられた。

斉須さんは、高級レストランのシェフというイメージからかけ離れた、朴訥な印象の方だった。頭髪は鮨屋の親方のような角刈り。服装もカチっとしたコックコート姿と思いきや、裾が擦り切れたTシャツに色あせたエプロン。しかし、眼光は鋭く、身体全体から生命力がみなぎっているのを感じた。

斉須さんは、東北人らしくシャイで言葉少なだったが、別れ際には、これでもかという強い力で握手して頂いた。その時の固い握手の印象が、今でも忘れられない。

$復活!pontaの街場放浪記-サイン

「人に出来たらあんたも出来るよ。母からよく言われ、これを信じてやってきました。」

その時斉須さんから頂いた珠玉の言葉。今でも僕の座右の銘だ。


斉須さんは今年で62歳。今でも調理場の最前線で激務をこなし続けておられる。

斉須さんは著書で次のように語っている。「フランスに行ったとき、東北人の持ち味をフランス人に感じた」(『十皿の料理』)と。

「東北人の持ち味」とは、「ねばり、忍耐、深いところに滲み出るやさしさ」であり、長年の料理人修業の結果「フランス料理への意識は僕の生理になって、指に手に足になじんで、鋳型に入る前の楽な自分、自然体の自分」で料理をすることができるようになったという。

フランス人になりきるのではなく、東北人の持ち味を最大限活かしてホンモノのフランス料理を作り続けること。それが斉須さんの独自性の源泉だと思う。

斉須さんが生まれ育った東北地方は、昨年の東日本大震災で大きな打撃を受けた。故郷を愛し、福島県産の食材を好んで使われていた斉須さんにとって、心中いかばかりか想像に難くない。

もうすぐ震災から一年が経ようとしている。斉須さんは東京の飲食業界に吹き荒れるアゲンストの風にも負けず、「東北人の持ち味」を最大限発揮し、日々料理を作り続けておられる。おそらく、日々の仕事を誠実に、忍耐強く継続することこそが、愛する故郷への最大のエールだと考えられているはずだ。

ねばり強く、忍耐強く、やさしさにあふれた「東北スピリッツ」万歳。そして「東北スピリッツ」に満ちた斉須さんの料理を、「コート・ドール」で再び味わいたい。


(2012年3月3日執筆。「Web旬遊」にて初出)
気の合う友人に誘われて、はじめての店へ行くことになった。
モダンで美味しい和食の店と聞いていたので、予定が決まってからずっと楽しみにしていた。

待ち合わせ時間の前にいつものヘアサロンに立ち寄り、散髪してもらった。その時、担当のスタイリストさんに今夜行く店の話をしたら、彼もその店で飲んだことがあるそうだ。
「pontaさん、そのお店は美味しいです。期待して良いですよ」
美味しい店に詳しいスタイリストさんの話なので、期待にますます胸がふくらんだ。

ヘアサロンに入った時はまだ明るかったのに、散髪を終え外に出ると辺りは夕暮れ時。空はすっかり薄暗くなっていた。

約束まで少し間があったので、金座街の書店をひやかし、時間をつぶした。時間をつぶすつもりが、名ホテル・旅館を特集した雑誌を読みふけっていたら、いつの間にか約束の5分前に。あわてて店へ向かった。

目的のお店〔酒菜 竹のした〕は、立町の広島国際ホテルやラウンドワンの近くにある。
ビルの2階へと続く細い階段を登り切ると、そこに瀟洒な入口があった。

$復活!pontaの街場放浪記-看板

はじめての店の扉を開ける前は、僕はいつも期待が混じった独特の緊張感を感じる。まるで遠足の朝の小学生のような、わくわくどきどきした気持ちだ。

扉を開くと友人の笑顔が見えた。緊張感が一気にゆるみ、僕も笑顔がこぼれた。

〔酒菜 竹のした〕は、料理の美味しさと居心地の良さが人気の創作和食の店だ。間接照明がモダンな雰囲気を演出しているので、落ち着いて酒と料理を味わうことができる。当夜もほぼ満席に近い賑わいだった。5卓あるテーブル席も良いが、今回は小体なカウンターに陣取った。

この日〔酒菜 竹のした〕に誘ってくれた友人は、僕のグルメの師匠の一人。カウンター越しに包丁を握る店主の姿を眺めつつ、畏友と一献傾けながら語り合い、楽しい時間を過ごした。

当夜の宴の皮切りは瓶ビール。料理はアラカルトもあるが、事前に店主のおまかせコースをお願いして頂いた。
目にも舌にも美しい前菜を瓶ビールと共に楽しんだ後、僕は日本酒を注文した。

日本酒で唇を湿らせていると、お造りの盛り合わせが登場。鯛やカンパチは生で、たいらぎ貝、鰆、穴子は軽く炙って、そして鯖は軽く〆て。鮮度が良く、上手に手入れがされたお造りは、噛みしめると口の中で旨みが広がる。もちろん日本酒との相性は抜群だ。

$復活!pontaの街場放浪記-お造り

その後も、和食の基本を押さえつつも、店主の技とセンスが光るメニューが続いた。
椀は、揚げた鯛の身、筍、わかめを澄まし汁で頂く、いわば若竹煮をアレンジしたお吸い物。
焼き物は、葱たっぷりの焼き牡蠣、白子の昆布焼き、タコのやわらか煮の盛り合わせ。

$復活!pontaの街場放浪記-焼き物

煮物は高級魚・きんきの煮付け。

$復活!pontaの街場放浪記-煮付け

揚げものは季節を先取りした空豆のかき揚げ。

$復活!pontaの街場放浪記-揚げ物

硬軟取り混ぜつつ、旬の食材あり、走りの食材あり。舌で冬の名残と春の訪れを交互に感じることができた。

〆のご飯ものには驚かされた。出汁巻き卵のような形状に見えたが、真ん中を割ってみると中から桜色のご飯が。なんと、明太子をまぶしたご飯を卵で巻いてみたという。いわば和風オムライスだ。

$復活!pontaの街場放浪記-和風オムライス

酒肴と会話を楽しんでいたら、あっという間に3時間が経過した。

料理はもちろん趣深く美味しかったのだが、カウンター越しに店主の料理に対する気合が伝わってきたのも、心地良かった。店主の所作に無駄がなく、料理を提供するタイミングは早すぎず、さりとて間断なく、何とも絶妙だった。また、すべてのスタッフの接客から、お客に対する優しさと心配りが強く感じられた。

お腹も心も満ち足りて、友人と二人笑顔で店を後にした。カウンター越しに、ふと目が合った店主が、にっこりとこちらに微笑みかけてくれた。

まんぞく、まんぞく。

店を後にした後、ほろ酔いで通りを歩きながら、友人と当夜の料理の美味しさを語り合うひとときが楽しい。
長時間会話をしたのに、美味しい酒肴を楽しんだ後だと、不思議なことにもっともっと話をしたくなる。そんな時は、いつものワインバーのカウンターに場所を変えて、会話の続きを楽しもう。

気の合う友人との夜は、まだまだ長く、深い。


(2012年3月1日執筆。「WEB旬遊」にて初出)