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Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

 フィガロの結婚@新国立劇場

 フィガロは二度目。
 初見は2010年11月、このブログを書き始める数ヶ月前でした。この1年前の2009年10月がオペラ初体験。

 そもそもオペラにはまったのは、ショッピングモールのワゴンセールで安売りしていたマリア・カラスのCDを買ったのがきっかけでした。車のCDプレーヤーに入れて、最初は聞くとはなしに聞いてました。なんだろ、決して美声ではないんだけど、心をぐっと鷲づかみにされた感じ。

 それからCD聞きまくって、DVD買い漁って、どうしても現物が見たくなってチケット取ったのが2009年10月だったわけ。
 お、この経過ってAKBにはまってった時によく似てるね。こっちは現場に出るまでずいぶん時間がかかったが(だってチケット取れないんだもん)。

 で、フィガロを初めて見たときの感想がこれ
 この直前のエントリーがこれ。「マジすか学園」について。うわ、なつかし。
 「(DVDに)入ってた生写真は、誰だかわかんないんですけどね」なんて言い訳Maybeなこと書いてます。この生写真、小嶋柏木北原宮崎高城でした。えーこれが誰かわかんないってどうゆうことよって感じだよね。
 ホントはこの前にすでに「言い訳Maybe」にはまってたんだけどね。
 
 で、「フィガロ」。
 
 時間ぎりぎりに新国立劇場2階最前中央に着席。
 たぶん以前に皇太子殿下がお座りだった席の周辺。

 既に幕は開いていて、大きな白いパネルでできた天井、床、左右の壁、そして奥の壁が見えている。客席からはちょうど内側が白い巨大な箱を覗いているようなしつらえ。その他に舞台装置はない。

 序曲終わり近くになると、奥の壁が開いて、そこから白い段ボール箱が運び込まれてくる。箱には「トウキョウ」「London」「Vienna」「Sevilla」などと書かれてある。 
 このボール箱が、椅子であったり、テーブルであったり、さまざまな道具の役を果たす。ボール箱の他にはタンスが一棹出てきて、これもまたいろんな役を果たす。誠にシンプルなつくり。

 ストーリーは、全てこの「箱」の中で繰り広げられる。
 フィガロの機知も、エロ伯爵のバレ話も、「男の娘」ケルビーノの萌えアリアも。

 2度目ということもあって、あらかた筋書きは頭に入っていたのだけれど、それでも「あれ、今なんでもめてるんだっけ」と頭をひねることが何度かあった。 
 そもそも「フィガロ」って「セビリアの理髪師」の続編なわけで、初演当時は「みなさまおなじみの」お話だから細かい説明なんか不要だった。

 だからたとえばフィガロがホントは実の母であるところのマルチェッリーナに結婚を迫られている理由とか、お客は「知ってる」ことが前提だったのでしょう。ちょうど「お軽勘平」で、何で勘平が腹を切りたがってるか、説明が無くてもご見物衆は先刻ご承知なのと同じように。

 だからその辺準備が足りないとつらいんだね。ぽかーんとしちゃう。「お軽勘平」が古きゃ、エヴァを「Q」から見始める、みたいなモン。何が「13番めの使徒」よいったい。

 ハッピーエンドの「フィガロ」にも続きのお話がある。
 たとえば可愛い可愛いケルビーノはホントに奥様とできちゃって、その後戦争に取られて死んじゃうんだって。まさに「もう飛ぶまいぞ」。

 人生キビシイねえ。

 そんな後日譚を知ってか知らずか、舞台の上の皆様は明るいことこの上なし。
 心躍る美しい音楽と、呆れて笑うしかない馬鹿馬鹿しいお話し。
 そんな時僕はいつも思い出すよ。

   くるくるばーで/みんなで騒ぎましょう

 
 愛を失くしてしまっても大丈夫。お代わり自由だからさ。
 

 


 
 魔笛
 プラハ国立歌劇場@東京文化会館
 
 「魔笛」、前回は新国立劇場でしたね。1年半ぶりのオペラ、皇太子殿下がご臨席されたんでした。

 その後オペラブームが再燃して、半年で8本、この「魔笛」で9本目です。
 一方劇場公演はHKTの研究生「PARTY」と、こないだのTeam K公演の2本。
 いきおいこのブログもオペラがらみの記事が増えました。
 うーむ。これではまるで"Commentarii de operibus"だぞ。

 で「魔笛」について。

 台風が近づくなか渋滞をかいくぐってなんとか開演少し前に会場着。
 第1幕は正直少し眠くなりました。いびきをかかない程度にうつらうつら。
 前は寝ちゃやばい、って思ってたけど、最近は眠くなるのは自分のせいではない、演者がワルいって開き直るようになりました。
 だってなんか序盤声あんまし出てないし、セットはちょっと学芸会っぽいし、そもそも「魔笛」って中2臭い話なんでも一つ感情移入できないんだよねえ。
 
 でも考えてみたら18世紀の話だもんね。
 そのころの人にしてみれば、意味ありげな数字や人や物や事件が斬新でエキサイティングだったのかも。当時最先端の新思想ってね。でも今見ると、そういう部分はインチキ新興宗教か自己啓発セミナーみたいな臭いがしちゃうのね。「3という数に隠された意味」とか、今の人には全然興味湧かないでしょ。

 じゃあこのお話がout of dateかというと、そうでもない。そこがモーツァルトの凄みです。
 
 というわけで幕間にコーヒーを飲んで気合いを入れて後半。
 第1幕と違ってお目めぱっちり。 
 夜の女王とパミーナが素晴らしい。
 
 「魔笛」と言えば、「夜の女王のアリア」がハイライトのひとつで、一度聴いたら忘れられないモーツァルトの傑作。この夜も、「夜の女王を歌うために生まれてきた」とまで言われるハンガリーの至宝、エリカ・ミクローシャのコロラトゥーラに圧倒されました。すごい人だってのは今ぐぐって知ったんだけどね。
 でもこのアリア、美しいんだけど内容は陰惨なんですね。
 娘のパミーナが心酔しているザラストロを剣で暗殺するように迫る歌。

  ザラストロというヤツに、/死の苦しみを味わわせねば
  あんた、あたしの娘じゃないわ。/永遠(とわ)に勘当、おさらばよ。
  母娘(おやこ)の絆もご破算ね、/あやつの息の根、止めなくば!

オペラ対訳プロジェクト「魔笛

 なにこの心理的虐待の鬼母。
 「言うことを聞かないと見捨てる」って、完全パーソナリティ障害系じゃんねえ。

 それに対して、ザラストロは、傷ついたパミーナに対しやさしく唄いかける。

  この神聖な広間には、/復讐などは縁がない・・・
  よしや、その人つまずけば、/義務へとみちびく、その愛は。
  友情の手を見出して、さても楽しく/ほがらかに、より良き国に至るのだ。

 ああ、なんてやさしく寛容で高邁で開明的なザラストロ。理想的な人格と言っていいでしょう。

 このザラストロのアリアも美しかったのだけれど、じゃあ夜の女王のアリアとどっちがいいかというと、もう問うまでもなく夜の女王の圧勝。
 
 完成された理想的な神のような人よりも、感情に翻弄されれる人間くさいどうしようもない鬼母の方が人の心を惹きつけてやまない。

 「ねえあなたもそうでしょ」とニヤニヤしながらモーツァルトが言ってるみたい。

 あとパパゲーノね。
 「魔笛」って夜の女王とならんでパパゲーノも主役ですよね。
 どっちも我欲の虜なんだけど、夜の女王が陰だとしたらパパゲーノは陽。

 この公演のパパゲーノもよかった。

 愛を失ったと誤解したパミーナの嘆きのアリア、せつせつと哀しみを歌い上げているのに、後ろのパパゲーノは海苔巻きを(ホントに!)食べてやがんの。挙げ句「スシはうまいや」だって。
 要所要所でこういう日本がらみのくすぐりを入れて来てました(「オ・モ・テ・ナ・シ」とかね)。

 終盤、夜の女王が敗れて、タミーノとパミーナが手に手を取って火と水の試練を克服するわけです。象徴的な死をくぐり抜け、二人は「新しい人」に再生する。たぶんここが「魔笛」のメインテーマなんでしょう。
 でもこの辺、何かもう完全にやっつけな感じ。もちろんメロディは美しいですよ。でも心に残らない。
 それよか次のシーンでパパゲーノとパパゲーナが結ばれるところの方がよっぽどいきいきとして楽しい。曲も一度聞いたら忘れられない、つい鼻歌で歌ってしまっちゃう。
 
 とにかく女が欲しくてしょうがない、欲望に忠実な、ダメダメなパパゲーノがお似合いの伴侶を得て、こどもをいっぱい作る。高邁なテーマよかよっぽどそっちが大事でしょ、ってモーツァルトさん。

 「魔笛」、表向きのテーマがどんなに古くさくなっても魅力を失わないのは、イヤミな天才モーツァルトの深い人間洞察のタマモノなんでしょう。

 あとザラストロ教団の神はオシリスとイシスのはずなのに、大団円で出てきた神はどうみてもアヌビスでした。
 まあシアターじゃないのはもうお見通しだろうけどな。
 BiS X でんぱ組.inc@渋谷 O-EAST

 バーに押しつけられて、肋軟骨がちと痛い。
 BiSは先月お台場でお目にかかりました。
 でんぱ組.incは初めてのお目もじ。

 いやあ、舐めてましたでんぱ組.inc。
 キンキン声の100均アイドルかと思いきや、その実は曲も詞もハラワタに響く骨太アイドルでした。

  生きる場所なんて どこにもなかったんだ
  今は 夢の ために 放て!/でんぱパトス!!!

 おじさんはこうゆうの弱いんだよ。涙腺が弛んでしかたないや。
 
 10月9日 「大島チームK」公演 中田ちさと生誕祭のお話の続き。

 鈴木(紫)。
 近野は全くの予想外でしたが、鈴木(紫)のパフォーマンスの高さについて少しは聞いていました。実際に見て納得。この人ホントかっこいいね。
 「エンドロール」なんかずっと見惚れちゃってました。島田藤田も頑張ってたけど、何か別次元の動き。大きいだけじゃなく、すらりと伸ばした腕からその指先まで意識を行き届かせている。
 こういうのオンデマの雑な画像じゃ写らないし、写っても見えないもんね。
 
 永尾。綺麗な永尾。
 「星の温度」をソロかあ。それも「ワンハーフ」。
 なんか永尾も曲もかわいそうだった。

 「星の温度」。
 心の奥底に隠した思いを、夜空に冷たく光る星の「温度」にたとえたA1の名曲。
 冴え冴えとした星を見上げている僕らは、その星に「温度」があるなんてことを実感できないけど、本当はものすごく燃えたぎっている(というか、核融合による熱と光を発している)。
 和歌で言ったら「忍ぶ恋」。「みかきもり衛士の焚く火の夜は燃え」を思い起こさせます。 
 現代の「忍ぶ恋」には、少し理系の味付けです。

 ただ難しい。
 この歌の魅力の一つは「コントラストの妙」にあります。
 歌い出しからサビ前までのAメロは「静かに秘めた心」。
 サビは「それでもあふれ出す燃える思い」。
 そのコントラストを一人で鮮やかに表現できるようなタレントは、そうそういるもんじゃありません。少なくとも今のAKBグループにはいないでしょう。
 だからA1ではAメロをパート別けをしたソロ、サビを4人のユニゾンで歌わせていました。
 ライティングもAメロは薄暗い青い夜、サビに入って真っ赤に燃える炎がイメージされています。伴奏もイントロとAメロのやや単調なキーボードとリズムボックスに対し、サビとアウトロはあの泣きのギター。
 ちょっと余談ですが、HKTの研究生公演の演出はそこのところをすごくよく理解しているなあ、と思いました。現場でも見たけど(エヘン)、舞台の構造を上手に利用して、静と動、暗と明を際だたせています。サビなんかホント燃え上がってるもん。あと田島がただ者じゃないのもよくわかる。
 余談の余談。SKE5周年記念公演の「星の温度」。
 サビもあれだけ大人数だとちょっと笑っちゃうよね(なんせ「11人いる!」)。
 でもねえ、第1スタンザ「さりげない…」パートの古畑見た? マイクを離した後に浮かべた寂しそうな微笑みの表情。しびれた。あそこで「笑顔」という表現ができる古畑もただ者じゃない。

 で、まりやぎ。うんと綺麗に着飾ったまりやぎ。"大場"Team 4の「うちの子」まりやぎ。
 一生懸命歌ってたんだけど、残念ながら「秘めた心」と「あふれ出す思い」のコントラストは全然表現できてなかった。一人っきりでいっぱいいっぱいって感じだった。ワンハーフだし。  
 これはやぎしゃんだけのせいじゃないよねえ。演出が歌の心をわかってないよねえ。
 
 JKT兼任の野沢菜ちゃん。
 もちくらさんの無茶ニックネームシリーズ。
 声がカワイイって評判だったけど、今日はお客さんでした。

 阿部。
 以前は何だか背中を丸めて後ろに隠れている印象だったのだけれど、今日はすらっとして美しかった。

 武藤。
 「ショウファイ」の印象が強いけど、実はカワイイ。カッコカワイイ。

  考えてみたら、僕が研究生以外の公演を見たのってこれがまだ2度目だったんですね。
 初体験の「目撃者」以降はずっと研究生公演でした(ちなみにそのおかげもあって、これまで見て来た6回の公演全てに相笠が出てたんですが、残念ながら連続相笠遭遇記録はストップしてしましました)。
 そのせいか、全体にいい意味でも悪い意味でも「手練れ」感を強く感じました。
 そつがない。破綻も少ない。何かあってもダメージコントロールができてる。
 研究生公演で時折みられる「おいおい大丈夫かい」というような場面がない。
 もっともこの「おいおい」ってのが心に刻まれたりするんですけどね。セリフが飛んで、会場から声援が飛んで、何とか言い直してメンバーも客もほっとする、みたいな。

 研究生と違ったのは、たとえば「今後やりたい仕事」というお題に対して、「CM」「グルメレポーター」「お天気お姉さん」等々具体的かつ現実味のある回答がなされたこと。ちょっと生々しい感じもしますが、これが「芸能界の入り口&ショーケース」というAKBの役割のひとつとしては正しい姿なんですね。ただそれが現在も有効なのかというと、ちょとわからないけど。
 そんな中、宮崎が「映画館の店員」と言っていたのが脱力でした。
 本人はそんなつもりないんだ、本気なんだって言ってたけどさ。

 「生誕祭」主人公の中田。
 公演で特に前面に押されるでも無く、淡々とステージをこなしておりました。
 その場で「卒業」を発表するんじゃないか、という噂もちょっとあったんですが、今後もいろいろ頑張っていくということなんで安心しました。

 委員のみなさん、ご苦労様でした。おかげでとても楽しい公演でした。
 
 今度呼ばれるのは、いつなのかなあ。
 10月9日 「大島チームK」公演 中田ちさと生誕祭に行ってきました。
 4月10日以来だからちょうど半年ぶり、7回目のシアターです。
 新チケットセンターになって、初めての本店ご当選。ずいぶん焦らしてくれたじゃない。

 正直中田の生誕祭に入りたかったわけじゃないの。公演なら何でもよかったの。時間が作れる時に応募できる公演に申し込み続けてたの。そしたらちぃちゃんの日に当たっちゃった。
 中田ヲタではずれてしまった方には大変申し訳ありません。
 ただ僕の書棚にはどういうわけか「中田ちさと20thアニバーサリーフォトブック『ちぃちゃん→ちさと』」があるんです。それに免じてカンベンしてください。いつ何で買ったのかよく憶えてないんですけど。特典DVD開いてもいないし。
 
 中田について僕が知っていることはそんなにはありません。
 ただ佐藤(亜)と出てたANNは憶えている。
 散歩が好きで、「ちぃ散歩」云々と、たわいもないことをふわふわした声で話していたっけ。タイプの違う佐藤(亜)と楽しそうだなあって印象はあった。

 考えてみると中田って、ある意味すごくAKBらしい人ですね。
 決して際だったべっぴんさんじゃない。知名度もお世辞にも高くはなく、言っちゃ何だが一般人(非AKBヲタってことね)にしてみたら、ホント「あんた誰?」。そういや「中田ちさと 誰」ってネタもありましたね。

 でもそんな中田にもちゃーんとヲタがついていて、立派な誕生日イベントをやって貰えるし、チャンスは巡って来るし、仕事もそれなりにある。
 
 以前にちょっと触れたNさん同様、中田もまたAKBの頭を支える長いしっぽ(long tail)の一人。
 ロングテールの面々への愛情が芽生えることが、AKBの「内輪」になった証拠でした。もっとも昨今は、このロングテールの役割りを「支店」が果たしているような気がします。各「支店」の充実が、結果的に「本店」ロングテールの存在意義を揺るがしているような…。
 
 そして何よりも、シアターに行かなきゃなかなか「会えない」人。
 これぞAKBってわけですよね。

 中田のヲタではないけれど、誕生日にお呼ばれしたら、大人として手ぶらってわけにはいきませんから、ささやかなプレゼントを用意しました。あとヒラリーにも(昇格のお祝いです)。
 うひゃあ、アイドルちゃんにプレゼントなんて生まれて初めてだあ。これじゃあまるで僕がドルヲタみたいじゃんかあ。

 17時半頃シアターへ。インフォメでチケットを受け取りブツを渡すとロビーへ。
 いつものロビーと違うのは、綺麗なお花と忙しく準備をしているそろいのシャツを着た「生誕委員」。ちょっと華やいだ感じですね。

 そんな中、恒例のお礼参り。ロビーの片隅にある募金箱にお賽銭を投入。
 メッセージを添えて。
 
 「本日はお招きいただきありあがとうございました。
  みなさんの途切れることのない支援活動に心より敬意を表します。
  願わくはなるべく早くまたお招きくださいますように


 最後の一行がいかんのよね。

 あからさまに係員の人にアピールして、"What can I do for someone?"プロジェクトステッカーをゲット。これで8枚目です。4月の時はでっかいのだったけど、また小さくなっちゃったのね。

 おお、そういえば募金箱に新たなサインが加わってました。
 今日は西野橋本。雨宮森山渡邊(寧)に混じって。

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 気がつくとたくさんの水が橋の下を流れて行きました。

 開演直前にロビーに戻ると「生誕委員」がサイリウムなどのグッズを配ってました。
 コールの仕方とかサイリウム発光のタイミングとかの説明とかも要領よく、発声練習も和やかな雰囲気。

 抽選順?
 聞かないでよ。
 とにかく立ち見中央やや下手寄り3列目に陣取って両眼による視界を確保できました。
 
 開演前のアナウンス。
 すっと落ちる客電。
 Overture。
 喧噪が途絶えた瞬間に浮かび上がるシルエット。

  Go! Go! Go!/We're crazy girls.
  Come! Come! Come!/ You're lazy boys.

 そう、君らはイカレてて、そんな君らに夢中な僕らは浮かれポンチ。

 この感じ。足下から這い上がって来て頭のテッペンを突き抜けていくこの感じ。
 そうだ。シアターだ。

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 感想など。

 開幕冒頭中央でステージを支配するいい女。
 誰だあれ? 
 ええええええええっ! まさかのチカリナだっ!

 すいませんすいません。近野のこと侮ってました。
 「誰だこの目の位置が間違ってる子は」というのが僕の最初の印象でした。確か「チャン順」の時。
 フォトショでちょっと目の位置を下げたらいいんじゃねえの? 何てドイヒーなこと考えちゃってた。
 それが奥さん、ステージ上のチカリナのカッコいいこと視線を奪うこと。
 身体のパーツのバランスがよくて、それが小気味いいスピードでびしびし決めてくるんですよ。
 あの目の位置も逆にステージ映えするためにあるんじゃね? 逆に逆に。
 歌舞伎役者のデカい顔のように。
 やっぱシアターだわ。

 もうちょっと続きそう。
リゴレット
新国立劇場

 とうとう9月はAKBがらみのことを何一つ書かなかった。
 それどころか、ブログに手もつけられない日々が続いちゃった。
 コメントのお返事もすっかり遅くなって、申し訳ありませんでした。
 
 今日も書くのはぺらぺらぺらお。
 先月も見た「リゴレット」。
 先月は名にし負うミラノスカラ座の引っ越し公演、その絢爛豪華さに圧倒されました。箱も巨大なNHKホールだったし。
 で、今日の「リゴレット」は、新国立劇場のこじんまりとした舞台でした。

 2階最前列で見たのははじめて。足元に余裕があって、なかなか快適でした。並びには正装の外人さんがたくさん。聞けば新国立劇場のオペラ初日には、各国大使館に招待状が廻る由。どこぞかの国々の大使閣下夫妻だったのでしょう。

 幕が開くと、何と設定は現代。
 中央に三階建てのホテル、それもゆっくりと回転してやんの。
 登場人物はダークスーツとパーティードレス。
 タイトルロールのリゴレットも白化粧こそしているものの、コスチュームはスーツ。
 マントヴァ公爵も白ずくめのスーツで登場。

 原作は公爵の宮廷なのだが、さながらギャングのアジトのようでした。

 斬新でエッジの効いた演出ってことなんだろう。

 でもなあ、何というか、原作の持つ「人間の情けなさゆえの悲劇」って持ち味が失われていたように思えた。
 
 原作だとマントヴァ公爵は薄っぺらい二枚目でしょ。
 悪気はそんなにない、けど女好きでどうしょもなくて、でもその容姿は神様に不公平を訴えずにいられないように美しい。
 女と遊んで捨てるのだけれど、それは悪意があるわけじゃなくて、いわば貴人の無責任さ。

 いっぽうタイトルロールのリゴレットは、醜い道化師。人を笑わせるだけに生きて、人に踏みつけにされることで口に糊している。

 そんな惨めなリゴレットにとっての唯一無二の宝が娘のジルダ。こんな醜い自分を愛してくれた今は亡き愛妻の忘れ形見。

 そのジルダを冗談で誘拐した宮廷の面々。彼らはジルダをリゴレットの若い愛人と誤解していた。だからジルダを誘拐し、マントヴァ公に陵辱させたのも、単にリゴレットをコキュに貶めて笑い者にしようと思ったから。
 だから宮廷の面々は、ジルダがリゴレットの愛人じゃなくて娘だと判って、一斉に「引いて」しまった。「ちょっと、娘ってマジぃ? それじゃちっとも笑えないじゃん」って。
 そんなジルダにちょっと本気になってたマントヴァ公。でもイッパツやったらすっきりしちゃった。
 一方彼の美しさゆえにマジで愛してしまったジルダ。
 第一幕では娘の純潔を奪われた父親を笑い者にしていたクセに、復讐の鬼と化すリゴレット。

 結局「人を呪わば穴二つ」。
 薄っぺらなワルモノは何の罰も受けません。

 エンディングは悲劇なんだけど、そこに至る過程はあんまり悲劇的じゃなくてどちらかというとコメディタッチなんですよね、原作は。そこにヴェルディ大センセイ深みがあるってもんじゃないですか。

 でもねえこの演出だとちょっと笑えないんだよねえ。

 たとえば第三幕。
 一幕のパーティーで華やかに着飾っていたレディたちが、一変惨めな姿で現れるんです。
 特にその美貌ゆえに第一幕で公爵にもてはやされ口説かれていたチェブラーノ伯爵夫人が、第三幕では青あざや血がにじん下着姿で登場する。マントヴァ公に暴力的に弄ばれってわけだね。
 そのチェブラーノ伯爵夫人をかき抱きながら、公はジルダへの愛を歌う。もう「済んじゃった」女に全く未練は無くて、そこにいないジルダに対する思慕の念しかない、というのを表現したいんだろう。でもそこには陽性な「女好き」は無く、冷たく暗い酷薄さしかない。

 さらにチェブラーノ伯爵夫人は、公の「手下」3人に無理矢理高いストールに座らされ、ぐるぐる回される。これって明らかに輪姦のメタファーだよね。そこまでする必要があるの? そんなにマントヴァ公って悪なの?

 そして何よりもいけないのは、これは演出とは直接関係ないんだけど、マントヴァ公役のウーキュン・キム(from Korea)。
 美声ですよ。声量も充分ですよ。芝居も(悪そうな)うまいですよ。
 でもねえ、マントヴァ公としてはねえ。
 
 マントヴァ公はあきれるほど美しくなきゃいけない。
 ジルダが一目惚れをして自ら身代わりになることを決意するほどの美しさ。
 刺客スパラフチーレの妹の心を一瞬で奪いさり、彼を殺そうとする兄を押しとどめないではいられなかったほどの美しさ。
 本人はなーんも努力してないんだけどねえ。
 
 そのマントヴァ公、今日の舞台では「痩せた朝青龍」でした。
 ジルダ「教会で見かけたあの美しいお方」にして、
 スパラフチーレ妹「兄さん、あんな美しい男の人を殺すのはやめようよ」たるべきマントヴァ公が、痩せた朝青龍。

 やんぬるかな。

 でも隣のお嬢さんはジルダが息を引き取る場面で泣いてました。
 僕もちょっとうるっと来た。

 まあ痩せた朝青龍のために愛娘が死んだら、確かに泣いちゃうよなあ、僕でも。

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 ん? これじゃ Commentarii de AKBにならない?
 んだね。

 じゃちょっとだけ。
 
 「タイムマシンなんていらない」。
 いらないのはあんただけだよ!
 
 「ヒリヒリの花」。
 タイトルは期待したんだけどなあ。
 どうしてこんなにわかりやすく説明しなきゃいけないんだろう。てか説教したいんだろう。
 どうして聞き手の勝手にさせてくれないんだろう。
 「フェルメール」とかよかったんだけどなあ、ノイエ。
 あんときゃ片っ端からフェルメールの絵を漁って探したんだ(結局他の人に教えて貰ったんだけどさ)。で、あ、これかって絵に出会えて感じ入ったんだけどなあ。

 「Fortune cookie in Love」。
 「スカッ」てのが「好き」って意味なのは判った。

 「カモネギックス」。
 佳曲だがA面でいいのかよすす。
 このノリで「泣きながら微笑んで」いいのか優子は。
 リゴレット@NHKホール by スカラ座

 これぞオペラ。
 
 前回の「フォルスタッフ」が、ヴェルディ先生がオペラを極めたあまりにオペラを突き抜けてしまったのに比べ、この「リゴレット」のオペラらしさときたら!

 ほんのちょっとしたレチタティーヴォにも惜しみなくあてがわれたメロディの芳醇さ。
 素面なら誰でも突っ込みたくなるような筋立ての都合良さ。
 華美な装飾。絢爛たる衣装。
 死ななくてもいいのに意味もなく死ぬヒロイン。
 死にそうなのに響き渡るアリア。

 それにしてもジルダの"Caro nome"の美しかったこと。
 第1幕では拍手のタイミングを捉えきれなかった聴衆が、ホント、思わず我慢出来ず歓声を上げずにはいられなかった。
 いやあ、参った。

 10月にも新国立劇場の「リゴレット」を予約したけど、これほどの印象は残らないだろうなあ。

 それにしても。
 スカラ座のチケットならいともたやすく取れるというのに、かのシアターのチケットの得難いことよ。
 ファルスタッフ@東京文化会館 by スカラ座

 ここしばらくのオペラ熱は、このスカラ座来日が原因。
 NHKホールでメトロポリタンオペラを見たのが2011年6月。
 それからしばらくは憑きものが落ちたみたいにオペラからは遠ざかっていた(というか、別の憑きものが憑いたんだよね、AKBってのが)。

 でもスカラ座来日とくれば話は別。
 ミーハーと言われようとも、僕のDivaはずっとマリア・カラスだった。
 カラスと言えばミラノ・スカラ座。
 そのスカラ座が来るって言うんだもの、火も付きますわね。

 というわけで久々の東京文化会館。8列目はまずまずの良席。
 全くの初見で、付け焼き刃の知識を集めての観戦でした。

 「ファルスタッフ」はオペラの巨人、ヴェルディ最後の作。となればどんなアリアが待っているのか、と思いきや、コメディとはいえ何だろうこの緊張感の無さ。同じくオペラの巨匠、プッチーニ最後の作(というか遺作)があの「トゥーランドット」であったことを考えるとその違いにびっくりする。

 ストーリーは、と言えば「デブで薄毛のじじいが金目当てに人妻2人を口説こうとして失敗してお仕置きされる」。以上。
 
 原作は14世紀初頭ってことだが、舞台のしつらえは現代。
 特に1幕2幕は現代劇でも違和感のないお話し。というか、これ歌がなければ吉本新喜劇と大して変わらない筋立て。

 「大将、ここの払いどないしはるんですか」
 「ホンマお前らといると銭ばっかりかかってしゃあないわ。でもな、なーんも心配することあらへんで。わしの男性的魅力をもってすれば、金持ちの奥さんくらいイチコロや」
 「はあ、どの辺がその男性的魅力なんだっか?」
 「よく見んかい。この薄い髪と、でっぱった腹と、って何言わしとるんじゃ。ガタガタ言わんとこの手紙アリーチェはんとメグはんに届けんかい」
 「かなんなあ」

 ドタバタの終わった後の第3幕からはちょっとオペラっぽくなる。
 幕が開いたらホントの馬が飼い葉食べててびっくり。
 舞台の奥には星が輝き、美しいことこの上ない。 

 少ししてテノールが歌う愛のアリア。
 ひとしきり盛り上がって、若い恋人のソプラノが加わって二重唱になっておお、これは、と感情移入しそうになったとたん無粋な邪魔が入る。

 これヴェルディさん狙ってるでしょ。聴衆をその気分にさせといて、ハシゴを外してるでしょ。
 「おやおや皆さんずいぶんロマンティックなお顔つきですねえ(ニヤニヤ)」って。
 あえて劇的要素を削ろうとしているようにしか思えない。

 そして終幕。
 フーガ、"Tutto nel mondo è burla"「この世はすべて冗談」を、登場人物全員が横に並んで歌う。
 耳につくリフレインは、"Tutti gabbati!" 「みんな騙された!」。
 客席を指さしながら、「みんな騙された!」「みんな騙された!」。
 するとみるみる客席の照明が明るくなって、舞台から客席が丸見え。その客を指さしながら、「みんな騙された!」。その時、安全な暗闇から舞台を見て笑っていられるという観客の特権は剥奪され、登場人物の目に晒され、笑い者にされる。
 おっと、この居心地の悪さ、どっかで体験したぞ。
 そう、天井桟敷だ!

 まさに「みんな騙された!」。

 オペラを極めたヴェルディの最後のオペラがオペラを突き抜けた何か別のモノになっていたでござる。
 うーむ。
 BiS@Zepp DiverCityだけどな。
 そしてそこでの立ち見最前とは文字通り最前、手を伸ばせば舞台に手が届く場所。

 だって「現場」に行きたかったんだよー。
 大枚はたけば行ける現場が、会えるアイドルがいたんだよー。

 「知る人ぞ知る」と言うべきか「言わずと知れた」と言うべきか、恐らくその中間より少し前者に位置する「新生アイドル研究会 BiS」。
 AKBからはじまってアイドル界をさまよって辿り着いたアイドルの極北。

 自ら「アイドルは死んだ」とうそぶきながら、そのありようはどう転んでも「偶像」としか呼びようがない自家撞着の徒花。

 会場周辺にたむろする、胸に無愛想に「Idol」と書かれた黒いTシャツの面々が、ますます「アイドル」という概念の異化を進めていた。

 そのライブの最前と来れば、歴戦の古参のたまり場。
 誰もが顔見知りのまっただ中、初参加の僕は、だからと言って疎外感を感じることはなかった。

 身に綺麗な模様をまとって銭湯には一生入れてもらえそうもないおっさんとか、スキンヘッドに唇ピアスのあんちゃんとか、現場以外ではなるべくお目にかかりたくない古強者たちの表情と語らいからは、柔和なウエルカムの雰囲気が漂っていたから。

 古参でも新規でも、BiSのちゃんとした「研究員(BiSのヲタのことね)」ならみな仲間。

 ああ、きっと秋葉原のシアターでもきっとこういう時期があったんだろうなあ。

 「研究員はみんなやさしいですよ」と、最前の客は隣の初参戦の客に語っていた。
 もっとも「やさしい」という意味は「なるべく怪我をしないように気を使う」ってことなんだそうだが。

 その「なるべく」の意味するところは、ライブが始まってからわかった。

 オールスタンディング2時間以上、モッシュでアバラをバーに押しつけられ、クラウド・サーフィンの足が当たってメガネを飛ばされたが、最前を死守し続けた。こういうこともあろうかと、メガネはスペアを掛けてって正解。
 うん、群衆の上をサーフィンする客は、確かに怪我一つしてなかったよ。セキュリティのアンちゃんはぶち切れて襟首を掴んで引きずり下ろしていたが。僕のアバラも折れはしなかったし。

 要所要所で客が一体となって大きなお約束のフリをして、隣の研究員と自然に肩を組んだり、腕を取り合ったり。

  透明な言葉がそばで見てたんだ
  揺れる未来を指でなぞってたんだ
  
  耐えられない言葉に 見つからないように
  靴ずれした両足でここに立ってたいんだ

primal.」BiS

 「未来」が希望に満ちているなんて、成功した大人が若い頃を振り返った時だけにでっちあげる大甘なフィクションだ。ホントの未来は、宙ぶらりんな、ひりひりした不安と焦燥が、いつも通奏低音として響いていたはずだ。

 いつかは直面しなければならない残酷な「言葉」たちから、ホントは逃げ出したいのに、傷つきながら立ち続ける少女たち。
 今となっては秋元先生が語るにはとても難しい「言葉」の数々。

 そう、今の秋元先生は、甘くて柔らかで小骨を処理してあって、誰もがそのまま呑み込めるような言葉を綴ることしか許されていない。ミリオンセラーという、少なく見積もっても数千人の生活がかかっている「産業」を維持するために。
 「刺さる」言葉ではく「呑み込みやすい」言葉。

 実を言えば、BiSで一番会いたかったメンバーはすでに辞めてしまっていた。
 現場で初めて「会って」心惹かれたメンバーは、もうすぐ辞めることになってしまっていた。
 それどころか彼女たちは「来年の日本武道館での解散ライブを目指す」んだそうだから、これはもうケツカッチンが宿命づけられているわけだ。人生同様。
 
 古参研究員の皆様にしたら、厳しめの意見もあったようだが(白雪姫の腹が割けて血みどろになった程度でしたもんね)、僕にとって彼女らのライブは激しく、楽しく、少し切なかった。

 幕が降りた後、大枚はたいた客だけが舞台に呼ばれてメンバーたちと「ミート&グリート」。
 太オタたちへの特典。
 ハイタッチ? ノン。
 握手? ノンノン。
 研究員一人一人とメンバーのパワーハグ、熱き抱擁だ。

 やり過ぎ? 
 いやあ、ネタとは言えメンバーが実名で登場しているアニメの中で、リーダーが「枕営業で仕事を取ってきた」と言い放つBiSだけのことはある。
 
 金さえ支払えば、憧れのアイドルを抱きしめることができる。
 数秒間だけ成就する幻想としての恋愛。
 それこそが最もアイドルらしからぬ、そして最も偶像らしいあり方だ。

 メンバーの一人は、体調不良で開演最初の数曲に間に合わなかった。でもいったん舞台に上がってからは、研究員のコールにありったけの笑みと、感涙の表情を返していた。
 僕の腕の中で、その子は明らかに具合悪そうだった。案の定彼女はその後の握手会は欠席した。

 でもどんなに具合が悪くても太オタとのハグははずさない。
 実に正しい。
 彼女たちは、黙っていても連日大入り満員のシアターに立っているわけではないのだから。

 そして僕はリーダーを抱きしめながら約束してしまった。
 「もう一度必ず来ます」と。
 うむ。
 とりあえずはジョイントがひん曲がってしまったスペアのメガネを修理することにしよう。
 
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 さて、我が懐かしのシアターはどうなっているんだろう。
 いくら金を払っても、運と愛がなければその場に立つこともできないあの場所は。
 この4ヶ月キャン待ち100番台しかくれなかったあそこ、あそこだってば。

 そういや最近、運はともかく愛が足りないんじゃないの>僕。
 そうだねえ、ブログの更新もさぼってるしねえ。

 でもこないだ、西野と岡田(奈)を見た時は、心が動いたよ。
 KFCの特典DVD、「振り付け映像Type A」。「三銃士」とか「なまこ姫」とか呼ばれる14期の3人が出演しているヤツ。
 センターは小嶋(真)なのは今の人気からしたら順当なことなんでしょ。
 でも見るべきはバックダンサーの西野と岡田(奈)でした。少なくとも僕は一度目は西野から目が離せなかった。二度目三度目も。で、四度目以降は岡田(奈)かな。

 限られた尺と企画の中で、しかも自分がメインではないところで、二人はありったけのアピールをしていました。「私を見て」、「私を見に来て」、と。
 西野、何か手が伸びるんだよね。「何度か目の失恋の準備」のところで。ぐいーんって。
 「カモンカモン」のとこなんか、お前らやりたい放題だなこの短い尺でって感じ。
 ちきしょう見に行きたいぞ。 

 対照的なのは同じ特典DVD、Type B。
 センターはあっちこっち玲奈っち、バックは高橋(朱)と佐々木。
 黙々とKFCのフリをなぞっている。そこには「振り付け」以外の何もない。
 いや加藤(玲)たちにあやつけてるわけじゃないよ。「振り付け映像」としたら、こっちの方が正しいんだけどさ。西野のフリ見たらコピーできる気しないもん。

 でもさ、微妙な位置にいるアイドルとしては西野岡田(奈)のように振る舞うべきなんだよ。
 ハグしろ、とは言わないからさ。

 言われた通りにやってちゃダメだ。
 「他人の地図を広げるな」って言われてるだろ。

 僕がかつてホントに好きで、一度は消えて無くなってしまったTeamの名が蘇ったんだもの。
 そこにこの2人をはじめ、たくさんの「うちの子(ああ、また使ってしまった…)」がいるんだもの。
 やっぱありったけの運と愛を振り絞らなきゃいけないよね。 
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  「どうしても会いたかった」と
  無茶ばかり言う人

 

 無茶というか無理というか無駄というか、願っても叶わないことだと思っていたのに。