Commentarii de AKB Ameba版 -5ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

 今回で16回めのシアター。もちろん当選は嬉しいけれど、最初の頃のような天にも昇るような感動はないだろう。

 

 そりゃそうだ。今から思えば、あれは僕にとって何度か目の恋のはじまりだったんだ。不特定多数の彼女たちへの恋愛。もしくは彼女たちによって織りなされる物語りに対する愛おしさ。

 AKBに関連のあるものだったら、何でも知りたかった。どんな短い動画だって見たかった。手に入る全てのDVDを手に入れた。

   そう 愛しさとは

   そのすべて/知りたくなることさ

君について

 その後、AKBはどんどん大きくなり、気がついたら後を追っていた僕はもう息が上がってしまっていた。曲のひとつひとつについて感じたことを綴っていたこの記録を書くことも、稀になっていた。

 たまに書くのは、シアターに来た時くらいになった。

 それも、来られればいい、というのではなくて、出来れば真ん中の方で、なるべくは前の方の椅子に座って見たいよね、というゼイタクを望むようになっていた。

 人は望むものを手に入れると、さらに多くを望むようになる。多くが手に入るほど、「それ」の貴重さが見えなくなって、それを手にするときめきは消えていく。

 

 ときめきを失った恋は、もう恋では無い。

 なに、嘆くことはない。極めて散文的なそれは、フツウのダンジョ関係ってヤツだ。実生活でよく知ってるだろ?

 

 

--

 

 抽選前には、毎回一巡で呼ばれる予感がする。何となく判る。

 もちろん予感でしかないのだけれど。そしてそれは毎回外れるのだけれど。

 一巡で呼ばれないと、じゃあ二巡かな、と考える。呼ばれないと、じゃあ次だな、と考える。

 「おいおい今日は『優勝』か」とため息混じりのつぶやきが聞こえることがあるが、そんなことを思ったことは一度もない。我ながらビックリするほどの楽観主義だと思う。

 それでもこの日、僕のラインは十巡を過ぎても呼ばれなかった。さすがにもう椅子には座れない。それどころかちゃんとした視界が確保されるかどうか。体調を考えたら何だか帰りたい気持ちにも、少しだけなった。

 

 やっと呼ばれて久しぶりの立ち見。それでもセンター3列目は上出来。

 そういやイチバン最初のシアターもこの辺だった。あっちゃんはいないものの、フルメンバーに近いA6「目撃者」。あれはもう4年も前のことだ。

 シュプレヒコールと銃声の後、訳もなく涙が溢れだしたのは、恋する彼女(たち)にやっと会えたからだった。そう言えば名も知らぬ研究生だった相笠に会ったのもこの場所だった。

 やれやれ、あんな感動はもう無いのかも知れない。

 それよりなにがしかの情熱を持ってこの記録を書くモチベーションが生まれるだろうか。立ち見だってのに。

 

 ウエストミンスターベル、影アナは茂木ちゃん。オバチャ、タイガーファイアー、型どおりのはじまりだ。ちょっと足腰がつらいけど、まあまあ楽しみましょ。

 

 そんなはじまりのはずだった。

 狭い空間だが僕の斜め前のおじさん(失礼! 僕よりは若いかも知れないが)が、小さいけれど、丁寧で的確なフリコピをしていた。むむ。タダ者ではないな。きっと古参に違いない。

 それを見て僕も小さな小さな指先だけのフリコピをはじめた。

 そう。そうそう。そうだ。

 

 風邪気味のせいだったのか、昨日の麻酔が残っていたせいだったのか。「最終ベル」の半ばあたりで鼻の奥の方がつーんとした。

「ボーイフレンドの作り方」のあたりで僕は涙を流していた。

 

 みぃちゃんがいる。相笠がいる。彩希さんがいる。ちぃちゃんがいる。藤田がいる。みんながいる。すぐそこに彼女たちがいて、最初の時と同じように、笑って歌って踊っている。

 

 ただそれだけのこと。

 ただそれでけのことが胸の奥に迫って、僕の涙が止まらなくなった。

 

 僕の彼女たちへの恋は、確かに終わっていた。

 でも彼女たちは、ここで待っていた。

 4年の間、とてもたくさんのことが変わったというのに、まるで何も変わっていないかのように、ここで僕を待っていた。

 

 

 麻酔のせいだ。

 いや、シアターに充満する魔法の粉のせいだってば。

 

words

   最終ベルが鳴る(ふいに)

   降りるなら今だ 

 もう降りちゃおうかな、この列車。

 ぱるるも降りちゃうみたいだし。

 

 と思っていた矢先に届いた招待状。

 前々日に風邪を引き、前日に人間ドックで呻吟して、当日は飛行機で出張のとんぼ返りと、コンディションは最悪。咳こそ出ないものの、頭も耳も何だか重苦しい中でのシアター参戦でした。

 でも今日のステージには、どういうわけか「シアターの女神」彩希さんがいる。みぃちゃんとも久しぶりだ。相笠、茂木、岡田(彩)とくれば僕がイチバン愛した峯岸Team 4の同窓会だ。

 さらに阿部、島田、田野、藤田は「大場」Team 4の残党(厳密には藤田はTeam 4のメンバーではなかったが、「大場」Team 4の旗揚げ公演のスターティングメンバーだ)。

 

 しかし「最終ベル」公演か。

 

 この公演は当時にしては壮大な実験であった「ひまわり組」1,2公演の後を嗣いで、思いもよらず傷ついた「K」のアイデンティティーを癒すためのものではなかったか、と僕は思っている。

 

 もちろん「ひまわり組」がいけなかったわけではない。

 党派色が強くなっていたふたつのTeam を融合させ新たな化学反応を起こす。それはある程度の成果を出したのだろう。

 

  一方あの試みは、AKBには「推され」と「干され」がいるという、すでに誰もが気がついていたがおおっぴらに語られていなかった不都合な事実を、周知のものとした。

 

「推され=1st メンバー=一軍」と「干され=2nd メンバー=二軍」にTeamを分けて公演を行って、改めてわかったことは、「推され」だけではシアターは成り立たない、ということだった。

 

 「すぐれた敗者でなければ、勝者を輝かせたり価値をもたらすことはできない」

 

 残酷ではあるが、敬愛するなかやんの言葉だ。シアターには「すぐれた敗者」が必要なのだ。

 痛みとともにそれを確認して、もう一度原点のTeamに戻った最初の公演が「最終ベル」だった。彼女たちは生まれも育ちも違うけれど、やっぱり「16人姉妹」であり、お互いがお互いの「支え」であった。

 

 僕がまだ一度も見たことのないシアターのステージを、誰よりもよく知っているような気持ちになれた頃のことだ。その頃はまだAKBにたくさんの物語が詰まっていた。

 

 なーんてね。

 

 でも「最終ベル」だ。

 今決断しなければ、もう二度とその時は来ないはずのその報せだ。

 そんな報せが何度繰り返されただろう。

 「RESET」だ。「スクラップ&ビルド」だ。

 でも結局、Teamってヤツがぐじゃぐじゃに壊れて、誰がどこにいて、それにどんな意味があるのか全然分からなくなってしまった。それでいて何も始まっていない、新しい何かは別のところで起きているそんな閉塞感。

 いわゆるオワコンってヤツですか。

 ホント、「最終ベル」がずっと鳴りっぱなしじゃないか。 

 

 最初に見たつかこうへいの芝居は、「いつも心に太陽を」だった。
 1979年2月。田舎の高校生だった僕は、西武劇場に続く渋谷の坂道を緊張しながら登っていったのを憶えている。

 夏の海と男同士の恋。
 お子ちゃまに愛というものの意味は判らなかったが、それが美しくも哀しいものであるということは、暗い客席で涙を流しながら会得した。
 
 僕はその後しばらく演劇少年になる。見られるのは日曜のマチネくらいだったが、行ける芝居なら何でもよかった。ジァンジァンで加藤健一の「審判」や寺山修司を見たのもこの頃だった。 

 あれから37年だって?
 
 馬齢を重ね薄くなった白髪頭の僕に、死んだつかは雲の上から「今さら何しに来たんだ」と毒づいている。
 「うるせい、あんたの芝居を見に来たんじゃない。俺は松井玲奈を見に来たんだ」。

 松井玲奈。
 ステージで見たのは3年前のこと。それっきり縁のない人だった。「ゲキカラ」も「gift」も「名古屋行き最終列車」も見たけどね。なんだ松井R、気になってるンじゃん「初恋芸人」は見なかったけど。

 今でも憶えている。いつの「総選挙」だったか、うつむいて泣きじゃくってコメントできない松井玲奈に飛んだヲタの檄。
 「前向け!」。
 その刹那彼女は涙を拭いもせず顔を上げた。その目には火が宿っているようだった。
 何がかすみ草なものか。その根は太く、力強い。

 「卒業」からもうすぐ1年。ひょっとしたら辞めていったメンバーの中で、いちばんうまく行っているんじゃあるまいか松井玲奈。
  
 つかこうへい七回忌特別講演「新・幕末純情伝」@銀河劇場
 松井玲奈は主演の沖田総司。これは見に行かずんばなるまいよ。

 18時半現場着。
 エントランス近くには松井玲奈宛の花がたくさん飾られていた。めーてれからもちゃーんと。
 でもAKSと秋元康事務所からの花は無かった。いかんなこれは。

 19時開演。

 21時10分閉幕。
 
 あっという間の2時間ちょっとだった。

 高校生の頃のように滂沱の涙にくれるということはなかったが、いい2時間ちょっとだった。

 つかの芝居らしく場面転換は目まぐるしく、余計な説明はない。一人の登場人物に表れる幾層もの人格。なつかしのドラマツルギーだ。
 「いいもの」と「わるもの」の区別がはっきりついて、物語の筋書きと「感動する場所」を説明してくれる人がいるドラマに慣れている観客には骨だったかもしれない。

 役者たちは、松井玲奈を含め全力の芝居だった。決してうまくはないのだが、その姿は胸に迫るものがあった。

 ただ難を言えば、言葉が伝わりにくい。

 要するに役者の発声がよくないのだ。怒鳴り続ける、その気迫はよしとしよう。だが端的に何をしゃべっているのか伝わりにくい。
 怒鳴ってもがなっても囁いても、言葉の粒がひとつひとつきちんと客席に伝わっていた風間杜夫や平田満の発声がいかにしっかりしていたか、ということなのだろう。
 その粗野で猥雑で哀しくて美しい言葉を、客の心の奥に届けることができなければ、つかの芝居はただの言葉遊びに堕してしまう。

 もっと言うならば「つかこうへいの脚本」という概念自体がある種の悪い冗談である。つかの芝居に脚本というほどのものはなく、あるのは骨組みと情念の方向性だけだった。
 初日と楽日ではセリフや筋書きががらっと変わってしまう。それが当たり前の世界だった。
 役者も客も、何が起こるか解らない、変転自在なつかの「言葉」の上で転がされ続けた。それがつかの魅力だった。
 
 まあ、それができたのは、その場につかがいたからなのだが。
 であるならば、せめて脚本に縛られることなくもっと「今の言葉」を伝えてもよかった。 

 それと矛盾するようなもの言いになっていまうのだが。

 オリジナルでは確か沖田は土方に半ば強姦に近い形で犯されるはずだった。
 この公演ではそのシーンがすっぽり抜けていて、後で「女にしてもらった」と説明されるに過ぎななかった。これはいかがなものかなあ。このシーンは男として育てられた沖田が力尽くで「女」にさせられ、それと裏腹にその後否応なく「人殺し」の道を歩まされるきっかけの場面だ。
 ここを境にして、純朴な男の子が業を背負った女に生まれ変わる。そして何よりも、松井玲奈が舞台上で衆人環視のもと、陵辱されるというシーンだ。これを見せずして何を見せるというのか。
 ここでブレーキを踏んでしまったら、女優松井玲奈の沽券に関わるんだがなあ。
 事務所が許さんかなあ。 

 女優松井玲奈。
 
 板の上の彼女は、まだどこかしら生硬で遠慮がちだったようでもある。殺陣だってまだまだだった。なに、殺陣の巧拙などどうだったいいのだ。彼女には同年代の女優が逆立ちしたって叶わない「劇場」の経験がある。

 臆するな。前向け。松井玲奈。
 words

 コルセット?
 結局はずしたさ。ビーって鳴ったらやだから。
 ちょっと腰がぐらぐらして不安だけど、ビーって鳴ったらやだもん。
 でも鳴るか鳴らないかなんて、素材を見りゃ一発でわかるじゃんねえ。後で気づいた。箱見りゃ書いてあるじゃん。「合成ゴム」。じゃあ鳴らないじゃん。はずすことなかった。
 
 17時シアター着。
 今日は彩希さんの生誕祭。委員の人がペンライトとタオルとマスコット人形を用意してくれた。
 お賽銭を入れて壁に貼られた「選挙」ポスターを眺める。モニターでは「政見放送」。茂木が泣いておる。去年ランクインしたことを思い出して感極まっている。今はTeam 4にはいないけど、研究生の頃から見ていた茂木。今年も嬉し涙を流して欲しいぞ茂木。
 
 抽選は真ん中くらい。 
 やっと呼ばれて満を持してゲートをくぐったら、ビーだって。
 やだ、ポケットに車のキーを入れてた。何のためにコルセットはずしたのさ。
 お兄ちゃんにボディーチェックされてる間に2人に抜かされて入場。ざっと見回して上手4列目に座席を確保。前回より一列後ろだけど、その分センターステージの視野が広い。そしてここなら「森」の西野と「青春」の小嶋(真)が真正面に来るはず。

 周りを見回すと栄の法被を着たオジサンを遠方席に発見。稜巴さんのPTAだね、きっと。

 影アナはその小嶋(真)。
 今日も「熊本地震」ではなく「熊本地方を中心とした地震」と呼んだ。うん。それがいいよね。死者こそ出なかったけど、傷ついた人は熊本以外にもいるのだから。大分出身の指原先輩の立場もあるし。

 そして始まったオバチャ。凍っていた背骨の奥から熱い物が登って来て、いて、いててて。これは腰痛だちくしょう。

 暗闇に響く裏打ちスネア三連発から駆け上るストリングスとピロピロシンセ。おなじみユーロビートにださださ衣装の「ロマンス、イラネ」。
 80年代にディスコで踊ってたおっさんの黒いところを揺さぶるんだこれが。

 「そんな恋愛なんか必要ない」と小気味のいい啖呵。
 「ホントの愛に出会いたい」という心の底からの熱望。
 でもねえ、「イラネ」という言葉と裏腹に心は惹かれて行くんだ。それもダメ男に。

   Ah 親友さえ裏切れるくらい/Sad もう何も見えなくなってる

 タチの悪い恋愛も時には必要なんだけど、彼女たちはそれすらも許されていない。なあにが恋愛禁止令だっ。ナイショで恋しちゃえお前ら。その方がずっとずっと艶が出るって。間違いないって。
 下らない恋愛のその奥にあるかもしれない「ホントの愛」にたどり着けるのは、下らない恋愛で傷ついたことのある者だけだぞ。

 村山。
 昔っから好きですよ彩希さん。
 でも「シアターの女神」をモットーに掲げていたとは知らなかった。その言や善し。
 今日の主役だけあって輝いていた。公演出演連続記録が続く、文字通りのシアターの女神。
 でもそれって外仕事が少ないって意味でもあるんだ。くさるなよ、ゆいりんご。
 公演頑張ってて、みんなに「ゆいりーと言えばおバカ」と言われていて、誰かを思い出した。
 同期はみんな売れっ子って、実はそうでもないんだよね、13期。
 相笠雨宮岩立梅田大島岡田北北澤篠崎髙島長谷川光宗村山茂木森山渡邊。僕がすらすらと暗唱できるのは1期2期3期と13期だけ。
 オール13期の「RESET」、オンデマで見て痺れたんだよなあ、昔。頑張れ13期。
 でもちょっとみんな彩希のおバカのいじり方に愛が足りない感じ。ダメだよそれじゃ。

 川本。
 前回のお呼ばれでも出てたはずなのに記憶に残っていなかった。でも今日はやけに目を引いた。前回はあれだ、小嶋(真)があんまりよくてこの子とか見えてなかったんだ。
 すっきりときれいな顔立ちに似合わぬ無茶なダンスを時々している。よく見ると指づかいが丁寧で、ほんのりとしたエロティシズムを感じさせる。うーん、こういうのシアター来ないとわかんないよね。

 岡田(彩)。何かから解放されたかのような。クールでダイナミックでビューティー。
 あやかと言えばともだちが少なくて、「ぼっち食べ放題」の印象が強かったんだけど。っていつの話だそれ。今見直してみると、ああ、何て幼くて儚げだったんだろう、あやか。
 それがあのパフォーマンス。戸ヶ崎さんは最初っからダイナミックだって誉めてたんだよな、彼女。

 北川。
 初お目見えの稜巴さん。目鼻立ちはもちろん、立ち姿の美しいこと。こういうのを眼福って言うんだよね。あの目に見据えられてガチ恋歓迎なんて言われた日にゃ、防御力の弱い童貞諸君はメロメロだろう、そりゃ。
 稜巴さんと言えばカメラが嫌いでどうしてもフレームに入ろうとしなかった子の印象が強かったんだけど。っていつの話だそれ。
 AKBに憧れていて、この舞台に立てることが嬉しいって言ってた。栄の子なのは間違い無いのだけれど、シアターに馴染んでもいた。

 朝長。 
 博多の研究生公演以来お久しぶりの美桜さん。さすがにお姉さんになっていた。でもステージじゃ借りてきた猫みたいにおとなしい。心は博多に置いて来ちゃったのかも。西鉄ホールの新劇場の話をしてたし。
 
 西野。
 いつもの西野。見てるだけで気持ちが高揚してくる西野。でも昔ほど「放し飼い」感がなくなってきたかもだわ西野。
 目論み通り「森へ行こう」は真っ正面で見ることができた。前回より闇の深さが増したような。

 小嶋(真)。
 カッコカワイイ小嶋(真)。目論みがやや外れて、「青春の稲妻」では下手からスタート。途中上手にも来たんだけどね。フィニッシュは下手で見えなかった。でもやっぱりカッコカワイイ。
 
 高橋。
 ちょっとふっくらとしたかな?
 「スナックのママ」感が更に増してる。ボトルキープして毎日通っちゃうよ俺。
 端でターンをしてる時、誰かに微かなウインクしてたの見逃さなかったぞ。あれ直撃くらったらおっさんでもちとキツイかも。ああいう「女」の出し方のできる人は、子どもだらけのTeam では貴重。 

 岩立。
 相変わらずおきれいでした。
 今日は「バナナ」、ちょっとだけ見えた。
 言っちゃなんだが、二次元で見るとフツウなんだけど、現場で見ると時に息を呑むほどキレイに見えるんだなこれが。てかこれを見に通うわけだよ、シアターに。
 今日はおなじみの「はーやーい」を他のメンバーにパクられていた。

 いずりな。
 嘘だけどかわいかった。嘘だけどな。

 前回よかましだったけど、右の柱が邪魔っけで、ステージ中央のパフォーマンスが見えにくいのだけれど、そこはもうシアターの宿命。
 でもね、今日は壁に映ったシルエットを堪能しました。
 そういう見方もある。ライティングもちょっとは考えてくれているのかな。

 あっと言う間の2時間ちょっと。「生誕祭」があったのでちょっと伸びたけど、やっぱりあっと言う間だった。彩希さんのファンがとても頑張って、場を盛り上げていた。え、僕だってファンだよ、モチロン。
 腰の痛みは消えていた。というか、気がつかなかった。それくらい楽しかった。

 やっぱシアターだよな。
words

   追いかけていた君の宝は/手を伸ばしたちょっと先にあるよ
   つま先で立って背伸びしながら/あと1センチだけ頑張ればいい

 まあ傍から見りゃ見えるのだが、やってる本人にしてみればそれが1センチ先なのか1メートル先なのか、1キロ先なのか判らないんだもん、つらいやね。

 「総選挙」の季節。
 例年だったらみんなそれこそ「あと1センチ」のつもりで1票1票をかき集めてたわけだ。いや、1センチどころか、

   空に手が届くか? /踵を上げてみようか
   遠い山が/1ミリ低くなる

 1ミリだよ1ミリ。
 その1ミリかき集めて何とか這い上がろうとする、まあ健気というか、残酷というか、そういうイベントですわね、選挙って。
 今年はそういうのから解放されて楽っちゃ楽ですが、ちと寂しいというのもあります。

 それよっか問題は腰だ。
 腰が痛くて仕方ない。
 座り仕事なのだが、同じ姿勢の座位が続くと、大腿から腰が引き連れるように痛む。
 やれやれ。そういう年だとはわかってはいるのだが。ウエイトオーバーなのかな。
 中山式コルセットで何とかしのいでいる。現状。

 てなところに二月ぶりのご招待状が届いた。 

 「うちの子」Team 4、2回目の「夢死な」公演。各公演1回きりのお約束かと思ったら2回目のお呼ばれ。前回「また来てね」って言ってくれたさっほーが、空の上の誰かさんにお願いしてくれたのかしらん。

しかも村山彩希さん生誕祭。しかも稜巴さん(おいおいこれも一発変換したぞどこで憶えたんだお前)出演。あと美桜さん。実はこの人とは3年前に博多で会ってる。正直印象は薄かった。可愛い可愛いって評判だったんだけどね。
 さはさりながら。女子(アイドル)は別れて三日なれば即ち更に刮目して相対すべしってね。況んや三年をや。
 
 で、問題はコルセット。
 今のところこいつが手放せないんだが、メタルディテクターとの相性や如何。

 腰に巻いたまま入場して鳴っちゃったどうしよう。何のために樹脂製バックルのベルトを買ったのかわかんないじゃん。はいちょっと待って~って順番遅くなったらどうしよう。
 外して入場なら安全だが、人前でもう一度コルセット巻くのもなあ。かと言ってコルセット無しで2時間保つかどうか…
 年は取りたかねえなあおい。
 
 
words

   人の群れから/背中を向けて
   歩き出せばいい/一人

 これAKB村から出て行け、ってことですか?
 秋元先生ったら、またぞろ女の子集めて同じことやらかしてるじゃないですか。知ってますよ欅坂。
 何ですか 

   この世界群れていても始まらない

 って。こんな歌を、あんなかっちりした、しかも全くのお揃いの制服を着せて歌わせるなんて、まったくアンタって人は…

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 まるっきりセンターが見えない席に座っちゃったんで、見えない人がいっぱいいました。
 「Confession」なんかほとんど音席状態。岡田(奈)のステージを走り去るとこしか見てない。
 それでもいいんだっての受け入れちゃうのがいわゆる涅槃状態。
 これもまた魔法のうち。

 Team 4やっぱいいなあ。だいたいみんな昔から知ってる連中だし。Team感があるよね、Team 4。それは「干されの連帯」なのかも知れないけれど。
 シングル選抜あんまされないでしょ。
 公式ホームページの「セットリスト」では完全無視でしょ。
 この頁、以前はちゃんと初代Team 4の公演記録をちゃんと載せててくれてたんだけどね。リニューアルして後退しちゃってやんの。
 だから「夢を死なせるわけにいかない」ってのがすっごく切実。干されても負けんなよ、とつい感情移入してしまう。
 Team全体で公演を盛り立てようという、そういう意思が感じられるんだよね。ほら、センターが見えない代わりに端っこのメンバーがよく見えるんだ。そういうところでみんなが通じあってるっていうか。
 「青春の稲妻」から「生きるって素晴らしい」でなんか頭の鉢(チャクラ)がパカって開いた。

 西野。
 出てくりゃどうしても見ちゃう西野。「ロマンス、イラネ」では主に下手にいたんでほっとんど見えなかった西野。でもね、柱の陰から一瞬振り乱された髪が見えて、すぐにそこにいるってわかった西野。
 なんであんなに動けるんだ西野。一時として静かにしていられない西野。MCで他人が喋っててもずっと表情が動き続けている西野。
 でもあれだけ動いてても顔はまん丸なんだよなあ。それが不思議。
 でもガチャガチャしてるだけじゃないんだぜ。
 「森へ行こう」では真っ正面でした。
 シアターソングの中では異色で表現のムズカシさでは屈指の曲。彼女は緊張感を保ちながら、静から動、闇から光、束縛から解放、という歌の心をきっちり表現していた。目の前でこれが見られたということひとつであの席に座った甲斐があった。たとえ「バナナ」がほとんど見られなくても。

 小嶋(真)。
 この人とはこれまで5回シアターで会っているのだけれど、正直そんなに心に引っかかることは無かった。14期のいわゆる「三銃士」(「なまこ姫」、とも)の僕の評価は西野>岡田(奈)>>小嶋(真)だった。世間では小嶋(真)の方がもててるのがちょっと不満だった。
 でもこの日のこじまこ、よかった。すっごくよかった。
 「天使のしっぽ」のイメージでカワイイカワイイこじまこと思ってたら大間違い。カッコイイんだこれが。もちろんカワイイはカワイイのだけれど、こんなにカッコよく踊ってたっけこじまこって。しなやかでキレがあって、時にクールで。
 恋チュンダンス教室で「岡田と西野に挟まれた女の子」という印象しかなかったのにお前1年も経てば変わるよなあそりゃミュージカルもやったし。「青春の稲妻」なんか見惚れちゃった。
 握手が塩だとかなんだとか言われるみたいなんだが、パフォーマーとしてこれだけできりゃ文句ないない。というかステージ以外の彼女たちの言動なんか興味ないない(ウソウソ、ちょっとある)。

 岡田(奈)。
 ほとんど見られなかったけれど、短い髪がよく似合っていた。
 ねえ、まだ辞めないよね?

 髙橋(朱)。
 この人こんないい女だったっけ。
 かつて「目が死んでる」と呼ばれ、「僕の太陽」の頃は心のこもっていない笑顔を島崎と二人ふりまいていた高橋(朱)。「アイドルなんて呼ばないで」の島崎高橋(朱)のインチキスマイルツートップは、あれはあれでよかった。だって偽アイドルの歌なんだもの。
 「黒い天使(まなっちゃんまりやぎとやったヤツ)」とかみたいに、冷たい感じの表現が得意なのかと思ってた。
 アルカイックスマイルっていうんだろうな、あの笑顔。つくり笑顔なんだけど心がこもっていない、とはちょっと違うんだよな。何というか世の男どものバカさ加減を全部呑み込んで包むような笑顔。「しょうがねえなあお前ら」って言っているような。ちょっと叱ってもらいたくなるような。やっぱキャプテンになるだけのことはあるのかな。
 肉と脂のつきぐあいもいいんだよな。女らしくて。

 岩立。
「愛の毛布」での美しさったら。よくいる普通のべっぴんさんでは決してないのだけれどね。白いドレスで佇み、少しうつむいて自分のパートでないところの歌詞をつぶやいている姿は神々しいくらいだった。
 西野と一緒に納豆食べ放題に行ったんだって。なんかほっとした。
「うふふふ」という笑い声はあんましなかった。
「バナナ」は全く見えなかったけどね(しつこい)。

 飯野。
 初見。長身で手足がすらっと伸びて、動きにメリハリがあって、爽快な人。近野を見たときの印象に近いかな? べっぴんさんの部類なのだけど、そこはかとなくおばちゃん臭がして全然みやびじゃないのもいい。
 お見送り会ではひとりひとりにきちんと腰を曲げてお礼を言っていたのが印象的だった。

 村山。
 くさってなかった。よかった。がんばれ彩希。
 僕ね彩希好きなんですよ、素直に。

 大森。
 綺麗に育ってた。17歳ってのが信じられない安定の慈母感。

 野澤。
 うるせえw。もっとやれww。

 いずりな。
 嘘だけどかわいかった。嘘だけどな。

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 お見送りで、岩立と目があって「また来てね」って言ってもらった。
 みんなに言っているんだろうけどさあ、なんか嬉しかったよ。高校生かお前は。うん、ここに来ると僕こうなっちゃうんだよ。魔法の粉の吸い過ぎ。
 僕だってそりゃまた来たいよ。いつもそう思ってるのに、一公演一回しか来られないんだよ。
 もし知り合いだったら雲の上の誰かさんに頼んでよさっほー。
words

   夢を死なせるわけにいかない/あきらめるなよ
   高鳴る胸の鼓動を/もう一度

 どうやら雲の上の誰かさんが「Team 4の公演は1回は現場で見せて上げようじゃないか」と決めているのでしょう。これまでの「パジャドラ」「手つな」「アイドルの夜明け」は全部シアターで見ることができました。前身である13期+14期研究生主体の研究生公演「僕の太陽」は3回も見られたし。

 だからきっと「夢死な」公演も入れるんだろう、とは思ってたんです。
 でもねえ、待たせすぎだよおい。ぶつぶつ。

 前回のご招待から1年と半月。まあちょくちょく応募してない僕が悪いんだけどさあ。
 こっちだっていいおっさんなんだから、そんなに暇はないんだよぉ。

 でもまあいいや。当選した途端なんもかんも忘れてニヨニヨですよ当然ながら。

 折しも九州じゃ大変な震災が起こっています。
 きっと影アナで今度の地震のお見舞いもするんでしょう。
 うん、こんな時に呼ばれたということは、大人だったら大人にふさわしい募金をしろよ、という光宗大明神(懐かしいねどうも)の思し召しなんでしょうな。

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 ひまわり組によるオリジナル「夢を死なせるわけにいかない」公演の初日は2007年12月8日、折しも「アキバ枠」というちょっと色物臭の漂う扱いで、それでも紅白歌合戦の出場が決まった年末でした。
 シングルならば名曲中の名曲、「夕日を見ているか?」の頃。
 でも売り上げは、と言えば前曲の「僕の太陽」より落ちこんでしまって、メジャーデビュー以来グループ史上最悪の数字となってしまいました。このまま夕日が沈んでしまうのかしら、という嫌な予感が立ちこめていた日々だったはずです。もちろん当時僕はまだ彼女たちと出会ってはいません。
 そういう背景を思うと、この頃始まった公演での「夢を死なせるわけにいかない」という決意表明・マニフェストって、今よりずっと切迫して真摯なものだったのでしょう。

 それは秋元先聖先生からメンバーへのメッセージでもありました。今みたいに寝言そのまま書き連ねてても黙っててもミリオン行っちゃう状況とはわけが違う。
 このまんまじゃ俺もお前らもパンクしちゃうぞおいどうすんだ「うんこや」の二の舞はカンベンしてくれよ、と。このままじゃ終われねえだろ死んでも死に切れねえよ。あ、ソニーさんすいません次は必ず…

 このフレーズはまた、我らが松村香織先輩がかつて座右の銘としていた言葉でもありました。
 その頃先輩が「りこちゃん」だったのか「かりんちゃん」だったのかはわかりません。
 秋葉でも新宿でもそこそこの売れっ子だったとのことですが、客観的に見ればすでに薹の立ち始めたお年頃でした。
 それでもなお「アイドルになりたい」という法外な夢をこじらせながら日々を過ごしていた松村先輩の心に、「夢を死なせるわけにいかない」というマニフェストは深く突き刺さりました。
 その後の奇跡の物語は、ご存じの通り。

 まあ人生の折り返しをとっくの昔に過ぎてしまった僕にしてみれば、死なせてしまった夢の数の方が、叶った夢よりも遙かに多いわけよね。
 シアターに通ったりこんな駄文をものしているのも死んでしまった連中への供養のようなものなのかも知れません。

 それにしてもこの頃の先生の言葉、切れ味よかったよなあ。よく聞くともうすでに説教は多いのだけれど、なんでだかあんま気にならないんだよな。

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 秋葉着17時。
 
 1年ぶりのシアター。ダクト剥き出しの無骨さは変わらない。
 変わったのは募金箱。Team ごとのサインの入った箱はもうなく、真新しい箱が一つだけ。ささやかな気持ちを投入して係の人がが頭を下げるのだけど。
 「あの…」
 「はい?」
 「ステッカーとか…」
 「そういうのはありません」
 そうですかそういうのはもうありませんか。ステッカー100枚集めてVIP入場しようと思ったけれど、もうありませんかそうですか物欲しそうな顔しちゃいましたか。すいません。そういうつもりはありませんでしたけどね。ホントホント。でもちょっとばかしさびしい。

 入場のやり方も少し変わった。さあこれからいよいよ入場ですよ、というアナウンスはなく、いつの間にか指定席のお客が入っていく。
 抽選順を発表するのはお姉さんに変わってた。
 もっとも僕のレーンの番号をなかなか呼ばないのは変わってないね、どうも。

 12-3巡くらいで入場。
 センター立ち見はすでに3列。「席空いてますよ」の声にひかれ上手ブロック四列目に着座。だってもう年なんだもん。もんもん。ステージセンターはきれいに柱の陰。
 やれやれ。赤いラインは増えてもこの柱のうっとうしさはなんも変わらない。

 影アナはすぐにわかった変わらず元気ないずりな。
 思った通り今度の地震を受けて、お見舞いの言葉は少し変わった。
 この地震、気象庁は「平成28年(2016年)熊本地震」と名付けたけれど、彼女はそうは言わず「九州地方云々」と呼んだ。そう、まだこの地震は収まっていないし、被害は熊本だけに留まっていないのだから、現時点では「熊本」と名指さないのが正しい。そういう細かな配慮が出来る人がまだ運営にいるんだね。

 ライトが消えオバチャがかかり、僕はシアターに充満する魔法の粉を胸いっぱいに吸い込む。
 うん。この魔法は何も変わっていない。
words

   誰かのために/人は生きてる
   私に何が/できるのでしょう

 震災に遭われたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。

 ちょうど5年前に東北に大地震が起こった時、僕が直感的に思ったのは、AKBに繋がっていることはきっと被災地のためになるだろう、ということでした。もちろん僕個人でできることもたくさんあったし、実際に被災地に行くこともしました。でもそれとは別に、あの大変だった日々の中で、AKBに「うつつを抜かしている」ことは決して無駄ではないという予感がありました。
 彼女たちはそういう存在だと。秋元康はそういう男だと。
 その後の日々、彼女たちは僕の代わりに、計り知れないほど多くの慰めを被災地に届け続けて来ました。もちろんこれからも届け続けるでしょう。
 世の中の多くの人たちは知らないかも知れませんが、僕たちはそれを知っているし、そのことを誇りに思っています。

 そして彼女たちは、今度の地震で傷ついた方々の慰めにもきっとなるはずです。 

 10年史の中で、しのぶさんがいみじくもおっしゃっています。
 「AKB48のファンは人間愛になっていく」と。
 最初はメンバーの誰かへの疑似恋愛のような気持ちで始まっても、やがてメンバー全体を支えたい、という「愛」に変わっていく。AKBにはそういう不思議なところがあります。

 僕にも「推し」の子とか贔屓筋のチームはあるのですが、その背景にはAKBという運動体そのものに対する「愛おしさ」が存在しています。
 べっぴんさんの子。ダンスのうまい子。一生懸命の子。だらだらやってる子。楽しそうな子。いつも不満そうな子。なんだか輝いてる子。どうしてもくすんで見える子。
 一人一人はみんな違っていて、でもAKBという大きな家族。

 そしてその向こう側、もう一歩だけ向こうに「人間」というもっと大きな家族が見え隠れしています。そこまで大きいと一人一人の顔は見えなくなってしまうのだけれど、でも間違いなくそこにいて生きている「誰か」。
 そう、見も知らない誰かのために人は生きている。
 
 九州で今も震えている見知らぬ誰かのために、その人の見知らぬ僕がここで祈っています。
 もう少ししたら彼女たちがまた、見知らぬ者どうしをつないでいくことでしょう。
 さあ、シアターに行ってささやかな気持ちを伝えてきましょうか。
 今、1年ぶりにシアターへの招待状が届いたというのは、たぶんそういうことなんでしょう。
 5回目の3月11日だ。

 5年前の今日の朝、僕はたまたまこんな写真を撮ったんだ。
 


 ごらんの通り空は青く、ペンキ塗り立ての駅舎は白く輝いていた。
 
 ここはゴール。
 髙橋みなみと優子さんが会いたかったセンパイに会えないことを確認したゴールの駅だった。
 2人は電車が走り去ったホームで、ため息をついた。
 僕がAKBにはまりはじめた春だった。
 「会いたかった」というのは「でも会えなかった」をも含んだ歌なんだね、ということをようやく気づいた頃だった。どんなに会いたくても、会えなくなる時が来る。だから会うということは、僕らが普段考えているより、遙かに大切なことなんだ。
 
 暖かかったその日の午後。
 たくさんの水がたくさんの人々を、今生では二度と会えない場所に連れて去ってしまった。
 
 「会いたかった」。
 その日が最後になるのならば、せめてもう一度でもいいから、会いたかった。
 残された人々は、そう念じながら日々の生活を重ねていったに違いない。

--
 
 今日訪れたゴールの駅舎は、5年前とは違って冷たい小雨の降る中、5年分の風雪の跡が刻まれた姿で建っていた。



 正直、これくらい古ぼけてる方が、ヨソ者からしてみると「らしい」よね。

 5年の月日が流れ、人々は去り、忘れていく。
 傷が癒えるというのは、好むと好まざるとに関わらずそういうことの積み重ねである。

 ああ、AKBも変わったね。
 たまにホームページを覗くと、見知らぬ景色がそこにある。
 聞いたことのない賑やかなメロディーが奏でられているのだろう。
 ああ、変わったのは僕の方かも知れない。
 5年は長いよ。

 でも変わらないこと。
 彼女たちは、今でも会いに行き続けている。
 会いたかった人を失った人々に、会いに行っている。
 
 昨日も、今日も、これからも。 
 その愚直さ。
 その頑固さ。
 その真っ直ぐさ。

 そしてその変わらなさに、今年も心からの敬意を表します。

 (僕だって彼女たちに会いに行きたいんだよ、でも呼ばれないんだよ) 
words
Tags:「僕」の歌、School days

 青春なんて醜悪な言葉を使いたくはなかった。
 ポール・ニザンに倣うならば、それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
 輝かなければならない理由も、輝くことのできる資質もなかった。
 なんの不自由もなかったけれど。

   もっとじたばたしながら/やりたいことだけやればいい
   失敗したってもう一度やり直そう/何も恐れることはない
   遠まわりでも時間はある

 こんなことを僕に言う人は、その時いなかった。もっともこんなことを言われても、僕は聞く耳を持たなかっただろうけれど。

 眠れぬ夜を過ごす「僕」とその「僕」を励まそうとする「誰か」。
 その「誰か」は、きっと大人になった「僕」に違いない。
 そう確信するのは、これを書いている僕がもうすっかり年を取ったからだろう。僕がちょうどこの歌の「僕」であった頃の亡父の年齢を、今の僕はいつの間に越してしまった。
 世知は十分に積んだが、もう遠回りをする時間は残っていない。

 決して美しくはないし、痛みや苦悩に事欠くことはなかった日々。でも時折奇跡のような朝日を見ることができた。何とかやってこられた。
 今があるのは、その日々のおかげなんだろう。
 それが「栄光の日々」。

 ちなみに僕はKIIの「Glory days」が好きです。自信たっぷりのJではなく、向田のあの細くて危なっかしい声が、この歌には似つかわしく思えて。

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 磯原。「逆上がり」公演の時にはまるで棒のようだった子が、すっかりチャーミングな女の子になっていました。

 石田。艶やかな立ち姿は、アンフィシアターの時と同じだった。動きは決して激しくないのだけれど(というか全然無理がないので激しく見えないのだろう)、やはりこの人のダンスは綺麗だ。「鏡の中の僕は相変わらず」の所作の優雅なこと。「もっとじたばたしながら」の軽やかなこと。どんなに素早くターンしてもこの人は髪一筋も乱れない。

 荒井。全くの初見だったのだが、その長い手足と激しいダンスに目を奪われた。写真で見ると印象の薄い人なのだが、舞台の上での存在感は抜群だった。
 特に石田と組んだ「Glory days」。石田と対照的に髪を振り乱して全力で踊る姿は圧巻だった。
 栄ヲタは中西の面影を見るんじゃないかしら。

  後藤。ごりさという二つ名に似つかわしくないSKEには稀な(失礼)正統派の美少女。
 松村先輩の同期にしてまだ高校3年生。僕みたいなヨソ者が語るのは畏れ多い人(センパイやぞ!)である上に、いろいろとムズカシい風聞もあるのだが、今日初めて会った後藤は素直にステキでした。
 「雨のピアニスト」での妖艶さや「Innocence」での危うさ。
 今までちゃんと見てなかったけれど、この人の魅力は「嘘つきなダチョウ」とか「逆転王子様」ではなくて、こういうところにあるんじゃないだろうか。
 気がつくとこの人を追っている僕がいました。
 「美しくなったでしょう?
 うん。ぞくっとするほど美しかったよ。

 余談だけど「雨ピ」の後藤の手袋、逆じゃね? 上手の後藤は左手、下手の内山は右手に手袋ってのがお約束だったのでは。

  小石。この人も初見。ぱっと見目立つ感じの人ではない。どんくさいことやBBA(と言っても20歳)なことを歳下のセンパイたちにいじられていた。おっとりとしてちょっと「不思議ちゃん」みたいなポジション。
 ふうん、けっこう歳行ってから入った人なんだねえ、という印象しか残らずに終わると思いきや、終盤の「火曜日の夜、水曜日の夜」。
 「手をつなぎながら」公演としては異色な、Dark side of AKB。
この歌のはらむ虚無感や絶望感は、Team E(というかこの日のメンバーたち)から最も遠いところにあるだろう。たとえば磯原や青木も一生懸命表現をしようとしていたのだが、いかんせん彼女たちの持つ生き生きとした生命感は隠そうとしてもこぼれ出て来てしまう(ちょうど「命の使い道」で西野からこぼれていたように)。
 そりゃあしょうがないことなんだけどさ。
 そんな中、少なくとも僕の目にはたった一人だけこの歌に入り込んでいたのが小石だった。
 心の中に静かな絶望を抱えているような、そんな表情。
 うーん、何者だろうこの人。

 UC公演組のおしりん、れおな、なっきー、それぞれに成長したね-。
 ちょっとやっつけ感想だけど。

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 お見送りをしてもらって外に出ると、12月にしては寒くない。
 すぐそばのもつ焼き屋に飛び込んでビールをあおりながら、八丁味噌味のコンニャクとさっきまでの陶然とした時間を噛みしめた。ちきちょう、なんてあっという間なんだ。次は…
 おいおい、次もあるのかよ。また来ちゃうのかよ、俺。

 あんまりシアターが呼んでくれないと、栄の子になっちゃうんだからね!