5回目の3月11日だ。
5年前の今日の朝、僕はたまたまこんな写真を撮ったんだ。
ごらんの通り空は青く、ペンキ塗り立ての駅舎は白く輝いていた。
ここはゴール。
髙橋みなみと優子さんが会いたかったセンパイに会えないことを確認したゴールの駅だった。
2人は電車が走り去ったホームで、ため息をついた。
僕がAKBにはまりはじめた春だった。
「会いたかった」というのは「でも会えなかった」をも含んだ歌なんだね、ということをようやく気づいた頃だった。どんなに会いたくても、会えなくなる時が来る。だから会うということは、僕らが普段考えているより、遙かに大切なことなんだ。
暖かかったその日の午後。
たくさんの水がたくさんの人々を、今生では二度と会えない場所に連れて去ってしまった。
「会いたかった」。
その日が最後になるのならば、せめてもう一度でもいいから、会いたかった。
残された人々は、そう念じながら日々の生活を重ねていったに違いない。
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今日訪れたゴールの駅舎は、5年前とは違って冷たい小雨の降る中、5年分の風雪の跡が刻まれた姿で建っていた。
正直、これくらい古ぼけてる方が、ヨソ者からしてみると「らしい」よね。
5年の月日が流れ、人々は去り、忘れていく。
傷が癒えるというのは、好むと好まざるとに関わらずそういうことの積み重ねである。
ああ、AKBも変わったね。
たまにホームページを覗くと、見知らぬ景色がそこにある。
聞いたことのない賑やかなメロディーが奏でられているのだろう。
ああ、変わったのは僕の方かも知れない。
5年は長いよ。
でも変わらないこと。
彼女たちは、今でも会いに行き続けている。
会いたかった人を失った人々に、会いに行っている。
昨日も、今日も、これからも。
その愚直さ。
その頑固さ。
その真っ直ぐさ。
そしてその変わらなさに、今年も心からの敬意を表します。
(僕だって彼女たちに会いに行きたいんだよ、でも呼ばれないんだよ)