Commentarii de AKB Ameba版 -34ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

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Tags:B1、恋

 おいおい「禁2」だけで4までひっぱちゃったよ。
 だって語りたいことがいっぱいなんだもん。
 
 今回はまずB1の「禁2」について。

 B2では、大島(優)のポジションを柏木が、河西のポジションを仲谷が演じている。

 「禁じられた2人」柏木&仲谷

 衣装や構成は基本的に同じ。フィンガーレスグローブも、柏木は右腕、仲谷は左腕とK2を踏襲して正しい装着。

 歌い出し、表現力という点では大島(優)に一日の長があるものの、声自体は柏木の方が澄んでおり、音域もあっているようだ。

 DVDを見てておやっと思ったのは、柏木、右手の親指に指輪をしているのね。Thumb ring サムリングというヤツ。

 古来サムリングは権威、権力の象徴と言われている。さらに、女性の右手の親指のサムリングは、同性愛者であることを示している、とのもある。
 
 大島(優)に比べよりフェムな印象の強い柏木に、力強さと妖しさを加えようという意図であるならば、芸が細けーな、演出。もしも柏木が自分の判断でサムリングをしたのであったら、それはそれですごい。
 
 そして仲谷!
 誰だ! 仲谷を河西ポジションに抜擢したヤツは。
 
 …
 
 あんた天才だね。

 コレはもう嗜好でしかないのだが、河西よりむしろ仲谷の方にエロさを感じる向きも少なくないのではなかろうか? 
 清楚な顔立ち、そして眼鏡(しかもレンズ入り)。それでいてサビで腕のウェーブが体に伝わってくねらせるところなど妖艶さすら感じられる。

 大島(優)&河西に比べると表現があっさりとしており、もとの「禁2」の世界観とは異なっている点に不満がある人もいるかもしれないが、これはもう、別の世界と考えた方がいいのだろう。

 それを象徴するように、セリフも書き換えられている。

そばにいるだけで、胸のどこかがキュンとするんです。
こんな気持ちになったのは、初めてです。
私、何だか変ですね… キスして下さい。

 オリジナルのセリフがもう二進も三進も行かない恋の泥沼にはまった二人を表しているとするならば、このセリフは同性に惹かれる恐れと不安、それと同時に自分の中に芽生えた愛に気づいた喜びを表現している。

 パッと見清純風の仲谷が「キスして下さい」とはっきりと言い放ったとき、シアターには思わず感嘆の声がもれた(と思うよ。見てないけど)。

 これに呼応する柏木のセリフ。

私たちの気持ちは、みんなにはきっと 
わかってもらえないでしょう、
でも、後悔なんかしていません。眼鏡を取ってもいいですか?

 も、オリジナルの「相対死」を予感させるようなものはなく、「眼鏡を取ってもいいですか」=「私たちの関係を、もう一歩進めてもいいですか」というように、前向きのものになっている。
 ゆきりんとなかやんは死なないで済みそうだね、どうやら。

 表現者やチームのカラーや特徴を考えると、このような変更は表現者にとっても楽曲にとっても幸せなことなのではなかろうか。
 何でも先輩チームと同じやり方がいいってもんじゃないよね(←でも演出がちょっと違うと「そこは違うだろうと突っ込む癖に)。

 そうなると気になってくるのは他のコンビでの演出。

 ソースが入手可能なものについてチェックしてみた。

 日本青年館2006第2公演、高橋&中西による「禁2」。
 大島(優)ポジションの高橋は、定跡通り右手にグローブ、河西ポジションの中西は左手。いいよーいいよー。これが正しいのよ。
 Team Kの楽曲を、先輩TeamA がどう料理するか、という興味のつきなかってであろうコンサート。
 結論から言うと、高橋&中西が見せたのは、大島(優)&河西とは異なった愛の形。
 オリジナルは「姉妹」っぽさを感じるのだけれど、高橋&中西は「成熟した対当の二人の愛」。だって河西ポジションの中西の方が高橋より大きくて、最後に抱き合うところではわざわざ中西が一段下にいるんだもの。それでも当時のエースを投入して貫禄を見せつけた感じ。
 惜しむらくは、「どうぞ」を二度繰り返して半音上がるところで、お互いを初めて見つめ合うフリが無かったこと。だってあそこのフリ、好きなんだもの。
 ちなみに大島(優)が囁いてみせた転調後のhiC#の「まま」を高橋はファルセットでクリア。

 JCBホール2008、柏木&小野による「禁2」。
  柏木はちゃんと右手にグローブ。だが小野も右手だ。
 だーかーらー、違うんだってばー。
 「どうぞ・どうぞ」の見つめ合いは出来てます。

 パリ2009、松井R&河西による「禁2」。コメントによれば練習風景とのこと。セリフはフランス語。グローブはちゃんと右、左。松井Rは大島(優)のフリを忠実に再現しようとしているが、少々柔らかさに乏しいと言うべきか。棒が突っ立っているように見えることもあった。松井RのhiC#は地声だと思う。

 横浜アリーナ2010第3公演、前田&なちゅによる「禁2」。
 グローブも何も、セーラー服を着ての「禁2」。
 なちゅはパロディめかして歌っており、会場からは笑いもこぼれているのだが、前田はびっくりするほど真剣。大島(優)とはまた違った表情を見せている。顔を見つめ合うシーンも前田は真剣。
 ほんっと前田って、不思議っていうか面白いっていうか、一筋繩ではいかないっていうか。hiC#はファルセット。

 代々木体育館2010第2公演、高城&指原による「禁2」。
 そもそも高城はフィンガーレスグローブをしていない。その代わり本来は左の上腕につけるべきアームバンドを、ナゼか右手の前腕につけている。ヲイヲイそれ付けるとこ違うよっ。誰か教えてやれよっ。
 指原はと言えば、本来左手に付けるべきグローブは右、アームバンドは左上腕。
 違う、何もかもが違ーう。これが指原クオリティなのかっ!
 見つめ合うシーンは出来てるが、なんだか決められた動きを一生懸命やっているようで情感に乏しい。指原、声はいいんだけどなあ、動きがぎこちないなあ。
 高城は表情も所作も声もいい。hiC#も地声で軽々歌ってるし。余談だが「てもでも」の高城を見てもそう思ったのだが、この人も天才? 

 SKE48 愛知県芸術劇場大ホール2010、大矢&石田による「禁2」。グローブはちゃんとしている。大矢は何とか歌と踊りを憶えました、というレベル。でもhiC#は余裕で地声。石田は憶えるのはクリアして、その後何とか表現しようとしている感じ。

 「Blue rose」といいい「禁2」といい、K2はいろいろ見比べたくなるユニット曲が多いねえ。
 見比べて思ったのは、Kの大島(優)&河西によるオリジナルのスタンダードに対し、Aの高橋&中西、Bの柏木&中谷は少し違う解釈で成功している、ということと、オリジナルを模倣しようとしてもそれを越えることは難しいんだなあ、ということ。一番オリジナルに迫っていたのは、前田と高城かなあ。
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Tags:B1、恋

 「禁じられた2人」は見れば見るほどいろんなこと書きたくなっちゃうんだよねえ。
 今回はステージについて。

 オリジナルは言うまでもなく、K2。まずはここから。

 ステージのセリは下手奥が一番高く、そこから上手、舞台前に向けて下がっていく。
 白のロングドレスを着た大島(優)が、イントロの間下手奥の最も高い場所に向かってゆっくり登っていき、振り返って歌い出す。
 マイクは左手に持ち、右手にはフィンガーレスグローブ、左の上腕にはアームバンドをつけている。

 秋元康が「すごい」と評した大島(優)の表現力がのっけから全開。目は哀しみを湛えながら表情はやや微笑んでいる。「泣きながら微笑んで」。
 ただし歌がうまい、というわけではない。音程はややぶれるし、声はかすれ気味。でもそれが何だってくらい歌に入り込んでいて美しい。
 
 上手前方、舞台の低いところに河西、大島(優)と違った甘い声。マイクは左手、フィンガーレスグローブも左手で右腕の上腕にアームバンド。
 衣装はピンクのワンピース、短いパニエスカート(でいいのかな? こういう形状のスカートは)から見える足がきれい。

 二人ともとてもフェミニンな姿なのだが、ロングドレスの大島(優)は大人らしさを、パニエスカートの河西は若さを表現していて対照的。

 二つで一組のフィンガーレスグローブを一つずつ使っているのは、二人の絆を表しているようでもある。

 二人は歌いながら舞台上をさまいながら、でもなかなか近づかない。それはまるで愛しあいながら結ばれない二人を象徴しているかのよう。
 近づかないどころか、二人は目を合わせることもほとんどない。

 そしてサビ。

どうぞ/叶わないこの恋を
許してね/胸に秘めたまま

 この「まま」の部分を、大島(優)はため息を吐き出すように囁く。
 恐らく大島(優)の音域的にぎりぎりのところなんだろう。メロディに乗せないことで結果的に切ない情感にフィットしている(スタジオレコーディング版でも同様の歌い方をしている。なおAX2010では「まま」の前の「ま」までメロディに乗っている。音の高さでいうと、hiBかな、ちょっと自信ないけどここが彼女の最高音なのかもしれない)。

 サビの部分で二人は腕をひらひらとさせてウェーブを踊るのだが、直前で河西はマイクを右手に持ち替え、フィンガーレスグローブをつけた左腕でウェーブを作る。大島(優)もやはりグローブをつけた右腕で同じ所作。

 そうすると舞台上では二人のフリは鏡面対称となる。下手に大島(優)、上手に河西。どちらもウェーブを踊るのはグローブをつけた腕。
 わざわざ大島(優)が右腕に、河西が左腕にフィンガーレスグローブをつけているのは、このウェーブの所作をより美しく見せるために違いない。
 
 この後の河西のセリフは、ま、正直なとこ、ちょっと棒読みっぽいの。

 第2スタンザ、AメロBメロと続き、やはりサビのところでは鏡面対称となるようなウェーブ。

 間奏の間に二人は舞台中央に。やっと二人寄り添ったと思ったら、何故か背中合わせで歌い、すぐに離ればなれになってしまう。

 そして最後のサビ

どうぞ/どうぞ
叶わないこの恋を/許してね

 二度めの「どうぞ」で音程が半音上がり、その時離れた二人は振り向きやっとしっかりと見つめ合う。今まですれ違っていた分まで心を通わせようとするように。
 
 大島(優)の最後のセリフの間に河西は大島(優)に近づき、最後は手を握って終わる。この時も二人は目を合わせないまま暗転。あの刹那見つめあえたら、それでもう二人の間で確かめることは何もない、と言わんばかりの幕切れである。

 うーん、何度見ても練り込まれたコリオグラフだ。

 大島(優)の女優魂も炸裂して、幕切れの「ゆうこー」という声援が大向こうの掛け声のようでもあった。

 一方、「エロい」と評された河西だが、DVDのソースからはそれほどの「エロさ」は感じられなかった。たまたまDVDの録画日がそうだったのか、またはD「何言ってるの、現場ではエロエロでもうたまんなかったんだよ」ということなのかも知れない。ライブってのはまさに「生きてる」ものだから。

 ところでAX2008、「禁2」は堂々8位に選ばれた。当時いかに人気の曲だったかがわかる。
 それを見返したところ、あれ? 優子さん、グローブ左手につけてる。逆だよ逆、これじゃウェーブの時、鏡面対称にならないじゃん。

 AX2009ではどうか。大島(優)はちゃんと右手にグローブをしている。ほ、これでよし。
 
 さらにAX2010でも確認。右手。やっぱ2008だけ間違ったのかしら。

AX2011は… 圏外にもれちゃったのね、「禁2」。


 うわあ、B1についてと、他のコンサートの「禁2」についても書きたかったのに。何かまだまだ続きそう。
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 今さらながら「最下層アイドル」落手読了。くっそーまた「涙」を買っちまった。ますます深みにはまっていくよー。
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Tags:B1、恋

 秋元康は、AKBプロジェクトのしょっぱなから、こう言い放った

ねえ この世にはオトコ・オンナ・ゲイしかいないの

 ゲイというのは男性同性愛によく使われる言葉であるが、現在では女性同性愛も含む用語として使用されている。

 秋元が詞を書くとき、どれくらい真摯に「ゲイ」のことを考えているのかはわからない。しかし最初に

そんな簡単な答えくらい/私にもすぐわかるわ

 と言われた日にゃあ、「はい、わかりました」と言うしかないじゃないの。

 だからAKBの歌詞を読み解くときには、男女の恋愛の歌、と軽々に決めつけないようにしようとは思っている。前曲「Blue rose」みたいに。
 佳曲の多い「『僕』の歌」についても、これまで「僕」を便宜的に男の子の一人称として解釈させて貰っているが、FTMかも知れないじゃんと言われれば、それも成立する曲は少なくないだろう(実際「僕」が女の子とすると「もののあわれ」が深まる曲も少なくない)。
 
 という前提に立ってみるまでもなく、この曲は

罪は/女同士

 と明示しており、女性同士の悲恋を歌っている。俗っぽく言えば「百合の歌」。

 叶わぬ恋が切ないのは異性間でも同性間でも同じだろうが、同性の方が障害が多いだろうことは容易に想像がつく。それを「罪」とする文化もあるし、当事者自身がそれを「いけないこと」として自分を許すことができないことも少なくないだろう。
 
 そのような困難にも関わらず、または困難の故に同性同士の恋愛には、当事者以外をも惹きつける魅力がある。
 ぶっちゃけて言うと、「ノンケもホモは好き」。ヘテロセクシュアルの人もホモセクシュアル(女性同性愛も含む)が気になって仕方ないのだ(それは時に当事者にとって迷惑なことでもあろう。ホモフィリアとホモフォビアはコインの裏表のようでもある)。

 この曲を書いた理由について、秋元康は「河西はエロい」「優子の表現力はすごい」という認識があったからだと述べている。でもそれは理由の半分でしかない。

 「河西のエロさ」と「大島(優)の表現力」を充たす器として彼が「百合の歌」を書いたもう半分の理由は、恐らく「人々がそれを見たいと欲する」と秋元が確信していたからだろう。
 シアターにつめかける客のほとんどはヘテロセクシュアルで、性的にはマジョリティに属する男性がほとんどだろう(うーん、多少ペドフィリックな傾向あり?)。だが秋元は河西と大島(優)の演じる「百合」の世界に客が魅了されることをわかっていた。なるほど「ノンケもホモは好き」。
 
 「”生きる”ということは"目撃する"ということ」と秋元康は言う。ならば人々が目撃したいと欲することを見せ続けることこそが彼の仕事。
 そして事実、人々は「禁じられた2人」を見ることを欲した。どのステージでも大人気だもんね、「禁2」。

 よく考えてみれば、AKBというのはとても「百合」に親和性の高い環境の集団だよね。
 思春期のきゃわいい女の子がたくさん集まり、恋愛=異性愛禁止の建前で日夜長い時間を共にし、感動を共有してるんだもの。
 高橋FTM説(または男性説)とか、大島(優)性欲のオバケ説とかがまことしやかにささやかれるのもむべなるかな。

 「禁じられた2人」は、そういう意味では、誠に場所と人と時宜を得た演目ではありました。

 この項まだ続きそう。

 
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Tags:恋

 総選挙も終わりましたので、通常営業に戻りましょう。

 K2のユニット曲3曲目。「企画物」が多いK2の中でも異色の1曲。
 異色である理由のひとつは、これが女性同性愛をテーマにした曲であるということ。前曲の「Blue rose」もそういう聞き方が出来るよね、と書いたばかりだが、この曲の表現はより直接的で、百合の人のハートもみごとにキャッチした。
 
 異色であるもうひとつの理由は、明示されてはいないし、秋元康も決してそうだとは口にしないだろうが、これが心中を歌った曲であるということ。自殺に対して一貫して否定的な立場を示してきた秋元にしてはとても珍しいことだといえる。

 どちらもたくさん考えることがあるのだけれど、今回は後者について。

木立に朝もや/まるで 誰かの吐息
地図にない湖は/まだ 水が眠っている

 同性ゆえに禁じられた二人の恋。
 夜の森をさまよった二人が夜明けにたどりついたのは、朝もやが煙る湖。静かな水面はまるで鏡のよう。たとえばこんな風景

 そこは地図にない湖。行こうと思っても行くことの出来ない場所。いつか来たいと思っていたのに、ずっと来ることが出来なかったこの場所に、二人はとうとう来ることができた。

 どうして地図のない場所に来ることができたのか?
 それは二人が今、ある世界から別の世界へと移ろうとしているからだ。
 別世界。それは現実世界に対して「異界」という言い方をすることもある。

 現実世界と異界との境には目印がある。だったりだったりトンネルだったり巨木だったり。

 この歌では湖が境界の目印になっている。

岸辺のボートは/ロープに繋がれている
世間から逃げるなら/遠い世界へ旅に出る

 ロープをほどいて岸を離れ、ボートの行き着く先は遠い別世界。そこは文字通り「彼岸」。この世ならぬ場所。

 この世では結ばれることの出来なかった二人が、「残酷な運命」の命じるまま手に手を取り合って歩む「道行き」。美しく切ない歌詞は、近松門左衛門を思い起こさせる。

この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ

 ご存じ曽根崎心中 お初徳兵衛道行き天神森の段。

 秋元は昔っっっから「若者の自殺」を食い止めようという意図をもって詞を書いてきた。

 AKBというチャンネルを手にした今も、彼は折に触れ命の大切さを訴えてきた。

君は鳥じゃない。/大地に足をつけて歩いて欲しい。
つらいことがあっても、その先には未来がある。
時はいつだって、記憶の消しゴムだから

 でも禁じられた恋に身を滅ぼす「心中」の中に、人々を魅了する「文学的美」があるのも事実。

 普段は「あきらめるな」「くじけるな」と言い続けている秋元が、その美にほんのちょっぴりよろめいて見せたのがこの曲。

 でも死んじゃダメだぜ。
AKB48 22ndシングル選抜総選挙についていくつかのこと。

 Commentarii de AKBと名乗っていて、選挙の話題に触れないわけにはいかないだろう。
 
 その1
 AKBについては全く興味ないはずの妻からメール。
 タイトル「前田当選したね」。本文なし。
 うーん、違うようなビミョウにあってるような。

 その2
 これだけ上位に票が集中すると、むしろ下位のメンバーに投じた方が、投票のしがいがあるね。正直A面のセンターは、大島(優)でも前田でも、どっちでもいい。
 それよりエビカツみたいに選抜が26人だったらよかったのに。
 前田が不動のセンターなら、不動の26位の人のために。

 その3
 内田石田は「チャンスの順番」を生かせなかったと言わざるを得ないのかな。

 その4
 初選抜がいなくてこのままじゃ先が心配、との意見もある。
 「その時は秋葉原に帰ればいいんだ」とは秋元御大の至言。たかがシングル曲の選抜じゃないか。それよかTeam4のセットリストはどうなるんだろ、と懸念するのが吉。

 その5
 前項にも関わることだけれど、
 「秋元先生! 公演をやらせて下さい!
 SKEで恐るべしは松井Jのみにあらず。いつの間にか頼りになるメンバーが育っていたというわけだ。
 「ここにいたこと」落手。

 公式には明日発売ってことになっているが、Amazonくんの奮闘努力のお陰さま。

 前アルバム「神曲たち」から1年とちょっと、この間AKBは明らかにティッピングポイントを超えて、巨大な数の人々をその引力圏に吸収した。僕もまあ、その一人ですけどね。

 最新シングルが売り上げ記録をたたき出したとか、第3回選抜総選挙だとか、前田主演映画公開とか、話題には事欠かない中「ここにいたこと」は発売された。思いの他ひっそりとした印象のリリースだった。

 「ここにいたこと」。
 「ここ」がどこであるのかはさておき、秋元康にとってそこはすでに過去形で語られるべき場所のようである。

 「ここにいたこと」。
 リョコウバトを絶滅させる勢いのアイドルグループのアルバムにつけるタイトルじゃあないよな。

 「ここにいたこと」。
 たとえば1年後、「ここにいたこと」はどのような感慨を持って語られるのだろう。
 「ここ」は一アイドルグループが到達し得たひとつのピークの高さとして記憶されるのだろうか。
 それとも「ここ」もAKBにとっては単なる通過点でしかなかったと言われることになるのだろうか。

 わかっていることは、少なくとも秋元康は「ここ」に留まるつもりはないということ。

雲は流れて/どこか遠くへ…
空の広さを/教えてくれる

 そこがどこかはわからない。
 ただ、「ここ」ではない、どこか遠くの広い広いところ。

 必然と偶然と幸運の導きと意思の力によって辿り着いた「ここ」で、みんなは一緒に泣いて笑って夢を見た。でもその果実を受け取る場所は「ここ」ではない。

みんなと見ている夢は/未来で受け取るように
自分のアドレス 探そう

 歌手でも女優でも声優でもラジオパーソナリティでも有名人でも、ひょっとしたらAV女優であってもいいから、その人にとっての「約束の場所」を見つけて欲しい。
 
 秋元「桜の木」先生はそれを切に願っているわけだ。でも、

卒業してから/どこを歩いてても
永遠に/覚えていて
ここにいたこと

 彼にとっても、カタチはどんなに変わって行ってもAKBはかけがえの無い宝物なんだもの。
 記憶の片隅にでもいいから、しまっておいてね。


追記:チーム4結成。確かに秋元は、もうすでに「ここ」にはいないってわけだ。
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Tags:B1、AX

 どれくらい前かわからないけれど、忘れてしまうほどの昔ではないある夜のこと。
 「私」と「貴方」は一夜の恋をした。まあこう書けばきれいな話だが、要するに1回こっきりのセックス。
 偶然か必然か、「貴方」は「私」と出会う。ドラマツルギー的には「貴方」が「私」を探しもともめていたとするのが吉。
 
 とことろでこの曲の「私」はアダルトでマニッシュでクールな女性ってことでいいんだろうけど、この「貴方」ってどんな人だろう。
 
 この相手は、かつて「私」と

白いシーツの上で少年のように
何かに怯え 祈って/愛を求めた

 ってことがあった。
 「少年のように」ってことは「少年」ではない。
 じゃおっさん? ちょっと興ざめだよね。
 おっさんが「少年のように」ベッドで振る舞うってのは、この文章を書いてるおっさんに言わせてもらえれば「あり」なことなんだけど、まあ歌にするような絵ヅラじゃないわな。

 もちろん「少年」ではないけれど「おっさん」でもない、いい年格好の「お兄ちゃん」がお相手でもいいんだけど、僕のイメージは、この相手は女の子なんだよね。
 
 つまりRoseでありながらLillyでもある、と。

 「企画もの」の多いK2でも、この次の曲「禁2」は女性同性愛を歌って話題騒然だった。でも秋元は「男女」だけが愛のカタチではないことを、A1の最初っから言ってる。

ねえ この世にはオトコ・オンナ・ゲイしかいないの

 ってね。

 だから

どこかで 貴方を抱いた気がしてた

 ってのも、「私」がタチ(攻め)だったとするとすんなり読める。もちろん男が「抱く」、女は「抱かれる」というのはただの固定観念であって、女が男を「抱く」ことがあってもいいのだが。

 ちょっと先の詞を見ると、

私のことを/愛したのは
一瞬の本能の迷い

 ともある。
 男が女を愛しちゃう(というか一発やっちゃう)のは、「本能の迷い」でなくまさに「生殖本能の命じるまま」だよね。
 一方生殖本能とは違うところで生まれちゃうのが、同性同士の愛。まさに「迷った本能」。
 
 というワケで、Blue roseのお相手は、女の子に(当ブログでは)決定しました!

 かつて抱かれたことのある女の子がようやく「私」を見つけ出した。
 「私のこと、覚えてる?」
 覚えてない。顔も、名前も。
 でもそのか細い肉体には覚えがある。

 女の子はもう一度あの夜起きたことを確かめたかった。でも「私」は拒絶する。
 奇跡は一夜限りのもの。繰り返すことはありえない。
 それは青いバラがこの世にありえないのと同じ。

 ひゅーひゅー。かっちょいいー!
 
 まあ深読み妄想炸裂なのは百も承知なのだが、そういう多層的な読み方が出来るのも、よき物語の証拠ってわけ。

 でも「青いバラ」って出来ちゃったのね。 
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Tags:B1、AX


 前曲で「青春ガールズ」公演の全員曲が終わり、ここからはいわゆるユニット曲が続く。
 それもちょっと「企画もの」の匂いが強い曲。これらはK1でのメンバーのパフォーマンスをを見て、狙ってつくったもの、と秋元は語っている


 いわば、Team Kのそれぞれのメンバーのためのオーダーメード。Kが演じてはまらないはずはない。


 ってことは、これを最初のセットリストにされちゃったTeam Bはちとお気の毒だった。全員曲はともかく、ユニット曲はやりにくかったろうなあ。


 特にこの曲。

どこかで 貴方を抱いた気がしてた/鎖骨のかたちを知ってる

 この歌い出しには、アダルトで、マニッシュで、刺すようなクールな目の女性がどうしても要る。すなわち秋元(オ)。

 
 CinDyも頑張ってるんだけどねえ。アダルトなんだけど、マニッシュではない。何よりも目がカワイイ。きりっとした目をしようとしてるんだけど、クールじゃない。「CinDy怒っちゃやーよ」と言いたくなっちゃう。それに心のきれいな人には頭の上にティアラが見えちゃうし。


 この曲はファンだけではなくメンバーにも人気が高い。「機会があったら是非やってみたい」という声も多い。そのせいかどうかいろんな組み合わせで演じられている。


 もちろんオーダーメードだけあって、何と言っても本家(秋元、大堀、増田、宮澤)が一番カッコいいのは仕方ないが、他の組み合わせにもそれなりの味わいがあるよね。


 井上、浦野、米沢、渡邊:B1のBlue rose。CinDy的にはドキドキだったそうな。公演では見せるべきではないものが見えてしまったこともあった由。


 大島、小嶋、前田、峯岸:日本青年館2006第2公演のBlue rose。Team Kの曲をTeam Aが歌う、という趣向だったのでこういう面子。なんかかわいい歌になっている。マイクスタンドキックもそおっとそおっと蹴っている感じ。


 秋元、柏木、佐伯、宮澤:日比谷野音2008のBlue rose。雨の野音、ステージもウェットな状態。ツインタワー&てもでも。マイクスタンドキックがぬるいのは足下が不安定なためか。


 大島、河西、小原、篠田:JCBホール2008のBlue rose。公演タイトル「シャッフルするぜ」通り、ずいぶんシャッフルしました。河西が蹴ったマイクスタンドが、客席に落ちかけた。


 小野、高橋、松井J、渡辺:日本武道館2009第1公演のBlue rose。平均年齢のとても低いBlue rose。松井Jの眼差しの鋭さもよいが、渡辺も心に棲まわせている鬼が垣間見えて可。

 
 秋元、大堀、柏木、宮澤:日本武道館2009第2公演のBlue rose。増田が「体調不良によるレッスン不足」という理由で「支え」だけ出演した公演。増田のポジションを柏木が歌っている。


 秋元、菊地、峯岸、宮澤:横浜アリーナ2010第1公演のBlue rose。峯岸の成長が著しい。


 順位を年々落としてはいるものの、この曲はAXで4年連続選ばれている。K2の曲でAX で生き残っているのは、これと「転がる石になれ」だけ。
 いずれのステージも演じているのはオリジナルのメンバー。


 AX2008:第23位。大堀が黄金水着を披露した衝撃のステージ。


 AX2009:第50位。大堀のマイクスタンドキックが激しくてイカす。秋元(オ)の次曲フリもね。


 AX2010:第52位。やっぱりキックは大堀だね。


 AX2011:第90位。ずいぶん順位を落としたものである。来年あたりは圏外になってしまうのか。まさに

忘却は 愛しさの出口

 ということなんでしょうか。


 おまけ
 DiVA :メロウなアレンジのBlue rose。これだとマイクスタンドは蹴れないよね。大堀がいないのは残念。
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Tags:B1、「僕」の歌、Ambition、天文

 まあ、どの曲も秋元康からのギフトであることには変わりないのだが、その中でも特にメンバーへダイレクトに何かを注入しようとする詞を書くことがある。いわばメンバーへのメッセージソング。

 A1では、「桜の花びらたち」。
 デビューシングルでありながら「君たちはここを卒業して行かなければいけないのだよ」というメッセージをこめた曲。

桜の花びらたちが咲くころ/どこかで誰かが きっと祈ってる
新しい世界のドアを/自分のその手で開くこと

 秋元先生にはいろんな可能性のドアが見えているし、それを指し示すこともできる。でもそのドアを開けてあげることはできない。
 秋元に最後にできるのは、彼女たちが自分の力でそれを開けられるよう祈ることしかない。

 A2にはそういう曲は見当たらない。あえていえば「未来の扉」に、「やるなら死ぬ気でやれよ」というお説教を聞くことはできる。

 そしてこの曲。
 昨日書いたように、この曲は「発展途上のアイドルが歌う、発展途上のアイドルを励ますヲタの歌」。

 ここでいうヲタとは、もちろんステージに声援を送っている客のことなのだが、同時にこの詞の背景にいる、秋元康その人のことでもある。
異論はあろうが、世の中でAKBが一番好きなのは秋元本人であり、彼こそが「キングオブAKBヲタ」と言っていいと僕は思っている。
 じゃあどうしてあんなことやこんなことをして、メンバーを泣かすんだよ、という声もあるだろう。思うに、彼は自分のやったことについて「ひっでえことするなあ」と思いながら涙しているのではなかろうか。

 「君が星になるまで」は、拙ブログの分類上「『僕』の歌」ということになっている。歌の主人公が「僕」である一連の楽曲に付けられるTagなのだが、この曲は他の曲とは様相を異にしている。
 他の曲の多くが、切ない恋を歌っているのに対し、この曲の「僕」は、激励はするものの明らかな恋愛感情を発露していない。そもそもこの曲は、一人称の「僕」なんかなくても成立しそうである。

 事実、第1スタンザに「僕」は出てこない。第2スタンザのBメロ2に入って、一度現れるだけである。

君が星になるまで/僕は空見上げ 信じているよ
祈りが永遠より長くたって…

 なんかずっと一人称を抑制してきていたのが、我慢しきれずに飛び出しちゃったみたいね。
 それでも他の「『僕』の歌」では、自分でも手に負えない思春期の自我を象徴するようにくどくどしく「僕」がどうしたこうした歌っているのだが、それに比べるとずっと控えめ。
 
 そりゃそうだ。この歌の「僕」は、思春期なんぞとっくの昔に通り越して、酸いも甘いも苦いも旨いも味わい尽くしたおっさんなんだもの。

 そう、メンバーもシアターの客も、この「僕」が秋元康であることをよく知っていた。
 おっさん、もう少しオブラートにくるんだ歌詞が書けないのかよ。熱くなりすぎ。そう思う客はいなかった。熱くなきゃヲタじゃないもんね。

 K2がシアターにかかったのが2006年の7月。その直前の6月9日、AKB48はミュージックステーションに初出演した。

憧れていた一等星が/近くに見える
君に輝いて欲しい

 Mステでメンバーが近くで見た「一等星」って誰だったのだろうね。

 いずれにせよ、秋元は彼女たちが一等星たちに並んで光り輝くことを誰よりも望んでいたし、そうなると信じていた。たいしたおっさんである。
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Tags:B1、「僕」の歌、Ambition、天文

「青春ガールズ」の3曲目。
 オープニングのアカペラから、この曲まで制服のまま歌い抜ける。

 とりあえずつけてみたが、もうちょっとしっくり来るTagはないだろうか、と思案中。

 この曲を雑駁にサマライズするならば、「星(スター)を目指す発展途上のアイドルを励ますファン(ヲタ)の歌」。
 「君がスターになるまで、応援し続けるよ」という内容。

君が星になるまで
夢をあきらめない強さを持て!
煌めく可能性が見えるはずさ

 こういう歌を、当の発展途上(当時)アイドルに歌わせるところが秋元らしさ。別冊月刊カドカワで山下剛一が、「メタ性」「自己言及性」という用語で指摘している秋元ワールドの特徴のひとつ。

[メタ]≒[自己言及]とは、簡単に言うと、その作品の中で、その作品自体について言及したり説明したりする感じ。

 
 懐かしいところでは、なんてったって、「アイドルが歌うアイドルの歌」。

恋をするにはするけど/スキャンダルならノーサンキュー
イメージが大切よ清く正しく美しく/なんてったってアイドル

 ね(全く何も参照せず正確に歌詞を引用できた自分にびっくり)。

 秋元康先生御年29歳の御作。

 「アイドルがあっけらかんと歌うアイドルの歌」に、みんなびっくりし、夢中になった。
 なお、小泉今日子は、「アイドルをアイドルたらしめてる虚構のアイドル性」を歌ったこの曲をスプリングボードにして、「アイドル小泉今日子」から「アイドル以外の何ものかであるコイズミ」に変貌して行った。

 それから四半世紀(だってよおい)。秋元の詞の自己言及性は、さらなる進歩を遂げている。


 すなわちこの曲では、「発展途上(当時)のアイドルが歌う、発展途上のアイドルの歌」ではなく、「発展途上のアイドルが歌う、発展途上のアイドルを励ますヲタの歌」というひとつ捻った構成になっている(のでTagに迷う)。


 舞台上のメンバーを応援している客席からの応援歌を当のメンバーが自分たちで歌う。
 うーんと極端な要約をすると「フレーフレーあ・た・し」なわけ。


 一歩間違えればおいおい何だよそれ恥ずかしいなあ、となってしまう危うい構造。


 たとえばさあ、誰がいいかな、最近の売れっ子で言うと、Exileがこんな歌を歌ったらどう?

黒い顔して/ぐるぐる回る
がんばれーかっこいいー/追い出されっちゃったひとー

 どうだろう? 
 うん、想像してみるとやっぱちょっと引くよね(Exileを選んだのは全く他意はありません。たまたま思いついただけです)。


 K2においてこの曲が破綻せずに成立している理由の一つは、そこが他とは全く違う特別な空間、シアターであったということだろう。
 ライブを全く知らない僕でも、DVDや各種資料から垣間見られる(当時の)舞台と客席の一体感・親密感は容易に想像できる。そこではトラブルですらまるでファミリー・アフェアの一環であったかのように語られている。

みんなが見てる/ここは 小さな宇宙
流星群が/天体望遠鏡の中

 その時ステージと客席はひとつの小宇宙であった。
 そしたら流星群はやはりサイリウムかしら。
 

 こういうセッティングでこそ、「舞台から語られるヲタの心情」を何の臆面もなく歌い上げることができたのだろうし、客席からは共感を持って受け入れられたのだろう(あとこれはあくまでも可能性なのだが、歌っているメンバー自身が歌詞の意味するところを理解してなかった、というまあ、あり得ないことだとは思うが、そうゆうふうな状況があったりなんかしたり…)。


 この曲が成立しているもう一つの理由は、この曲が他ならぬ秋元康からメンバーへのギフトであるからだ、ということを書こうと思ったのだが、長くなりそうなので、また今度にします。

 早くBlue Roseに行きたいのに足踏みかしら。